第4話/ランチタイムの攻防



 ――実のところ、朝から慎也は戦々恐々としていた。

 昨日、財布を囮にサクリファイスエスケープしたまではいいが。

 それはつまり、食事抜きという現実を意味して。


(やられたッ、クラスのみんなの前でお昼の誘いだなんて……断ったら女子達に睨まれるッ、けど誘いに乗ったら男子達に殺されるっ!!)


(ふっふーん、分かってるんだから。――貴方のような男の子って、絶対に買い置きなんてしてない。何故かそんな確信がある)


(昨日の晩と今日の朝、そして……砂緒のお弁当、ああ……絶対に美味しいヤツだ、俺は手料理を作って貰ってきたから知っているッ!!)


(財布を餌に呼び出されると思った? そんな安直なことなんてしないよ。――土下座して懇願するまで追いつめてやるんだからっ)


 まさか、彼女がこんな方法で来るとは露ほども思わなかった。

 慎也がよく知っている砂緒は、記憶喪失の時の素直な彼女であった事も幸いしていて。


(くっ、どうする早く返事しないとッ、最悪の場合はクラスの全員が敵に回るッ)


(読み違えたって顔しちゃって、後悔しても遅いの。……貴方がどう出ようとも私の有利は揺るがない、白旗をあげる以外に返事はない、そうでしょ?)


 机を間に挟んで、座ったままの慎也と見下ろしている砂緒、交わる二人の視線にクラスメイト達は興味津々で注目する。

 断れば総叩きな上に餓死の可能性まである、だが慎也は口元に小さく笑みを浮かべた。

 それに気づいた砂緒は、嫌な予感に襲われて。


「理由は分からないけど九院さんにお昼を誘われるなんて光栄だね、――でも、一緒に食べるなら条件が一つだけあるんだ」


「随分と傲慢じゃん灰海くん? 貴方はリクエスト出来る立場だとでも?」


「まぁまぁ、俺にも利益がないとね」


「へぇー、そーいうコト言うんだぁ……」


 砂緒は目を細めて笑って、慎也もにこやかに。

 だが周囲には少しも楽しそうには見えず、バチバチと火花が散っている様にすら見えた。

 然もあらん、二人の会話は何も知らないとランチの誘いの主導権争いに聞こえるだろう。

 ――だが。


(はっ? なにコイツ、探すの協力してやるから利益を寄越せって?)


(無条件で受けても良いんだけどね、でも……今の俺はお腹が減ってるし、何より……隠し通さなきゃいけないから)


 慎也は無意識にシャツの下に隠したネックレスを、彼女から送られた愛の証である指輪を服の上から握りしめた。

 砂緒からしてみれば、それは緊張して不安になっている証拠に思えて。

 だが彼からしてみれば違う、それは決意の表れでもある。


「場所は何処でもいいけどさ、……せっかくお弁当を作ってきてくれたんだし、あーんで食べさせてくれない?」


「ほえ??」


 想定外の言葉に、丸く大きい目を砂緒が見開いた瞬間。

 同時に、クラスの男子達が沸き立つ、言いやがっただの、死んだわアイツだの、勇者だなど、一線を越えたな、後でコロス、今コロス、等々。

 嫉妬と羨望を混じった視線が、慎也に突き刺さる。


「それで、どうかな? 俺としては提案を受け入れてくれると嬉しいんだけど」


「え、ええっと、それは……」


 やられた、と砂緒は舌打ちしたくなった。

 彼の提案を受けてしまえば、それはまるで己が彼のことを好きだと公言しているのと同義。

 男なんて、と常日頃言っている身とすれば、記憶喪失の間にできた恋人を排除しようとしている今。


「ダメ?」


「調子に乗らないでバカっ、やっぱ止めたっ、貴方なんかにお弁当あげないっ」


「デザートに学食のプリンを奢るよ」


「ホントっ!? 食べさせてあげる!! ………………――――――~~~~~~っ!? う、ウソウソウソ、今のウソだからっ」


「はい言質取った【ホントっ!? 食べさせてあげる!!】ほら、証拠はバッチリ」


「なんで録音してるのっ!? ずるいずっこいッ!?」


「備えあれば憂いなしってね、何事も用心しとくもんさ。――――で? どうする?」


「ううううううううううううううううううっ」


 慎也に手玉に取られている砂緒へ、クラスの女子は目を丸くして。

 対し、男子達は尊敬の念すら送っている。

 なにせ難攻不落のお姫様だ、読モをしている事もあって高嶺の花そのものでもある砂緒が、こんなに心を許しているような光景は初めてで。


(――流れが変わったね、きっとここらが引き時だ)


 財布のことは一度諦め、友人に借金してひとまず食い繋ぐべきだ。

 砂緒の側にいたいし、力になりたい。

 だが、あまりに近くに居すぎると隠し通せる自信がなく。


「今のは冗談さ。――ほら録音したのは消したよ、じゃあ俺は学食行くから、また誘ってよ」


「…………」


 席を立ち、教室から出て行こうとする慎也。

 その背中に砂緒は狂おしい程の衝動にかられ、行かないで、待って、なんて絶対にあり得ない言葉が出てきそうになる。


(どうしてっ、どうしてこんな――――)


 きゅうと胸が苦しくなる、手を伸ばしたくなる。

 この気持ちは何なのだろうか、彼ならば答えを知っているのだろうか。

 目の前の男子はストーカーだ、なら己に惚れてる訳で、絶対に何かを知っている訳で。


「――――わかった、やってやろうじゃない!! 女に……二言はあんまりないっ!!」


「ぐぇっ!? ちょ、ちょっと襟首掴まないで延びるからッ! 歩けるっ、自分で歩けるからっ」


「貴方が言ったんだよ? あーんして食べさせて欲しいんだよね? ……イヤって言っても無理矢理食べさせてあげるからっ!! ――私を舐めんなァ!!」


「アイアンクローは不味いってッ、君ったらお姫様な感じに反してゴリラみたいに握力あるんだからア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛

ッ!?」


 力付くで慎也は再び着席、砂緒に幻想を抱いていた男子はハートブロークン。

 女子達と言えば、これはラブの香りなのか、それとも別の何かなのかと緊急会議しなから生温かく見守る。

 そして二人は周囲の状況など目に入らず、強制ランチタイムだ。


「ほーら嬉しいでしょ? こんな美少女が膝に乗ってあげてるのよ? もっと喜んでよ」


「逃げられなくしてる、の間違いじゃない??」


「またまた照れちゃってぇ、どーせ童貞でしょ灰海くん、一生モテなさそうな雰囲気してるし大切な思い出にするコトを許してあげる」


「いや俺もう童貞じゃないよ? 夏休みの間に――――あ、いや何でもない、うん、何でもないから忘れて」


「…………………………………………は?」


「うん? どうしたの九院さん、そんな怖い顔して固まって、……え、皆もその表情なに? 俺そんなに変なこと言った??」


 あれ? と首を傾げる慎也。

 何故ならば、砂緒も他の全員も激しく動揺した目で彼を見ていたからだ。

 男子はこれマジで卒業した奴の反応だと、女子はお姫様が恋した瞬間に敗れ去ったように見えて。


(え、うそ、だれ、だれがこんなヤツと?? 私だってまだなのに?)


 何かがとても奇妙な感覚、だが慎也の言葉が真実だと砂緒は確信してしまった。

 不思議な喪失感と、臓腑が燃え上がるような笑いがこみ上げて口元がひきつる。


(――――こんなに虚仮にされたのって、生まれて初めてっ)


 きっと教室でなかったら、周りに誰もいなかったらグーで殴っていたに違いない。

 いつの間にか握りしめていた拳を、深呼吸してひらく。

 額に青筋を浮かべた砂緒はお弁当箱の蓋をあけると、右手に箸を、左手で慎也の口を無理矢理広げて。


「はい、あーん。……ぜーんぶ食べさせてあげるっ、お水はいらないよね? ふふっ、私の分も全部あげちゃう、――――嬉しいよね? 嬉しいって言って、ね? ね? 美味しい??」


「もぐ、もぐ、もぐ、もぐ……ごっくん、超ウマイ!! でも水は欲しい!!」


「だーめ、貴方はそこで乾いてね?」


「ですよねーー、…………畜生ッ、ウマイけどさぁッ、誰か水をくれえええええええええええええええええ!!」


 果たしてこの光景を、どう解釈したものか。

 男子と女子が仲良く談義する中、慎也の叫びが虚しく教室に響くのであった。

 ――そして放課後である。砂緒がふくれっ面で真っ先に教室から出て行く一方で、慎也は呼び止められて。


「ちょっと僕につき合えよ慎也、話したい事が……いや、頼みたい事がある」


「一蓮……、分かった、今日は一緒に帰ろうか」


 彼は小学校以来の親友にしてクラスメイト、都築一連(つづき・いちれん)と一緒に帰宅する事になった。


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