体験型書店
椎楽晶
体験型書店
ここは普通の本屋とはちょいと違う不思議な本屋だ。不定期に開店し、突発的に移転する。それなのに常連客は探し当ててでも来店し、新規の客もふらりとやって来る。
俺は雇われ店長兼唯一の店員として、この店が始まって以来ずっと店番をしている。
店の奥には階段があり、二階部分が俺の居住スペースだ。
いつも綺麗に掃除がされて、清潔な衣服がクローゼットに並び、食事時には暖かい料理が食卓に並ぶ。
俺の他には誰もいないし、料理も掃除も洗濯も出来ないし、していないのに。
不思議を通り越してやや不気味よりだが、これでおおいに助かっている。
何せ、この店は不定期で開く。営業時間もまちまちで全てがオーナー様の胸三寸。食事と一緒に置かれる【今日開店。何時から何時まで】と言う指示が全てだから、予定を立てようにも無駄って話だ。
何せ全部がパァになりかねないからな。
とは言え。これまた不思議なことに、夜更かしした日なんかに『明日は休みたい』と思うと【明日は休み】とか【午後の何時から】なんて指示書が天井からふわりと降って来て、かなり融通が効く。
衣食住の全ての面倒をみられちゃいるが、給料から差っ引かれている様子もない。全く、ありがたいオーナー様だ。
ちなみに欲しいもんは注文書に書いてあれば翌日には届く。
日常の消耗品なんかは知らずに補充されてるが、酒やらタバコやらの嗜好品や本なんかの娯楽品はしっかり給料から天引きされている。全く、几帳面なオーナー様だ。
そんな不思議なオーナー様の経営される本屋が、平々凡々、普通の本屋なわけが無い。
そう!ここは『本の
店にあるのは一つきりの棚と、板で仕切られた簡易の個室が三十程。
魔法の本棚は入店時にお客好みの本が並び、その中から選んだ一冊を胸に抱え、お客は俺から受け取った鍵を使ってブースに入る。
大人一人分が横になれる程度の個室で、寝っ転がった顔の上に本を開いて被せるが、これは魔法の本なのでどんな厚みでも重さは羽のように軽い。瞼を閉じれば一瞬で夢のような本の
被せた本の
夢の世界を文字通りどっぷり浴びて、満足した顔で客は出ていく。まぁ、大体一人当たり三〜四時間ぐらい。
物語が『終わり』を迎えれば、本は勝手に解けて消える。満足した客は、きらきらの笑顔とまだどこか夢見心地な瞳で鍵を返却し、ふわふわとした足取りで帰っていく。千鳥足も当然だろう。物語に酔っているのだ。
俺はといえば、返された鍵のタグから番号を確認し個室の清掃。
昨今は消毒液で床やら壁やらも一通り拭いて、消臭剤も散布している。
昔はここまで気にする必要なかった。せいぜいが軽く掃く程度。除菌だぁ、消臭だぁなんてことが必要になったのは、ここ最近。
まぁ、仕方ないさ。言われりゃやるよ。何せ、客商売だ。
時代が変われば人が変わり、『夢』とか『希望』とか『憧れ』なんてものは
求められる『本』は変わり、それによって客層が変わり、『夢』が変わるのも同じ理屈だ。
店ができた頃は、子供が絵本目的で利用する店だった。
虐げられる少女の出世物語に夢を見て、小人の姫様の冒険にハラハラし、百年の眠りから覚める口付けに頬を赤らめた。亀に
その頃は、こんな個室なんてなくて、夏は畳に茣蓙。冬は毛足の長い敷布の上に二〜三人で大きな絵本を寄せ合った顔に被せて一緒に夢を見ていた。
そんな子供のかたまりが、店の中にいくつも出来上がってた。
三十分もせずに夢から覚めて、また次の夢、次の夢、と渡り歩き、日が暮れて部屋が暗くなるまではしゃぎ回っていた。
子供の溜まり場になると、ちらほら大人も出入りし始める。子供だけを集めて良からぬことをする
古くからある店ならともかく、その頃からオーナーの気まぐれで場所を点々とするこの店だ。昨日今日に開いた新参ならば尚のこと。地域の住人からの見る目は厳しい。それに愛想よく笑顔でお答えするのも、店番の仕事の一つだ。
監視目的とはいえ、店の入り口から入ればお客様。魔法の本棚が反応し、とっときの一冊を勧めてくれる。物は試しに、やってもみずに批判は出来まい、と無理矢理にでも寝かせて被せればそこはもう『夢』の世界。
そうして大人も夢中になる。
逸話でしか知らない偉人の人生や、見たこともない異国のお話、愛憎
白黒で音もない声もない活動写真とは違う。『夢』に子供も大人も夢中だ。
そうして『夢』を見せる片棒担いでウン十年。
雇われてからは一歩たりとも店の外には出たことはないが、出入り口越しに見る風景がまるっきり変わることから、店の場所もまたあっち行ったりこっち戻ったりしてるんだろう。ここが何処なのかなんて、気にしたことは一度もない。
お客の服装もだいぶ様変わりしたし、客層もどんどん変化していく。
徐々に子供の年齢が上がり、今では十歳以下は滅多に来ない。十代がチラホラ、二十代から徐々に増え、メイン層は三十代〜五十代になってしまった。
見たがる『本』も絵本やら偉人伝、伝記物に純文学だったのが今ではラノベだとかマンガだとかペラペラしたもんになった。
話の中に入って眺めてるだけでも楽しんでいたのが、やれ
とはいえ、『本』も『夢』も俺がやってることじゃない。所詮、俺は雇われ店長兼唯一の店員。それだけだ。お客の要望については、どこかから聞いていたのか、素晴らしきオーナー様が次の日にはそれ、その通りに叶えてくれる。
おかげで、今日もお客はそこそこだ。
満員御礼とまではならないが、閑古鳥が鳴いたことは一度もない。
何せ、今も個室の半分はここ数日埋まったきり。
だから、そろそろオーナー様はまぁた違う場所に店を移すだろう。その時、個室に籠りっぱなしのお客がどうなるのかを俺は知らない。
時間を過ぎても出てこないお客は、最初のうちは次の朝イチで帰ったりもするが、次第に出て来なくなる。
そうやって個室の鍵が半分ぐらい返却されなくなる頃、店の入り口から見える景色が変わり、内装が変わり、個室は全て開くいて、移転している。
昔は、やたらと帰りたがらない子供や、夕方ギリギリにやってきて居座ろうとする子供が出始めると、その子供を特別に泊めてやったまま店の場所が変わったもんだ。
今じゃ、そうやって帰り渋る大人十数人程で店替え。
多分、大人と子供じゃ何かが違うんだろうな。たとえば単価とか?
今日の店番を終えて、返却のない個室もそのままに店の表看板の灯りと一緒に、店内の灯りも消える。同時に勝手にガラガラとシャッターも下がっていく。
本来なら閉店後に掃除をするもんなんだろうが、あいにくと俺の業務には入っていない。
俺の仕事はただの店番。鍵を渡して、返却されて、空いた部屋を軽く掃除することだけ。
二階の居住スペースに上がれば、今まさに出来立ての湯気を上げる夕飯が食卓に並んでいる。
明日の開店時間の記された指示を確認し、勝手の冷蔵庫から冷えた缶ビールを取り出す。風呂上がりの一杯も捨てがたいが、仕事終わりの晩酌もまた捨てがたい。
並ぶ食事をビールで機嫌よく流しつつ、今日のギリギリに帰った十代の子を思い出す。
ほんの数分前に、慌てて個室から飛び出て帰って行った子供。
久方ぶりの十代の子供。
今回は寸でで帰れたが、おそらく次に来たらその日のうちに部屋から出ては来れないだろう。
大人なら、それでも次の日朝イチで帰れただろうが、きっと出てこないならそのまま店替えだろうなぁ。
ここは普通の本屋とはちょっと違う不思議な本屋だ。不定期に開店し、突発的に移転する。それなのに常連客は探し当ててでも来店し、新規の客もふらりとやって来る。
『夢』や『希望』や『憧れ』があると魅せられる。
追って、焦がれて、溺れて、飲まれ。そうして帰れなくなったお客らは、さぁて…どこに行ったのかね?
俺はしがない雇われ店長兼唯一の店員だ。難しい話はオーナー様に聞いてくれ。
体験型書店 椎楽晶 @aki-shi-ra
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます