第90話「ノルト大要塞撤退戦」
すでにノルト大要塞前面では、帝国側の攻撃が始まっている。
大要塞に残しているのは、故障した大砲や旧式の大砲のみとはいえ、最初は帝国軍に一方的な攻撃を仕掛けることが出来ていた。
もともと、ノルトラインを治めていた帝国の門閥貴族ミスドラース伯爵家は帝国領よりの独立を考えていたフシもあるらしく、帝国側からの攻撃にもしっかりとした備えがあった。
王国側ほどではないが、高さ五十五メートルの大防壁が二枚に、二層の楼閣があるのだ。
帝国軍の攻撃が
だが、敵は二十万以上の大群に、旧式ながらすでに大砲を二百門も繰り出してきている。
ハルトはもちろん敵に備えて防衛計画は立てていた。
ドルトムたちドワーフの技術士官が、城壁に十機のガトリング砲を並べて、最初は圧倒的に敵の数を減らしていたのだが。
「どうですか、ドルトム殿」
「かなり厳しいのう。そろそろ最初の壁は放棄しないといかんかもしれん」
敵の数が多すぎる。
帝国軍は、段々とガトリング砲の射程距離を把握しつつあり、射程の外から大砲による攻撃を加えつつあった。
砲撃が集中すれば、いかに大防壁といえどひとたまりもない。
長大な防壁ではあっても、砲撃の備えにはなっていないのだ。
城壁のどこかが崩れ落ちれば、そこから一気に敵が入り込んでくる。
まただ。
バーン! と壁に大砲の弾が突き刺さる。
その激音の中で、負けぬぐらい大きな声でドルトムは叫ぶ。
「それより、あいつらをなんとかしてくれんか。邪魔で仕方がない!」
「ああ、あの方々ですか。困ったものですね」
時代錯誤のフルプレートアーマーに身を包んだフッサー率いる金毛騎士団の貴族将校たちが、近代戦など何もわからないのに偉そうに口を挟んでくるのだ。
自分がやるから代われといい出して、自分の名前を叫びながら届きもしない矢を放って、周りから失笑されている。
もはや、銃器が使えぬ者が防衛戦をやれる時代ではない。
足手まといなだけだ。
大砲の威力を前に、ノルト大要塞の最初の壁も無残にひび割れ、崩れ落ちる寸前となった。
土塁を加えて大砲にも耐えうる設計にしたいという計画はあったのだが、ノルト大要塞の防壁は大きすぎるのだ。
その工事だけで何年もかかってしまうので、いざとなれば捨てることになっている。
「そろそろ撤退するぞ!」
ガトリング砲や、使える大砲を取り外して、ドルトムたちが奥の防壁へと移動を開始した。
それを、フッサーたち貴族将校が邪魔をする。
「何をやっている。勝手に持ち場を離れるな!」
「この城壁は、もう崩れるって言ってるじゃろうが!」
「下賤なドワーフ風情が、我々貴族に楯突くか!」
剣を抜こうとした貴族将校の後ろから、ルクレティアが駆けてくる。
「あんたらいい加減にしなさい!」
やってきたルクレティアが、その貴族のフルプレートの兜を後ろから思いっきり叩いて昏倒させた。
「姫様も、ここは危のうございます。お下がりください」
「でも、まだ兵が全員引けてないわ。みんな早く引きなさい!」
将軍であるルクレティアが自ら撤退を命じているのに、百年保った大防壁が崩れるわけがないと残っているバカ貴族どもがいるのだ。
「残念ですが、金毛騎士団はもう勝手にさせておくしかありません」
「そんな、死ななくていい兵を出すなんてあんまりよ。みんな引きなさいって言ってるでしょ!」
ルクレティアはなんとか全員を撤退させようと努力したが、金毛騎士団は大防壁が崩れるわけがないと言うことを聞かなかった。
そうしてドルトムたちが、奥の大防壁での防衛網構築が済んだところで、居残った金毛騎士団と共に最初の大防壁は崩れ落ちた。
「こんなバカな!」
「うわわ、私を誰だと思っている!」
そのほとんどは崩落の巻き添えとなり、なんとか崩れ落ちた大防壁から逃げ出した貴族将校も、最後までバカげたことを叫びながら防壁の中までなだれ込んできた帝国軍に押しつぶされた。
「バカどもが……」
ドルトムは、さすがに呆れてつぶやいた。
貴族将校が一人で自殺するのは勝手だが、それに付き合わされるお付の兵士たちは哀れだ。
素朴なドワーフの技術者たちにも、こんな無残な姿を見れば、これが老朽化した貴族社会の弊害かとわかってしまう。
「ドルトム殿、この防壁も長くは保ちますまいな」
「そうじゃな。さっきよりも敵の大砲は精度を増しておる。帝国軍の技術者もバカにしたもんじゃないわい」
おそらく帝国軍も、ドワーフの技術者を採用しているのだろう。
敵もハルトと同じく天才と言われた皇帝ヴィクトルなのだから、それくらいのことは当然やっていると考えていい。
「持ちこたえられぬとなれば、早々に撤退するしかないでしょう」
「ハルトの計画じゃと、そういう話じゃったな」
たとえノルト大要塞を敵の手に奪われても、すぐに取り返せる
遅滞戦闘で敵の数を減らすだけ減らしたら、あとは大きな被害が出ない内にさっさと撤退してしまう計画なのだ。
「あと、こうなった時のために、ハルト殿からの命令書を預かっております」
ドルトムは、ハルトからの命令書を読むと深く頷いた。
「なるほど、ついに国民皆兵の時じゃな」
「そうです。この敵の数は、明らかに市民兵と農民兵の徴募を行ったということなのでしょう。あの膨大な帝国軍が、アリキア辺境伯領にまで攻め寄せる可能性もありましょう」
鉄砲を持たせれば、女子供ですら兵力になる。
ハルトが予想したよりも早いスピードで、帝国軍は徴募兵の採用に踏み切ったのだ。
「まあ、敵がそのつもりなら、こっちも準備は出来ておる。来るなら来てみろといったところじゃな」
ドルトムとクレイ准将が相談しているところに、フッサーが顔を出した。
「あんた、さっきの防壁で死んでたんじゃないの」
「殿下、前線で死ぬのは下の者の仕事ですよ。それよりそこの准将、さっきの話を詳しく聞かせてもらおう」
部下を顧みないのは、高位貴族特有の冷淡さだ。
クレイ准将は仕方なく、フッサーに敵は市民や農民を兵として徴募したのだろうという話を説明する。
「なんと! そうか二十万の兵とは、そういうからくりだったか!」
「そうですよ。ご理解いただけましたか」
意外にも、フッサーにも国民皆兵の仕組みを理解できたのかとクレイ准将は驚く。
だが、そうではなかった。
「つまり、この前王国で暴れまわった農民兵と変わらぬ雑魚どもというわけだろう」
「違います! 徴募兵といえども、きちんと組織的に動ける調練をしているのは見れば分かるでしょう。弓と違い、銃は素人にも扱いやすいのです」
「見せかけだけの数というわけだ。帝国軍は恐るるに足らぬな」
いや、恐れるに足るだろう。
訓練を受けてない農民兵だとしても、この前の農民のクーデターの時に血相を変えて逃げ回っていたのはフッサーではないかとクレイ准将は言いたくなる。
しかし、それを言えばこの傲慢な貴族の若者は激高して意固地になるだろう。
口をつぐんだクレイ准将の代わりに、ルクレティアが叫んだ。
「そんなことはどうでもいいわ。クレイ!」
「ハッ!」
「ハルトの指示は撤退なのね」
「さようです。一度は奪われても、このノルトラインはいつでも奪い返せます」
「だったら早々に引いて、ハルトのところまで行きましょう」
ルクレティアの決定に、フッサーたち金毛騎士団が異を唱えた。
「殿下! 我々は撤退に反対です」
「またあんたたちは、さっきの崩れた防壁を見たでしょう。これ以上の犠牲は、この私が許さないわ」
「まだ大防壁が一枚に、その後ろにも街の防衛施設があります。ノルト大要塞の
「そんなもの、使い物になるわけないじゃない!」
時代遅れの遺物を今更持ち出してきて、何をしようというのか。
「殿下、私を信じてください。私に指揮権をいただければ、必ずや敵を追い返して見せましょう!」
勢い込んだフッサーが、ルクレティアに覆いかぶさるように詰め寄る。
「顔が近いのよ!」
ルクレティアは、フッサーの股間を思いっきり蹴り上げる。
「ぐああああああああ!」
悶絶して転げ回るフッサーを見下ろすと、ルクレティアは撤退を宣言した。
「あんたたちには愛想が尽きたわ。やりたいなら、防戦でもなんでも自分たちだけで勝手にやりなさい。すぐさま撤退するわよ!」
ルクレティアは、撤退指揮するために動き始めた。
そこにクレイ准将が、耳打ちする。
「姫様、フッサーたちは本当によろしいのですか」
ルクレティアはもう、フッサーを切り捨てる覚悟をした。
「家柄だけにこだわる貴族将校は、いない方が犠牲が少なくなるでしょう。ただ、彼らに率いられた一万の兵が気がかりね」
「それでは彼らの兵たちには、姫様の撤退指示を伝えておきます。その上で、金毛騎士団の指揮でこの場に残るのか、姫様に従うのか各自に選ばせることにいたしましょう」
陥落するノルト大要塞に残るのは、自殺行為である。
兵たちも、それはわかるだろうというクレイ准将の提案であった。
ともかくすでに大要塞に入り込んだ敵は、わらわらと迫ってきている。
ルクレティア率いる王国北方軍は、すぐさま撤退に移った。
ドルトムたち技術士官も、ガトリング砲で最後の斉射を行った後に、一気に退却する。
貴重な兵器を敵の手に渡さないようにアリキアの領地まで持ち帰り、そこで帝国軍の侵攻に備えることとなった。
「大丈夫ですか、フッサー様」
取り巻きの太っちょ貴族ディボーは、ぎょえーと叫びながら悶絶しているフッサーを助け起こす。
こればっかりは、同じ男として同情せざるを得ない。
「クソッ、あのじゃじゃ馬め! 使い物にならなくなったらどうしてくれるのだ!」
したたかに蹴りつけられた股間を押さえて、ようやく起き上がった
「いかがいたしましょう」
そう聞かれて、ようやく股間の打撃から回復したフッサーは、ニヤリと笑ってみせる。
「ふん、愛想が尽きたとはこっちのセリフだ。みんなも聞いたな、すでにこの要塞の指揮権は我ら誇り高き金毛騎士団にあるのだ!」
「おお、我らがノルト大要塞の主というわけですな!」
そう言われれば、フッサーの気持ちはすこぶる高ぶる。
フッサーは、ずっと民兵相手に逃亡したという過去を恥じていた。
あんなやつら恐れるべきではなかったのだ。
今こそが
現にハルトのやつは、正面からやっつけてみせたではないか。
自分の力に、百年間も落城しなかったノルト大要塞があれば負けるはずがないと思った。
「その通りだとも諸君! 後は雑兵揃いの帝国軍を排撃し、我らの力をルティアーナ王国中に示すのだ!」
手を振り上げて叫んでみせたフッサーの力強い宣言に、集まった貴族将校たちは「おおー!」と高らかな
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