虚像の突き当り

枯れ尾花

自己愛

 「キョウちゃん起きなさい」


 カーテンで閉め切られた僕の部屋に下の階から怒鳴り声が聞こえる。


 この部屋で日の光を見ることはほとんどない。


 だからこそ僕の目覚めはひどく悪い。


 「いつまで寝てるの!遅刻するわよ!」


 今は余震。


 だからこそ次はない。


 大震災が起こる前に僕は潔く階下へ降りる。


 


 

 瞼をこすり階段を1歩1歩着実に進む。


 朝のおはようの前に洗面台の前で気怠い体を起こすべく水を浴びる。


 ぼやけた瞳で鏡の前に立つと、どうしてかいつも彼女のことを思い出す。


 いつもどこかで、気まぐれな場所で巡り合う彼女とは高校入学と同時に僕の心を奪っていった。


 一目惚れってやつなんだろう。


 だけどそんなにも安っぽい言葉で一括りにしてほしくない。


 あの出会いは運命的で、ドラマチックで、それでいて衝撃的だった。


 恋や愛なんかで収まらないほどの独占欲が体中から芽生え、甲羅をつつかれた亀のように僕の中から出てこない。


 けれど、こんなにも想っているのに僕は彼女のことを何も知らなかった。


 「・・・・・・・・よしっ」

 

 パチンと頬を叩き、眠気を吹き飛ばす。


 寝ぼけた体が一気に覚醒し、そして空腹に気付いた。











 「ういっ」


 そんな軽い言葉と一緒に僕は目の前の屈強な背中を叩く。


 見た目通りごつごつしたその背中は僕の手をはじき、叩いた僕自身の方にも少なからずダメージが入る。


 「なんだキョウか。相変わらず遅い登校だな。今日も母ちゃんに起こしてもらったのか?」


 熊のようなでかい体が振り向くのと同時に、野太い声から僕を挑発するような言葉が聞こえた。


 こいつはこんな見た目の癖に口の方がよく回る。


 喧嘩にも負けるし、流行り病にも簡単に負ける。その姿は木偶の坊そのものだ。


 だからこそ僕はこいつに対してフレンドリーになれるのかもしれないけれど。


 「うるせぇよバカ。お前が早すぎるだけだ」


 そう言って僕はゴツイ尻に蹴りを入れた。


 「それにしてもキョウってやっぱあれだよなぁ」


 熊、もといユウヤは尻をさすりながら僕の顔から体を舐めまわすようにまじまじと見つめる。


 「なんだよ?」


 「ほんと女っぽいよな。まつ毛も長いし、目も大きいし、唇も小さいしさー」


 ユウヤは顎に手を当て、何かに納得するかのように、そしてどこか恨めしそうに首を上下に振りながら頷く。


 「おまけに華奢でー手足も細くて長いもんねー」


 僕たちの会話を近くで聞いていた女の子集団の1人の発した言葉に「ねー」なんて言いながら集団内で笑い声をあげている。


 「そうだよね熊本君」なんて言いながらユウヤの肩を叩くもんだから、女の子に免疫のないユウヤは冬眠中の熊のように全く動かなくなってしまった。


 いや、冬眠中の熊はこんなにもガチガチじゃなくて、もっとリラックスしているか。


 「何度も言うが僕は男だ」


 氷のように固まってしまったユウヤを傍目に、僕は僕の姿かたちを突如町に現れた人気女優を見るかの如くキラキラした視線を送る女の子たちを振り切り席に着いた。


 窓側最後列の僕の席から見える空は、先ほどまでの日差しが嘘だと思うくらいにどんよりとした曇天に席巻されている。


 これから降るであろう雨に気分が高揚するのとは裏腹に、ふと窓に映る自分の姿に男らしさが微塵も感じられないことに辟易するけれど、彼女への思いはそんなことを忘れさせてくれるくらい募っていく。


 今日はいつ会えるんだろう、次会ったときは絶対に名前を聞こう、ついでに連絡先なんか聞いてみたりして。


 なんて、そんなことを考えていると自然と笑みがこぼれてくる。


 溢れる気持ちも、こぼれる笑みもいつかは掬い上げることが出来るのだろうかなんて他人事のように考えてしまうほどに、僕と彼女の距離はまだまだ縮まることがない。









 気付けば広がっていた曇天はそのまま雨を降らし、今はバチバチと何かを打ち付ける音が耳に流れるくらい勢力を強めるのと同時に窓を濡らす。


 4限の授業が終わりを迎える5分前、空腹に思考を奪われそうになる生徒にならうことなく、僕はむしろ空腹のおかげで頭の中がクリアになった。


 そんな頭で僕はやっぱり彼女について考える。


 神出鬼没、奇想天外な出会い方をする彼女はさながら10年に1度のとか1000年に1度のなんて枕詞が付くような自然現象のようで、なにもかも全く予想が出来ない。


 少しパサつきのあるショートヘアーが雨露をはじく姿が瞼の裏に浮かぶ。


 ゆっくりとすれ違う時に横目に見える長いまつ毛も、大きな瞳も、小さな口元も鮮明に思い出される。


 華奢な体と長い手足が上下に動く様子が、僕の心を喜怒哀楽なんかでは収まらないくらいに揺さぶり、情緒不安定が目前に迫るほどに気がおかしくなる。


 彼女の長い脚にはスカートよりもスラックスの方が似合うという事は僕が言わずとも彼女自身で自覚しているみたいで、彼女を見かける時はいつもパンツスタイルだった。


 僕は彼女のそのような媚びない姿にも痛いくらい心を鷲掴みにされる。


 「おいキョウ!」


 僕の背中に鋭い痛みが走るのと同時に、僕の体は痛みに反応するかのように起き上がる。


 「もう授業終わったぞ」


 呆れと嘲笑交じりの声が僕の覚醒しきっていない耳に這う。


 黒板の前に立っていた薄らハゲた教師の姿はそこにはなく、背後から聞こえた声の方へ顔を向けると声の調子とは裏腹に、笑顔のユウヤが立っていた。


 「おはよう、キョウちゃん」


 「なんだよ気持ち悪い。早く飯食おうぜ」


 寝起きから陸軍大佐のような存在感のある男の笑顔を見せられた僕は、形だけの悪態をついてユウヤのおどけをかわした。


 そんな僕の一声に「そうだな」と返したユウヤは、僕の前の席にいつも通り勝手に座り、弁当箱を広げ始める。


 僕の机に2つの弁当が広がり、いただきますなんて言いながら弁当箱の留め具に手をかけたその時、僕の肩にそっと小さな手が触れた。


 その瞬間、というかなんとなく察していた気配に合点がいくのと同時に、やっぱりといった呆れと困惑と、少しの怒りがコールタールの様な粘度で混濁した。


 「どうしたの?」


 僕は努めて優しい口調で背後を振り向きながら話しかける。


 彼女たちの表情は様々で、だけど一貫して言えるのは醜いという事。


 好奇心に満ち溢れたピエロのような笑顔も、申し訳なさそうなふりをした嘘の困り顔も、私は関係ないと言いたげなそっぽを向いた顔も共通して偽物で、どこを切り取っても美しくなくて、それでいて普遍的だった。


 僕の好きな彼女はもっとクールで、不思議で、それでいて僕の興味を掻き立てられる。


 すべてを理解したいのに、何も分からない現状の神秘さに陶酔している。


 あまりに矛盾した少し哲学的な思考回路ではあるけれど究極的に行き着く先は結局一緒になりたいなんて、とても人には言えないくらい俗物的であった。


 「今日、雨で外に出れないからさー・・・・・・・・私たちと一緒にご飯食べない?っていうお誘いよ」


 僕の肩を叩いた、僕に1番近い彼女・・・・ではなく、少し後ろで腕を組んだいつも僕にちょっかいをかけてくるあの子が傲岸不遜な態度と粘ついた声音で僕をランチへ誘う。


 「そうそう、私たちなんだかいつも一緒にいるから関係がマンネリ化?しちゃってさー」


 「なにそれひっどーい!」「でも事実じゃん?」


 「てか、あんた達もそろそろマンネリ化してきたんじゃない?ねぇ熊本君?」


 腕を組む彼女は、僕の前に静かに座り蚊帳の外をいいことに昼ご飯をパクついていたユウヤの肩に手を回し、「そうでしょー」なんて言いながら同意を強制する。


 ユウヤは突然のことに驚いたのか、「え、あ・・・・」と言葉にならない声をみっともないくらいに連発し、そして頬を紅潮させていた。


 視線をキョロキョロと泳がせ、握っていた箸はまるでアルコール中毒者のように小刻みに震えている。


 けれどユウヤはそんなことを悟られまいとぎこちない笑顔を浮かべ、「俺たちにマンネリ化なんてないよなぁー」なんておどけたふりをする。


 僕の瞳に反射して映るユウヤの今の姿はあまりに惨めな虚像で、僕たちに迫る彼女たちのように醜くて、どこまでも偽物で。


 だからこそ僕は今のユウヤを心底軽蔑しているし、人間臭さに息を止めたくもなる。


 だけど僕の心の中にユウヤに対して嫉妬心があることも、僕の心にズキズキと突き刺すような痛みによって知らされる。


 正反対の2つの気持ちが僕の中に潜む黒い何かを呼び覚まし、意識的にひどいことをしてしまいそうになるのをこらえ、僕は努めて冷静に口を開く。


 「僕は別に構わないよ。断る理由もないしね。ユウヤはどう?」


 「へ、あっ・・・・・・まぁキョウがいいなら全然かまわないぜ」


 へへっと震えるでポリポリと頬を触るユウヤは照れと喜びと言葉では表現できないいろいろな感情に押しつぶされぎこちない笑顔を浮かべていた。


 俺はどっちでもよかったんだけどなと言いたげなユウヤの口振りに少しばかり苛立ちを覚えたが、今のユウヤの惨劇を見るとそんな気は失せた。


 「きゃーありがとう!」


 もはや嬌声といっても過言ではないくらいの甲高い声が聞こえたのと同時に、ユウヤの肩に手をまわしていた女の子は勢い余って思い切りユウヤに抱き着いていた。


 僕の肩を叩いた女の子や、困り顔で佇んでいた女の子も喜びを隠せないのかぴょんぴょんとその場で飛び跳ねていた。


 5分もない時間の中でここまで表情や感情を豊かに表現できる人間ってやっぱりすごいと改めて思い知らされた瞬間だった。


 それと同時に彼女たちを見ていると、先ほどユウヤに抱いた嫉妬心がどんどんと昂っていく。


 僕だってこんなにも醜くて、人間臭い恋というものをしてみたい。


 触れられないものへ抱く神秘性や儚さに焦がれるだけで終わりたくない。


 泥臭く恋がしたい。惨めな恋がしたい。


 振られたって嫌悪されたってかまわない。


 僕は今日、彼女と出会うだろう。


 雨の日は必ず彼女に出会う。


 話しかけよう。


 雨降って地固まるついでに僕の決意もこの雨に固めてもらえるよう、僕は少しばかりの勇気を雨に願った。






 「じゃあそろそろ帰るわ」


 僕は浮足立つ気持ちを抑えきれず、下校のチャイムが鳴ったその瞬間に席を立ち、ユウヤに帰宅を宣言する。


 普段はなんだかんだユウヤやその他の友達と何気ない話でお茶を濁してから帰るのだが、今日は彼女に会えるという喜びが目前に迫っている。


 馬鹿な話もピンク色の話も嫌いじゃないけれど、それはいつだってできるし。


 なにより昼休みに固めた決意が揺らぐ前に彼女と会いたかった。


 「それじゃ、また明日」


 僕はユウヤの広くて大きい肩をポンと叩き横開きのドアへ歩く。


 「ちょっと待てよ」


 声と同時に僕の進行は阻まれ、グイっと引き寄せられる。


 握られた左手首の力が乱暴で、僕を呼び止める声には強制力のようなものがあった。


 「なんだよ」


 「今日、一緒に帰らないか」


 苛立ちを帯びた僕の返事とは裏腹に、ユウヤの声にさっきまでの威勢はなく、僕の顔色を窺うその表情はどこか頼り無げで、それでいてその瞳はまるで子犬のようにウルウルとしていた。


 そんな顔をされてしまっては僕もユウヤのことを無下に扱うことはできない。


 根明でお調子者のユウヤがこんな表情を見せたのは初めてかもしれない。


 友達として見過ごすわけにはいかない。


 僕は出来るだけ柔らかい表情を作り、出来るだけ明るく優しい声を意識して「今日は一緒に帰るか」と返事をした。






 僕の少し前を歩くユウヤの背中がいつもより小さく感じるのは、ユウヤのことを見損なったとかそういうわけではなく、僕が勝手に作り出した無敵のユウヤの虚像がぶち壊されたからなんだろう。


 それは突き詰めると僕の勝手な幻想で、身勝手な期待で、ユウヤにすればたまったものではない。


 ふざけるなとこの場で張り手を食らっても文句は言えない。


 いつのまにかユウヤに対して完璧を求めてしまった僕はあまりに弱者だ。


 「その・・・・・・・・あれだ。すまない」


 「キョウが謝ることなんて何もないだろ。それに俺は今からキョウに最低な事を言うんだ。だから・・・・謝るのは俺の方だ」


 「最低な事?なんだよそれ?」


 キョトンとする僕を前に、据わった視線を僕に投げかけるユウヤは困った表情を浮かべたり、苦虫を嚙みしめるような表情を浮かべたり、怒りを堪えているようでもあり、見る角度によって捉え方が変わるその表情を目の当たりにした僕は何とも言えない恐怖を感じた。


 最低な事?ユウヤが僕に?


 あまりにも想定していなかった返答に僕の脳内は混乱していた。


 2人して傘を忘れた僕たちは雨に打たれながらゆっくりと帰路をたどっている。


 僕たちの間に流れる気まずい沈黙はコンクリートを打ち付ける雨音によって少しだけ緩和されていた。


 だけどそれも時間の問題で、制服が水を吸って重くなっていくのと同時に、醜くて粘っこくて黒い何かを僕たちの間に流れる空気が吸い込んでどんどんと重みを増していく。


 だんだんと見て見ぬ振りが出来なくなる現状はまるで背中に崖を背負っているかのような緊迫感とどうしようもない徒労感を彷彿とさせた。


 見るに堪えない、視線を背けたくなるような現状から僕は逃げるために足元の水たまりを意味もなく見つめ続ける。


 降り注ぐ雨のせいで水たまりに映る僕の顔が歪んで見えた。


 あぁ早く彼女に会いたい。


 背後から車がこちらに向かって走ってくる音が聞こえる。


 僕は道の端へ寄り車から自分を守る。


 不意に僕の隣を走り去る車のサイドガラスに目をやる。


 「あっ」


 気付いた時には僕の体は動いていた。


 「おいキョウ!どうしたんだよ!」


 そんなユウヤの声は雨音に搔き消された。


 いや、掻き消した。


 今は彼女のことだけ考えたい。


 足元で跳ねる水滴がスラックスを濡らす。


 雨のせいで額に張り付いた髪の毛を走りながら掻き上げ、重くなったブレザーは脱ぎ捨てた。


 その瞬間に少し軽くなった体は一心不乱に彼女のことを追い続ける。


 真っ黒な軽自動車の後部座席に乗った彼女に追いつくために。


 目が合ったんだ。間違いなく僕の方を見ていた。


 不安で少し困っていて、それでいて何かを心配しているような瞳が僕の瞳とバッチリ合った。


 なら僕にできることは彼女を追いかけて、側にいてあげることだけだろう。


 迷惑じゃなければいいな。出来れば事情も聞かしてほしいな。


 落ち着いたら名前とか連絡先も聞きたいなぁなんて。


 だけどただの人間が車に追いつけるわけもなく、僕と車との距離は次第に離れていった。


 軽快だった足取りもどんどんと重くなっていき、呼吸器官が悲鳴を上げている。


 「はぁはぁはぁ・・・・キョウどうしたんだよ」


 僕に追いついたユウヤは息を切らしながら僕の肩に手を回す。


 「か、彼女が僕の目の前に。だけど・・・・はぁはぁ・・・・どっか行っちゃった」


 「彼女?キョウ、お前彼女がいたのか!?」


 妙に食いつくユウヤは肩に回していた手を離し、改めて僕の両肩に手を置き、僕を勢いよく揺さぶる。


 その姿に冗談の色はなく、どこか切羽詰まったような様子だった。


 さっきから降っている雨とは温度の違う水滴がユウヤの顔を這うように流れ落ち、だけど本人はそんなこと微塵も気にしていない。


 異様で異常でそれでいてひどく恐ろしい。


 ユウヤの今の姿は僕の一言一句を逃すまいと神経を研ぎ澄ましているようで、まさに獲物を捕らえる獣そのもののようだった。


 言葉を選ばなければ殺されてしまうという畏怖の念が体に呼応するかのように鳥肌が立つ。


 「彼女っていうのはそういうのではなくって・・・・・・・・」


 目にかかろうとする水滴をシャツの袖で拭ったその時だった。


 仄かに光を放つコンビニエンスストアの側で彼女が屈強そうな体つきをした男に両肩を掴まれ、襲われている光景を目にする。


 彼女が逃げ回ったせいか2人の息は荒く、そして彼女のブレザーは何故か脱がされていた。


 あの男が狙っているのは彼女の貞操なのかもしれない。


 彼女が僕以外の知らない誰かに汚されてしまう。


 そう思うと僕はいてもたってもいられなくなって、無意識のうち、その光景を見つけた瞬間に僕の足は濡れた地面を強く踏み込んでいた。


 風と雨が僕の顔面や体を打ち付ける。


 無我夢中、死に物狂いで道路を挟んだ距離にあるコンビニエンスストアへ走りこむ。


 「彼女に触れるな!」


 白い中央分離線を踏むころにはそんな叫び声を上げていた。


 誰かの怒声が聞こえる。クラクションの音も聞こえる。


 けれど今の僕には関係ない。


 道路交通法も、倫理観も、自分自身も何もかもかなぐり捨てて僕は愛する人を救いに行く。


 これが恋なんだと、これが愛なんだと心の奥底でようやく理解した。


 そして僕は握り拳と同時に決意も固める。


 勝算のない無謀な戦いに身を捨てに行く。


 「うぉぉぉぉぉぉ!」


 間抜けな僕の声が彼女たちの下に届いていることを願って、僕は頑強そうな男の顔面目掛けて拳をふるう。


 怒りに震える僕の両足が、死中求活の思いで繰り出した僕の拳が、彼女の心に少しでも刺さって多くは望まないからできることなら僕という存在を認知してほしい。


 彼女にとって絶体絶命なピンチの状況でこんな邪な事を考えるのはあまりにも無礼だけれど、救いに向かっているという今の僕の勇気で帳消しにしてくれれば幸いだ。


 勢いそのままに僕の拳が僕の頭を横切り、男の顔面に届くと目視した。


 「・・・・・・・・あれ?」


 しかし僕の拳は空を切り、コンビニエンスストアのガラスに映る僕の姿はまるでおもちゃ屋でテンションの上がった子供のようだった。


 「どういうことだ・・・・・・・」


 今の今までいた彼女たちの姿がそこにはなく、空を切った拳は力の抜けた僕を象徴するかのように腕と共にだらんとだらしなく垂れ下がっている。


 雨はいつの間にか勢いを失い、それはまるで緞帳が垂れ下がり現実に引き戻されたようで。


 だけど僕は現実と空想のはざまで疑問符を浮かべながら右往左往しているような状態だった。


 間違いなく何かが終わり、僕は何かに気付いた。


 それなのに・・・・僕の理性が現実を直視させてくれない。


 「キョウ!」


 野太い声で僕の名前が呼ばれたと思ったその刹那、僕の腕は強い力でどこかへ引っ張られる。


 足がもつれそうになるのを修正することに必死だった僕はされるがままにどこかへ連れ去られた。


 気付けばそこに人影はなく、何かのパイプや換気扇でひしめき合う路地裏にいた。


 「おいキョウ!大丈夫か?」


 「え・・・・あ、あぁ」


 呼吸が整い、明確に意識をコントロールできた今、僕は目の前にいる人間を視認した。


 「ユウヤか・・・・・・・・彼女は、彼女は大丈夫なんだろうか」


 あの時いつも通り急に消えてしまった彼女の安全をユウヤは確認してくれただろうか。


 「キョウの言う彼女ってのは一体誰のことなんだ?」


 「何を言ってるんだよ。いたじゃないか!コンビニの前でガタイのいい男に襲われていた女の子が!」


 困惑と苛立ちを上手く隠せなかった僕は、目の前のユウヤに当たり散らすように強い口調で言う。


 そんな僕を目の前にしてもユウヤの表情に変化はない。

 

 「なら、その彼女ってのはどんな奴なんだ?」


 「彼女は・・・・少し癖のあるショートヘアーで・・・・それでいて黒髪で、目が大きくて、鼻筋も細く、口も小さくて・・・・それにとっても華奢で、手足も長くて・・・・・・・・すごく魅力的なんだ」


 「そうか・・・・・・・・」


 ユウヤは曇天の空を仰ぎ見る。


 何かを逡巡しているようなその仕草に苛立ちを覚えた。


 「何なんだよ!」


 ぺしゃりと濡れたコンクリートの上に座り込んでいた僕は勢いそのままに立ち上がり、ユウヤに詰め寄る。


 人が2人並んで立つのがやっとな細い路地裏に冷たい風が流れた。


 雨で濡れた体が冷えて気温以上に寒い。


 今にも震えそうな体を必死に大声と虚勢で耐え忍ぶ。


 そうこうしているうちにユウヤの口が開く。


 もしも、ユウヤの口から彼女の悪口が聞こえたら僕はこいつを殺す。


 幸いここは路地裏。


 人の目はない。


 さぁ来いよ。








 「なんだかお前みたいだな」


 

 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 

 

 


 


 


 


 




 


 


 


 


 


 


 


 


 

 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 

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虚像の突き当り 枯れ尾花 @hitomu

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