向かいにできた古本屋

碓氷果実

向かいにできた古本屋

 最初は、本当に普通だったんですよ。

 休憩時間に、先輩が文庫本を読んでたんで「珍しいですね」って言ったんです。先輩、いつもソシャゲやってるか誰かと喋ってるかで、読書するイメージなんかなかったんで。そしたら、

「家の向かいに古本屋さんができたんだよね。結構雰囲気良くて、何冊か買っちゃった」

 って。見せてもらったら、だいぶ黄ばんでるけど、まあ古本ならこんなもんかなって感じ。カフカの『変身』でした、読んだことないですけど。

 すぐに飽きるかと思ってたんですけど、翌日には読み切って、別の本を持ってきて。お弁当食べながら読むほど面白いのかなと思ってたら、とうとうお昼も食べずに丸一時間読むようになって。その間に本は何冊も変わって、それがどんどんボロボロになってくんです。

「先輩、読書もいいけどご飯も食べないと」って言ってみたんですけど、全然聞いてくれなくて。「何読んでるんですか?」とかも無視。

 そのうち、仕事中にデスクの下に隠して読むようになりました。小学生じゃないんだから。当然上司に怒られて。その頃には先輩、毎日すっぴんで、頬もこけて、明らかにおかしかった。

 次の日から無断欠勤ですよ。電話も出なくて、私が様子を見に行くことになって。

 初めて行った先輩の家は住宅街の細い路地に面したアパートだったんですけど、その向かいに。


 本が。山積みになってたんです。


 資源回収の日なのかと思ったんですが、多分違って。ゴミ出しの場所は別にあったんで。でもそういう感じで積んであるんですよ。

 もちろん野ざらしで、見るからにボロボロで黄色通り越して茶色くなってるんです。綺麗な一軒家の塀の前にそんなものが放置されてるから、余計になんだか異様な、嫌な雰囲気でした。

 その時、先輩が言ってたってこれのことなんじゃないか? って思ったんです。

 左右を見渡してもそれらしい店はないし、でもそこはどう見ても店じゃないんですよ。不法投棄って感じです。

 とにかく不気味で、通り過ぎようとした時「あ!」って。


 その本の山の横に、ひっそりと、小銭が積んであったんです。


 ああ、やっぱり先輩はここからんだ、って思いました。


 結局、部屋まで行っても先輩は出てくれなくて、詳しくは知らないですけどしばらくして自主退職扱いになってました。



 そう話してくれたEさんの手元には文庫本が置かれていて、それが異様なほど色褪せていることに、僕は最後まで言及出来なかった。

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