23.魔力を『混ぜる』


 ユハは、リルカの前世の事情を省いた説明を、ところどころ物言いたそうにしつつも最後まで無言で聞き、そうして真剣な表情で「……それで、リルカは本当に神から逃れられるの?」と訊いてきた。


「おそらくは……としか言えないわ。神がどこまで人間界に干渉してくるか、人の身ではわからないもの」

「リルカは神の伴侶にはなりたくないんだよね?」

「ええ。私は神の伴侶になることを栄誉とは思えないし……人として生きて、死にたいから」

「…………」


 リルカの返答を聞いて、何事か考えこんでいたユハだったが、しばらくしてしみじみと呟いた。


「できることがないのが、歯がゆいな……」

「その気持ちだけでじゅうぶんよ」

「……その神とは、魔力によってつながって、認識されたんだよね?」

「そうね。そういうことになると思う」

「だったら、もしかしたら攪乱できる可能性がある」

「え?」

「言ったことはなかったと思うけど――僕の専攻は『魔力』研究だ。人それぞれの魔力の差異や、それがどう魔術に影響するかを学び、研究にも参加させてもらっている」

「そうだったの……」

「その中の事例で、魔力同士が『混ざった』っていうのがあった。それを再現すれば、神からリルカを認識できなくできるかもしれない」

「魔力が、『混ざる』……?」


 前世でも今世でも聞いたことのない事象だった。うまく想像もできないでいるリルカの手を、ユハが握る。


「リルカ、『受け入れて』」


 ユハの魔力がユハとリルカの手に陣を描いていく。人の体に作用させる魔術にはこういうものもあるから、リルカはひとまずおとなしくそれを見ていた。

 しかし、陣が描き終わった瞬間、リルカは初めての感覚に衝撃を受けることになる。


(な……に、これ……)


 じわじわと、指の先から侵食されていくような、異物が体の中に入ってくる感覚。けれど、それが不快ではない。むしろ――気持ちいい。

 自分の中をそっとなで回され、少しずつその形を変えられるようなおそろしさがあるのに、その恐れすら快楽によってどこかへ流されてしまう。


「ユ、ハっ……ちょっと、これ……っ」

「大丈夫、『混ざる』のは一時的なことだって証明されてる」

「いや、そうじゃ……なくて……っ」


 この感覚を得ているのは自分だけなのだろうか、とリルカは思ったが、よく見るとユハも何かに耐えるような表情をしていた。リルカは魔術で使われる陣に詳しくはないが、リルカとユハの手に描かれた陣は全く同一のものであるようなので、おそらく作用は同じだろうと推測できる。つまり、リルカを襲うこの感覚は、ユハの側にも起こっているはずだった。


「……この魔術は、ある双子が作り出したんだ。他の何もかもが一緒なのに、魔力の質だけが違うことを嘆いた双子が」

「……?」

「違うならば混ぜて均して同じにしてしまえばいい、そういう目的で作られた魔術……。でも、それは永続しなかった。だから安心していい」

「いやだから、安心とかそういう問題じゃなくて……」

「そういう問題だ。そういうことにしてくれないと、……僕も、ギリギリなんだから」


 そう言ったユハの瞳の切実さに、リルカは連ねようとした言葉を呑み込んだ。ここを踏み越えると、そう、なんだか変な雰囲気になる気がする。


 それからまた少しの時をかけて、魔力が『混ざる』感覚にようやく慣れた頃、陣がすうっと消えていった。


「……っ、はあっ……」


 ユハが詰めていた息を吐く。リルカもやっと深呼吸ができる思いだった。


「……これで、僕とリルカの魔力は『混ざった』はずだ。一時的に魔力の質が変質している状態とも言える。魔力の質によってリルカを認識したのだったら、認識やつながりに何らかの影響は出ると思う。……ただ、――ごめん。先に言ったらリルカは反対すると思ったから言えなかったけど、もしかしたら神を奉じるのに支障が出るかもしれない」

「え……?」


 驚いてしまったが、冷静に考えればそれも当然だ。拝神とはつまり、神々に『魔力』を捧げることなのだから。

 魔力の質は生来変わらないものだと言われている。神々も魔力の質で個人を認識している節がある。今の状態で神々に魔力を捧げられるのかは、やってみないとわからないことだろう。


「それは……困るわ」

「ごめん」


 しかし素直に謝ってくるユハが、リルカを思ってやってくれたことには違いない。せめて先に言ってくれたら心づもりもできたとは思うが。


「責めているんじゃないわ。どうにかヴィシャス様に召し上げられる危険性を減らせないかって考えてやってくれたのはわかっているし」

「リルカは……甘いよね」

「ちょっと、今日は言いたい放題じゃない?」

「言いたくもなるよ。……事前説明なくあんなことされても、そんなふうなんだから」

「? 『言いたくもなるよ』のあとなんて言ったの?」


 ごく小声で呟かれた言葉が拾えなくて訊ねたけれど、ユハには肩を竦めてはぐらかされた。


「魔力の質が拝神にどう関わるのか、興味があるから結果を教えてくれない?」

「ちょうどいいサンプルができたと思ってるでしょう」

「そうだね。正直そういう気持ちはちょっとある」


 ユハが悪戯げに笑んだので、ほっとする。今日顔を合わせてからずっと、深刻な雰囲気だったからだ。……リルカに起こったことを考えたら、そしてユハが懸念していたことを考えれば当然なのかもしれないが。


 そう思って、ふと気になる。ここに来たときのユハは、肩で息をしていた。孤児院に帰ってきてからリルカがエセルナートとセヴェリを招いたことを知ったのならば、そうはならないはずだ。


「ユハ、私が孤児院に人を招いたのは、いつ、誰に聞いたの?」

「アスタが『魔術学院』まで走って知らせに来たんだよ。リルカ姉が男連れてきたぞ、孤児院長にまで面通ししてたぞ、何してんだって」

「アスタが……?」


 アスタというのは孤児院で面倒を見ている子どもの一人だ。リルカが孤児院にいた頃は懐いてくれていたのものの、最近はあまりリルカに寄りつくことはなくなっていたのだが。


「それで、試験も終わってたし急いで孤児院に戻ってきたわけ。部屋に向かう前に孤児院長に聞いたら、人数は増えてるし、増えた方は『セヴェリ=トゥーロ』って名乗ったって言われるし、混乱したよ」

「そうだったの……」


 そもそもどうしてアスタがユハにそれを報告しに行ったのか、という疑問が浮かんだが、それを問う前にユハが口を開いた。


「リルカのことだから、今日のうちにでも『古き神』に魔力を捧げに行きたいんじゃない? もう暗いし、孤児院の敷地内って言っても誰が入ってくるかわからない。付き合うよ」

「え、いいの?」


 ユハの言うとおり、今日のうちにローディスに魔力を捧げておきたかったのだ。エセルナートの案内のことがあったので、今日はまだローディスに祈っていない。

 ユハの申し出がなくても魔力を捧げに行く気だったが、ユハがついてきてくれるならありがたい。孤児院は土地だけは広いので、明かりの魔術が使えないリルカの場合、行くのにいろいろと準備がいるのだ。けれどその準備も、魔術が使えるユハがいれば必要ない。


 それどころでなくて飲めていなかったお茶を飲み、片付けてから、リルカとユハは連れだって、ローディスの祭壇がある場所へと向かったのだった。



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