第25話/O2



 意気揚々としている慎也に対して、砂緒は非常に焦っていた。

 少しづつマンションが近づいてくる、後少しで着いてしまう。

 そうなると、どうなってしまうのか本当にご飯を作るだけで済むのだろうか。


「あ、あの、……慎也くん? そのぉ……怒ってない? ほ、ほら、私ってば泣いて逃げちゃったし」


「まさか、あれは俺が悪かったんだよ。それに気づいたんだ……君を尊重するフリをして傷つくことを恐れてただけだって」


「っ!? そ、そう、なの……。じゃあ、……ごくっ、はぁ、はぁ、ご飯食べて……それで終わり?」


「ははっ、そんな訳ないじゃん。安心してよリードするから」


(何をリードするのーーーーーー!? え、このまま流されちゃダメじゃないのこれっ!?)


 率直に言って、貞操の危機を砂緒は感じていた。

 今日の下着はどうだったっけとか、冷蔵庫の中身はとか余計なノイズが思考の邪魔をする。

 記憶がないから初めてだから、こんな、なし崩し的には嫌なのに。


(すっごいドキドキしゅる!! はわわわわっ、ノーって、ノーって言うのよ私!!)


 記憶がないから、思い出さないまま結ばれてはいけないと思う。

 記憶が無くても、愛されることを嬉しく思う。

 その相反する二つをうまく飲み込めないから、断らなければならない絶対に。


「そ、その慎也くん!! そういうのってまだ私たちって早いと思うの!! うん! 心の準備とかさせて欲しいなって!! だってまだ私、全部思い出してないしっ!!」


「ああ、まだ言ってなかったね。――好きだよ砂緒、愛してる」


「…………ほへ??」


「もっと早く言えば良かったんだ、夏に出逢った君もさ、今の君も……両方好きで愛してる、俺にとってどちらも同じ君で、うん、逃げずに言えばよかったんだ」


「………………っ!! そ、それって~~~~~~っ!?」


「この先さ、君の記憶が戻っても戻らなくても俺を砂緒の側に居させて欲しい…………一緒に居たいんだ」


 ストレートに告げられた愛の言葉に、砂緒の顔は首筋まで真っ赤に染まった。

 嬉しい、そんな簡単な言葉さえ出てこない程に嬉しくて。

 心臓がドキドキしすぎて死んでしまいそう、夢みたいだ。


(ずっと、ずっと――)


 産まれる前から、この言葉を望んでいたような気すらする。

 埋まっていく、暖かい何かで身も心も包まれていく様な感覚。

 今ならきっと、心の底から彼のことが好きだと言える、愛してると返せる。

 ――――砂緒がそう微笑んだ瞬間であった。


「………………ぁ」


「うん? 砂緒? どうしたの大きな口開けて」


「う、ぁ、え? ~~~~~~~~~ッ!?」


 返事が出来ない、彼が何を言ってるか理解できない。

 それ程までに彼女の脳に情報が溢れかえって、思い出されていく、次々に流れていく、合わさっていく。

 夏の記憶が、思いが、心が、するりと驚くほど抵抗無く今の砂緒へと統合されていって。


「砂緒? どうしたの? ……もしかして頭痛い? 病院に行く?」


(うああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!! 何してるの私いいいいいいいいいいいいいッ!!)


 全てを思い出した途端、砂緒の顔がまたもや赤く染まった。

 恥ずかしい、恥ずかしすぎる、慎也が何故に何も言わず側にいたか、己がどれだけ彼を愛し運命を感じていたか。

 先ほどまでの夏の記憶を喪った状態の己が、どれだけ滑稽であったかを理解してしまったからだ。


(恥ずかしぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ、え? 全部悪いの私じゃんっ!? しかも中途半端に思い出して大嫌いとか言っちゃったし、むしろそれでまだ愛してるって言ってくれてるのが奇跡って言うか――――)


 とにもかくにも恥ずかしい、恥ずかしさで死んでしまいそう。

 なんたる醜態、まともに愛する彼の顔が見られない。

 でも、言わなければ、伝えなければと砂緒は勇気を振り絞って。


「…………あ、ありがとう慎也くん。私との約束を守って側に居てくれて、私の全てを愛してくれてありがとう。全部思い出したのっ――――好き、好きだよ慎也くん、愛してるっ!!」


「……………………砂緒?」


 突然の感謝に、慎也は混乱した。

 その口振りはまるで、記憶が戻ったと言わんばかりで。

 けれど本当にそうなのか、記憶がこんな簡単に戻る訳がない。


「くッ……ごめん砂緒、嘘なんてつかせちゃって。……俺を思いやって、そんな、ううっ」


「はいっ!? いやウソじゃなくてっ、戻ったの! ムリなんてしてないっ、記憶がたった今戻ったの!!」


「分かってる、分かってるから……疲れてるんだよ砂緒、帰ったらすぐに寝よう、一人で眠れないなら眠れるまで側にいるから」


「え、ホント! ――じゃなくてっ、ウソじゃないったらっ!!」


 あっるぇー?? と砂緒は焦りに焦った。

 自業自得でもあるが、ない、これはない、余りに想定外だ。

 思い出したのに、ラブラブどころか妙な誤解を生んでいる始末。


(ど、どどどどどどーしようっ!? 信じて貰えないとか聞いてないよーー!? 何とかして信じて貰わなきゃ変な誤解のままなんてイヤっ!!)


(ははっ、そうだよな。言葉は言葉だ、ちゃんと実行に移さないと――愛してるって所を見せないとダメなんだ)


(こうなったら…………ちょっと恥ずかしいけど体でわからせるしかないよねっ!! パーフェクトになった今の私なら慎也くんの心も体も籠絡して説得できるはずっ!!)


(まずは決意、覚悟表明だよね、なら俺は――――)


 砂緒が女豹と化す前に、慎也は服の下からネックレスにしていた指輪を取り出して。

 チェーンから外すと、有無を言わさず彼女の手に握らせる。

 事態が飲み込めず、ぽかんとする彼女に彼は告げた。


「返すよ」


「………………ぁ、ぇ?」


 返す、何を、渡された物は、掌の中にあるのは何だ。

 信じられない、信じたくない、指輪を返された意味を悲観的に受け取ってしまった砂緒の目からは即座に大粒の涙がこぼれそうになって。

 その心が、瞬時に絶望へ落ちそうになった寸前。


「もう一度……ううん、何度だって言うよ砂緒。俺、灰海慎也は君のことを愛してる、好きだ、好きです、だから……もう一度、俺と恋人になってください」


「慎也くん……?」


「その指輪は、君がまた俺に相応しいって思った時に渡してよ。そうなるようにさ、そうなった後も……君を幸せにする」


「い、いやいやいやいやっ!? 嬉しいけどぉっ!! 嬉しいけど誤解っ、誤解だよ慎也くん!! ホントに記憶が戻ったんだってっ、ね? ね? だから指輪も持ってていいのっ、だって私の恋人なんでしょ? なら持っててよぉっ!!」


「無理しなくていいんだよ砂緒、声が半分泣いてるじゃん」


「これは嬉しいんだってホントにっ!!」


 今、砂緒の情緒は壊れてしまいそうであった。

 こんなに熱烈に愛されて嬉しいのに、肝心の慎也の認識が明後日の方向で。

 きゅんきゅんして胸が甘く疼く一方、早く誤解を解かないと大変な事になると焦燥感が襲う。


「ああもうっ、ならデートっ、デートしよう! 本当に記憶を思い出したって証明しちゃうから、明後日はデート!!」


「なるほど……告白をやり直せる機会をくれるんだね。――――君をメロメロにできるように頑張るよ!!」


 そうして、二人はまたもデートをする事となり。

 次の日である。

 デートでばっちり決める為に、慎也は親友の一蓮を家に呼んで。


「頼むっ、相談にのってよ一蓮!! 記憶が戻ったってウソを言う砂緒を素直にしつつ俺にメロメロにするようなデートの計画を立てるからアドバイスプリーーズ!!」


「おうよ親友!! このボクに任せろ!! でも記憶が戻ったのなんのはちゃんと説明しろよこの野郎ッ!!」


 まずは、決戦に向けての準備が始まったのであった。


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