本屋の刺客は唐突に――

川乃こはく@【新ジャンル】開拓者

第1話


 4月1日。仕事人の朝は早い。


 決戦ともいえるこの一日。

 俺は決死の思いでエプロンを締め、じっとりと汗ばむ手のひらをごまかすようにモップを掛けていた。


 ここは東京、秋葉原駅前店。

 休日にもかかわらず道行くサラリーマンや学生の通学路になっている場所だ。


 そして、今日この場所でやべぇブツの取引が行われる。


(落ち着けぇ俺。なにも例の情報をうたうような輩はいねぇはずだ。仲間を、同志を信じろ)


 失敗は即死を意味する。

 ゴクリと小さく唾をのみ、そっと噴き出た汗をぬぐう。


 ――時間だ。

 

 黒のスーツの襟を正し、トレードマークの黒帽をかぶる。

 約束の時間まで、あと五分。

 おおっと。早速ジャンキーどものお出ましだ。


「いらっしゃい」


 できるだけ声を抑えて、自然に接客を開始する。

 客に気取られてはいけない。

 だがこちらも同志であることを気取られてはならない。


 淡々と頼まれたブツを紙袋にしまい、大金を受け取る。

 単純に見えて難しい。これが俺の仕事だ。

 時折、客が目の前のブツを前に我を失いかけることもあるがこの程度、ハプニング。

 俺にとっては朝飯前だ。


 迷惑な輩はちゃちゃっと処理し、パクられる前にお引き取り願う。


「ふっ、サツの御用になるのはごめんだからな」


 そうこうしているうちに昼を過ぎた。

 ゾロゾロと群れをなして入ってくる学生たち。

 おい。ありゃ、もしかしなくても未成年じゃねぇか。

 

「ったく。あんなガキどもがこいつに手をだそうだなんて世も末だねぇ」


 まぁ、こんなたいくつな世の中だ。

 一度うわさで試したくなる気持ちもわかるが、お前らが買うにはちと早ぇんじゃねぇか?


 まぁ求められられりゃ、売ってやらねぇこともねぇが。

 次はもっと大金を握りしめてくるこったな。

 店内にサツがいねぇか目を光らせながら、ガキどもに刺激の高いブツをさばいていく。


 せいぜい楽しめよクソガキども。


 どんどんと減っていくブツに、にやけ面が止まらねぇ。

 ふっ、口コミのおかげでずいぶんなアガリじゃねぇか。

 ちょっと呟けば流行に惑わされたジャンキーどもが釣れる釣れる。


「ふふふ、今の世の中ずいぶんと楽にさばけるようになったな」


 昔はこのブツ一つ手に入れるのにずいぶんと苦労させられたんだがな。


 おおっと昼休みは終わりか。

 約束の時間まであと少しってところか。


 だけど、この時間が一番ヤバいことを俺は経験で知っている。

 なにせ、何人もの同志がやられてきた。

 油断はできない。


 お気に入りの黒帽を目深にかぶり、注意深く店内を見渡す。

 すると案の定、早速来やがった。 

 この街に似つかわしくないやけに整った体つきに、いかにもチャラい見た目の髪型。

 俺にはわかる。バイヤーだ。


「例の新作、ここに十個ほど残ってるって聞いたんだけど」

「すいやせん。あいにくと例の白いブツは品切れなんです」


 お客に申し訳なさそうな顔で愛想を振りまき、胸の内側で舌を突き出す。

 嘘だ。

 例のブツなら自分用に取り置きしているから在庫はある。

 本来、金を落とすジャンキーどもには平等にブツを売りつける寛容な精神を持つ俺だが、一応それなりのプライドってのがある。

 これはお前のような金にしか興味がねぇパンピーにはもったいなくて渡せねぇな。


「なにせ、こいつで狂っていく様を見るのが俺のお楽しみでもあんだからな」

「うん? なにかいいました」

「いえ、それより、どうしましょう。こちら次回からの予約もできますが」

「……あー、それじゃあお願いします」


 周りを気にしてか妙に居心地の悪そうな表情で帰っていくバイヤー。

 しっかりセールストークも忘れない。

 これで奴も沼に沈めば、新しいジャンキーの出来上がりだな。

 さすがは俺。

 だてに二十年、この激戦区でヤバいもんを売りさばいてきねぇ。


 さぁてと、そろそろ店じまいの時間か。


「ご来店ありがとうございました」


 最後の客を見送り、ほっとにじみ出た汗を袖で拭う。

 ブツは完売。さすがの人気ぶりだ。

 この分じゃ、次のブツはもっと仕入れてもよさそうだな。

 だけど――、


(まだだ。まだ終わりじゃねぇ)


 油断するな。ここでやられた奴らは何人もいる。

 誰が裏切るかわかったもんじゃねぇんだ。

 ブツを手に入れてつい口を滑らせる馬鹿もいる。最後まで気を抜くな。


「はやく、早くこの場から逃げねぇと殺されかねねぇ」


 客がいなくなった後、すぐさま現場の痕跡を残さないように残らず掃除を済ませ、時計を見る。


 よし、時間だ。

 何か楽しげに今日の売り上げについて話している同僚の脇を通り抜け、情報の一切をシャットアウトする。


 わりぃが、今日は語らう気にはなれねぇ。

 俺らはブツを売りさばく同志なんだ。

 そんなもんはいつでもできる。


 それより早くこのエリアから脱出しなくては。


 早鐘のように鳴る心臓を押さえつけ、店を飛び出す。

 もちろん例のブツも忘れずに、しっかりと懐にしまい込んでいる。


「はぁはぁ、ついに。ついに俺はやり遂げたんだ」


 現場から少し離れたところで、後ろを振り返り空を見上げる。

 あたりはすっかり夜だ。


 この時間まで来たら、俺を狙う刺客ももういない。


 じわじわと湧き上がる喜びに、にやけた面が止められない。

 長い間、耐えに耐えた苦難がついに報われる時が来たのだ。

 喜ぶなというほうが無理だろう。

 長かった。ほんとに長かった。

 だが今まで死ぬ思いで耐えてきたかいがあったというものだ。


 まったくこんな危険なヤマ、これっきりにしてぇよ。

 だけど俺がジャンキーである限り、この誘惑にはあらがえねぇ。


「さぁて、あとはこいつをどうひとりで楽しむか」


 だけど、その油断がいけなかった。

 刺客は突如、俺の前からやってきた。


 それはひらひらとした短いスカートに身を包んだ女子高生の集団だった。

 その手にはいかにも流行に振り回されやすいタピオカミルクティーが握られており、この街には似つかわしくないギャルのような恰好をしていた。


 だけどその軽そうな鞄には俺もよく見たブツがぶら下がっており、


「ねぇ、いま流行の乙女漫画みた?」

「見た見た『麻薬の恋でしょ」

「なんでも主人公の麗奈、優斗と結ばれるらしいね」

「え~マジでぇ。わたしぜったい直人くんだと思ってたのにぃ」


 辻斬りよろしく。

 グサリと、何気ないネタバレが、俺のこれまでの努力をあざ笑うかのように無慈悲に突き刺さる。


 それは深く、深く魂をえぐるように俺の魂を引き裂いていき――俺はこのオタクな街で続巻を待つことがどれだけ厳しいのか、身をもって味わうのだった。

 

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本屋の刺客は唐突に―― 川乃こはく@【新ジャンル】開拓者 @kawanoue

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