第30話
「なんかさ、空のお母さんにそんなつもりは全然ないって分かってても『空をよろしく』とか言われたら「ちゃんとしなきゃー!」ってなるな」
くすくす笑うりっくんの頬がほんのり赤い。
「付き合ってる子の親に会う、とか今までなかったから毎回すげぇ緊張する」
「そうなの?」
慣れてるんだと思ってた。何人も彼女がいたから。
「そうだよ、ほぼほぼ会ったこともないよ。送ったとしてもマンションのエントランスまでとか、家の門までだし。言い方悪いけど面倒くさいじゃん、親に挨拶とか。そもそもそんな、すげぇ好きで付き合ってたわけでもねぇし」
少し口元を歪めながらバツの悪そうな顔でりっくんが言う。
「だからこんなん初めてなんだよ」
照れくさそうに笑う表情も格好いい。
「…僕はこうやって出かけるのも初めてだよ?」
好きな人と二人で出かけるなんて…。
「え、あ、そっか。デート初めてか。うわ、ごめんな?初が本屋で」
「デ…、ううんっ。全然そんな…っ、本屋さん好きだしっ」
デート、なんてはっきり言われたらドキドキが止まらなくなる。
「それに…、家庭教師の一環、だし」
「うわ、そうだった。ダメだ俺浮かれてる。空といるの嬉しすぎて」
もう駅前まで来てて周りには結構人がいるけど、りっくんは僕の肩を抱いたまま離そうとしない。僕がICカードに現金をチャージする間もそのままで、離したのは改札を通る時と階段を昇る時だけだった。
「なんか人多いな。今日何かイベントでもあんのかな」
土曜日の午前中にしては混んでいるホームを、りっくんは今回も背後から僕の両肩に手をのせて、目当ての乗車ポイントまで誘導してる。
「あ、そうか。ゴールデンウィークだ」
掲示板のポスターを見てりっくんが言った。
「全然忘れてた。やばいな俺」
「僕も忘れてた…」
「そっか、俺ら二人ともやばいな」
そう言って二人で笑った。
快速の乗車列の最後尾に並んで、りっくんは僕の肩から手を下ろした。
ホームに並んでる間は肩は組めない。縦並びだし。
って思ってたら、りっくんが僕の頭に顎を乗せた。
「これ電車も混むよなー。まあ平日のラッシュよりはマシか」
くっついてる頭と背中から、りっくんの声が響いて聞こえる。
ちょっと、周りの目が気になる。女の子たちがチラチラりっくんを見てる。
りっくんは見られるのに慣れてるのか、全然気にしてないみたいだ。
電車到着のアナウンスが流れて、間もなく銀色の車体が滑り込んで来た。
りっくんがまた僕の両肩に手をかける。大きな手に包まれた肩が暖かくて、周りから守られてるみたいに感じた。
予想通りに電車は混んでいて、だから前みたいにドア付近には立てなくて、車内中央あたりまで進んだ。ぎゅうぎゅうではないけれど混んでる、そんな感じ。りっくんは高い位置の手すりを持って、僕は吊り革に掴まって隣同士で立った。目の前の座席に座ってる二人組のお姉さんが、ちらっとりっくんを見上げて、顔を寄せ合ってこそこそ何か喋ってる。
電車がガタンと揺れて、僕はぐらりとよろけた。吊り革って掴まっててもグラグラする。
「空、吊り革やめて俺に掴まる?」
りっくんが僕の耳元で囁いた。胸がドキンと鳴って息を飲む。長身のりっくんを見上げたら「どうする?」って感じで僕を見てた。
どうしよ。
本音では、くっつきたい。でもでも…。
またガタンと電車が揺れて、かしいだ僕の身体にりっくんが長い腕を回して支えてくれた。
「このまま支えていくのと、俺の腕に掴まるの、どっちがいい?」
囁かれる低い声に、耳がぶわっと熱くなってきた。前の座席のお姉さんたちがこっちを見てる。
「…う、うで…っ」
僕を見てるりっくんに小さく告げると、りっくんはうんうんて頷いて、僕に回していた腕を外した。そして肘を僕の方に「ほら」って出した。
その肘に、手を伸ばす。
視界の端に、お姉さんたちが口元に手を当てたのが見えた。
恥ずかしい。顔熱い。でも…。
りっくんの腕に腕を絡める。もう前を向いてるのが恥ずかしいから、両腕でりっくんに掴まって肩口に顔を伏せた。シャツ越しにりっくんの体温を感じる。
そのまま降りる駅までりっくんにぴったりくっついてて、「行くよ」って言われて、うんって頷いて電車を降りた。
大きい駅だから、休日を楽しむ人たちでホームは混んでいた。僕は時々しか来ないから、駅構内の道順は覚えてないけど、りっくんは通学で使ってるからか、迷いなく進んで行く。改札が見えてきて「カード出さなきゃ」って思った時、ようやくりっくんと腕を組んだままなのに気付いた。
「あ」って思って見上げたら、りっくんはくすって笑った。
「気付いちゃった?俺はこのまんまで全然いいよ?」
そうは言われても、気付いてしまったら難しい。
「…カ、カード、出すから…」
そう言い訳をしながら、りっくんから腕を離した。
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