戦国の料理人と味見役の弥助 ~山椒合戦~

橋本洋一

戦国の料理人と味見役の弥助 ~山椒合戦~

 天正九年、九月。

 一人の男が京の二条城の廊下を急ぎ足で走っていた。

 名を栗也くりやという。武士ではないので姓はない。ただの料理人である。


 庖丁人ほうちょうにん――料理人を取り締まる役職だ――の坪内石斎つぼうちせきさいの下に着く者で、歳も若く二十歳を半ば過ぎたぐらいだ。目端がよく利く男ではあったが、どうして己が城内に呼び出されているのかまるで知らない。ただ急ぐようにとだけ、先頭を歩く美しき少年――森乱丸に言われていた。


「さて。もうじき着きますが、無礼の無いようにお願いしますよ」

「へえ。かしこまりました」


 二条城の奥の間、栗也が知らない場所の襖の前。

 確か、城の主である村井貞勝様は温厚な方で知られている。

 もし粗相があったとしても寛大に許してくれるはずだ。

 それに粗相の理由も見つからない。毎日いつも通りのことを繰り返しているのだから。


 襖が開けられて、中に通されて、乱丸に平伏するように言われてそうすると、奥から人が入ってくる音がした。


「苦しゅうない。面を上げよ」


 重厚な声。やや高めだが――と思いつつ、栗也は顔を無造作に上げた。


「――ぎゃあ!?」


 己の口から悲鳴が上がるのを止められなかった。

 何故なら顔を上げた先にいた人物は。

 天下を統一しようと日々邁進している覇王――織田信長だったからだ。


 見事な南蛮の装いの服を纏っており、顔は覇気に満ちていた。

 眼光鋭く口髭を奇麗に整えている。

 遠目から信長を見たことはあるが、まさしくその人そのものだった。


 栗也は悲鳴を上げたまま、呆然としていた。

 それからすぐに自分が無礼を働いたと気づき「も、申し訳ございません!」と平身低頭謝った。


「良い。ま、この信長を見れば誰でもそうなる」


 鷹揚に許された――いや、まだ油断ならない。

 信長が城を留守にした際、気を許して遊んでいた侍女たちを、後に全員処刑してしまった。その逸話は聞いていた栗也はとても恐ろしいと感じていた。


 全身を恐怖で震わせながら、信長の言葉を待つ栗也。

 信長は「おぬしが腕の良い料理人と聞いてな」とどこか面白がる声で言う。


「おぬしに命じる――南蛮人が喜ぶ料理を作れ。ただし、山椒さんしょを主としたものをだ」

「えっ? 南蛮人? 山椒?」


 料理のことだったので、思わず顔を上げて問い返す――乱丸が「無礼ですぞ」と叱責した。

 慌てて「失礼しました!」と頭を下げる栗也。


「……おい。あれを持って参れ」


 信長が小姓に命じて、奥からガラスの瓶に入った粉のようなものを持ってこさせる。

 小姓はその瓶を栗也の前に置く。


「これは黒胡椒くろこしょうという。南蛮人の間で高く取引されているものでな。試してみるがいい」

「へ、へえ。では失礼して……」


 栗也は粉を少量手に取り、指で味見した――刺激の強い、辛いものだと判断した。塩味を合わせれば、匂いのきつい魚でも食せるだろうとも感じた。


「おぬし、この黒胡椒なるものが山椒に似ていると思わぬか?」


 瓶を小姓に返した栗也に、信長は問う。

 栗也は自身の判断が正しいのか分からぬまま「申し上げます」と言う。


「私には風味も味も異なるものだと思います。山椒のほうが刺激も匂いも強いと……」

「であるか。ふうむ、儂もそう思う」


 信長は腕組みをして「だからこそ、南蛮人の口に合えば良い」と考えていた。


「先ほどの黒胡椒は一時期、黄金と同じ価値があった」

「お、黄金!?」

「一時期と言ったであろう。今はさほどではない。だが山椒が同じように価値を生むかもしれん」


 信長は豪快に笑って「栗也と言ったな。おぬしに改めて命じる」と言った。


「山椒を使った、南蛮人を唸らせる料理を作れ。期限は二十日後だ」

「わ、私がですか!? いったいなぜ――」

「坪内が若い料理人の中で一番の腕だと言っていた」


 信長はそれ以上、理由を言わず「では頼んだぞ」と退座しようとする。

 栗也は止めることもできず、そのまま見送ることしかできなかった。


「そうだ。おぬしの力になれる者を後で寄こそう」


 退座する直前、信長は足を止めてからそう言い残し、その後去ってしまった。

 とんでもない命令を下された栗也。

 ぼそりと呟く。


「失敗したら、打ち首かな……」

「当たり前でしょう」


 容赦のない乱丸の言葉が遠くに聞こえた――



◆◇◆◇



 二十日後には己の死が決まっているかもしれない。

 そんな極限状態の中、一人料理場にいる栗也。

 自由に食材が使えるようにと信長が配慮してくれるようだが、そもそも命じられたくなかった。


「……そうだ。逃げればいいんだ」


 自棄になった栗也はそう呟いて、愛用の包丁を仕舞って逃げようと考える――


「やはり、逃げようと、していたな」


 低音の良く響く声。

 恐る恐る振り返ると、そこには全身真っ黒な大男が立っていた。


「ぎゃああああああああああ!? な、なんだお前は!? 悪鬼か、それとも化け物か!?」

「……どちらも、似たような、ものだろう」


 黒い大男は怯える栗也に呆れていた。

 さっと包丁を向ける栗也。


「お前は、何者だ!」

「俺は、信長の護衛の、弥助という」


 大男――弥助は腕組みをして、自分に包丁を向けている栗也に名乗った。

 荒い呼吸になっている栗也は「や、弥助?」とやや包丁を下げた。


「人間、なのか?」

「この国に、来てから、よく言われる」


 一言一句区切りながら話す弥助に、栗也は包丁を向けるのをやめて台に置いた。

 言葉が分かるとなると、妙に怖さはなくなるものである。

 盛大に溜息をした後に「私が逃げないようにするための見張り役か」と座り込む。


「それもある。だが、味見役でもある」

「味見役? お前、南蛮の料理が分かるのか?」

「ああ。お前たちが、南蛮人と呼ぶ者と、同じものを食べていた」


 栗也は少しだけ心強いと感じた。

 はっきり言えば、南蛮人の好みを知らないのに、合った料理など作れないからだ。

 しかし安堵したのも少しの間だった。


「なんで私が……南蛮人の口に合う山椒料理なんて……」

「そんなに、難しいのか?」

「まあな。山椒は風味があるが、多用はできない。舌が痺れる感覚もある」


 舌が痺れる感覚は辛さとはまた別格である。

 そもそも、古くからある山椒だが、風味付けにしか使わない。

 ましてや山椒を味わう料理など栗也は考えたこともない。


「俺は、奴隷として、世界を歩いてきた」


 見かねた弥助が自身の知識を言い出した。

 栗也は「山椒料理を食ったことあるのか?」と問う。


「明の四川では、花山椒を、豆腐と共に炒めて、食べていた」

「ふうん。変わった食べ方だな」

「とても辛くて、さっきお前が言った、痺れる感覚もあった」


 味の記憶がしっかりとしている。

 案外、味覚が優れているのかもしれないなと栗也は感心した。


「とりあえず、作ってみろ」

「…………」

「俺は、見ての通り、大きいから、いくらでも味見ができる」


 そこで栗也は、目の前の黒人が、己を励ましているのが分かった。

 そこまで気を使われたら、作るしかあるまい。

 栗也にも料理人としての矜持があった。


「……ああ。だったら作ってやるよ」


 栗也は包丁を手に取った。

 そして魚をさばき始める。


「腹は十分に空かせているか? 身体の調子は悪くないか? 吐くまで食べられる気力は十分か?」


 栗也の問いに弥助は豪快に笑った。

 応じるように腹を叩いた。


「アハハハハ! どれも万全だ!」



◆◇◆◇



 二十日後。

 宣教師のオルガンティーノと会談していた信長。


「先日、話した南蛮との取引だが。山椒が使えるかどうかと話していたな」

「ええ。しかし実際に食べないと分かりません」


 弥助と異なり流暢な話し方をする宣教師。

 そこで御膳が運ばれてきた。

 空の飯茶碗におひつ。信長は首を傾げた。


 小姓がおひつから中のご飯をよそった――信長は息を飲んだ。

 それはぐちゃぐちゃにした魚が混ぜ込んであった、見た目の悪いものだったからだ。


「――栗也を呼べ! なんだこんなものを出しおって!」


 すぐさま呼ばれた栗也だったが、彼は怯えも恐れもしなかった。

 それどころか、冷静な目で信長と正対している。

 その雰囲気に信長は少し怒りを収めた。


「おぬし。なんだこの料理は」

「山椒をかけてお食べください」


 栗也の顔は青ざめていた。

 だが覚悟ではなく確信を感じている顔つきだった。

 絶対に美味しいという料理人の確信――


「……であるか。オルガンティーノ、食べてみよ」

「……あまり上品な食べ物ではありませんね」


 そうは言うものの、オルガンティーノは山椒をかけてから、匙で掬って食べ始めた。

 一口食べると、彼の青い目は大きく見開いた。

 二口、三口。そして最後はかきこむように食べ始めた――


「お、オルガンティーノ? どうした?」

「……はっ!? これは、危険でございますよ!」


 気がつくと、オルガンティーノの茶碗の中身は無くなっていた。

 信長はふむと思いつつ、自身も山椒をかけて食べてみる。


 な、なんだこれは? と信長は思った。

 ぐちゃぐちゃな身なのに骨が無い。それどころか塩味と山椒の刺激が温かいご飯とぴったり合っている。

 魚の香ばしい味とぴりりとした風味が絶妙で、噛めば噛むほど旨味が染み渡ってくる。

 美味い、美味すぎる!


「――お気に召したでしょうか?」


 栗也の言葉にハッとして箸を止める信長。

 茶碗の中身は、残っていなかった。


「おぬし、何をした?」

「この時期、最も美味しいのはさんまでございます。さんまの骨を取った身を出汁と共にご飯で炊いたものです。ねぎと山椒をふりかけた、単純なものですが……味は抜群です」


 信長はうーむと唸った。

 悪くない組み合わせである。むしろ良いと言っていい。

 日本の米を使った点でも評価できる。南蛮人は米ではなく小麦を主流にしている。ならば米の価値が上がる可能性もある。


「この組み合わせを考えるのにどのくらいかかった?」

「二十日間まるまるでございます。正直、弥助殿の力が無ければ、間に合いませんでした。何でも明には炒飯なるものがあると教えてくれました。ならばと思い作った料理です」


 大食漢で南蛮人の舌を知っている弥助の協力がなければ完成しなかっただろう。

 信長は「見事なり!」と褒めた。


「栗也、おぬしに褒美をくれてやろう。何が欲しい?」

「……失礼ながら、申し上げます」


 栗也は深々と頭を下げて、信長に懇願した。

 それは覚悟あるものの姿だった。


「弥助殿と共に、料理を作らせていただきたく存じます。私自身、まだまだ腕を高めたいのです」

「……ふははは! 火中の栗を拾わせろと申すか!」


 信長は満足したように豪快に笑って、びしっと栗也を指さした。


「良かろう。おぬしを儂の料理人として命ずる! 弥助も貸してやるわ!」

「――ありがたき幸せ!」


 時は天正九年、秋ごろのこと。

 後に天下に名を轟かす料理人、帝も認める男、栗也と弥助の若き日の逸話であった――

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