19.エセルナートの決意
エセルナートが発した言葉に、リルカは耳を疑った。幻聴かあるいは聞き間違いか、と思ったが、その希望はエセルナートが続けた内容で木っ端微塵に砕かれた。
「俺が拝神をやめて、〈英雄神の器〉でなくなれば、少なくとも当面のリルカ殿の危機は免れられるのではないかと思う」
「え、え……?」
「幸い、この都にもヴィシャス様の神殿はある。ミズハに帰らなくてもなんとか――」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
話を進めていこうとするエセルナートを、慌てて遮る。正直展開について行けていなかったが、ここで止めないと大変だということだけはわかっていた。
「わ、私を理由に拝神をやめるだなんて、そんなことなさらないでください! エセルナートさんにはエセルナートさんの、拝神した理由がおありでしょう!?」
「だが、俺が原因でリルカ殿の平穏を壊してしまったのだから、これくらいは……」
「個人の信仰に関わることは『これくらい』ではないと思いますよ!?」
焦るリルカに対して、エセルナートはまるでその選択が当たり前のように平静な様子で、リルカはますます慌てる。
そんなリルカを見ていたエセルナートが、「ああ、そうか」と何かに得心がいったように呟いた。
「リルカ殿。俺と貴方の間には、誤解……というか、価値観の相違があると思う」
「え?」
「リルカ殿は前世のことがあるから、『拝神』をやめるということを重く捉えていると思うのだが、俺にとっては『拝神』は手段だ。生きるために剣をとった。その際に剣を教わる条件として拝神を提示された。だから俺は英雄神に――戦神に拝神したが、何か信念があって拝神していたのではない」
伝えられた内容に、目を開かされる思いだった。今世では『古き神』への信仰が薄いことも、三千年前のように『神術』や『加護』に重きが置かれていないこともわかっていたのに、わかっていなかった。
「確かにヴィシャス様の加護は剣を扱う者としては助かったし、俺は対外的に見たら未だ『古き神』を奉じる、敬虔な信者だったかもしれないが、実態はこんなものだ。神術や加護を戦いに組み込んではいたから、多少変化はあるが――拝神をやめることへの心理的抵抗はない」
「そう……なんですね……」
神々は気ままで、時に気難しい。一度主神とした神への拝神をやめるとなると、場合によっては二度と拝神できないこともあったし、客神としても力を借りれなくなることもあった。そういうことを考えて焦ってしまったが、今は魔術の時代なのだ。リルカが感じるほど重い選択ではないのかもしれない――そう考えかけて、先ほどのエセルナートの言葉にひっかかった。
(それでも、戦う人間にとって、ヴィシャス様の加護と神術は使い勝手がよかったはず……)
エセルナート自身も『多少変化はある』と言っていた。エセルナートは剣士だ。今の世で、戦うことを選んだ人間だ。影響がないはずがない。
そしてリルカの側としても、自分が原因で拝神をやめるまではしてほしくない。
考えた末に、リルカは一つ提案してみることにした。
「……つまり、エセルナートさんは、懸念しているんですよね? またヴィシャス様が降りて来られて、エセルナートさんの体で好き勝手しないかどうか」
「……まあ、そういうことだな」
「それでしたら、『拝神をやめる』なんて極端に走らなくても、解消方法はあります。――どなたか、別の神を副神として拝神するんです」
「別の神を?」
「……これは伝わっていないのでしょうか? 【英雄神ヴィシャス】様の〈器〉の条件の一つは、ヴィシャス様を主神として唯一崇めていることです。だから、副神を奉じれば、条件に合致しなくなる――〈器〉ではなくなるはずです」
リルカの告げた言葉に、エセルナートはわずかに目を見開いた。
「それは……知らなかった。剣の師も、『剣技を高めていけば、いつか英雄神様に認められることもある』というふうにしか言っていなくて……それが〈器〉になることだとは、実際にヴィシャス様が降りてくるまではわかっていなかったくらいだったんだ」
「神が〈器〉に降りられること自体が減っているから、条件の伝承もあやふやになっていたのかもしれませんね」
『古き神』の中ではわりあい近年まで〈器〉が確認されていたヴィシャスでこれだ。他の神については条件すら伝わっていない可能性がある。
「しかし、他の神か……」
「気が進みませんか?」
「いや、考えたこともなかったから、どの神がいいのかと思ってな。神同士の相性などもあるんだろう?」
「そうですね、絶対に同時に拝神できない神々もいれば、同時に拝神すると神術や加護が半減する神々も、倍増する神々もいますし……」
「リルカ殿はそのあたり詳しそうだな」
「まあ、前世では当然の知識だったので……」
「あいつ……セヴェリがものすごく欲しがりそうな知識だ」
笑って言うエセルナートに、ハッと気づく。
「セヴェリ=トゥーロ氏は、〈器〉であるエセルナートさんを研究しているんですよね」
「そうだな。……さすがに突然『拝神をやめる』と言ったらうるさかっただろうから、リルカ殿の提案はよかったと思う」
「ですが、なんの説明もしないわけにはいかないのでは……?」
「そこはどうにでもごまかすさ。多分セヴェリは二柱目の神に拝神したら、ヴィシャス様の〈器〉でなくなること自体知らないと思うし」
だが、今までその気配がなかっただろうエセルナートが突然二柱目の神に拝神し、以降ヴィシャスが降りて来ないとなれば因果関係には気づくだろう。その時期に接触のあったリルカの存在にたどり着かないという保証はない。
(彼を巻き込んだ方が、今後のためにはいいのかもしれない……)
平穏に、ローディスとユースリスティを拝神するだけの日々を送りたい。その気持ちは変わらない。
だけれど、ヴィシャスに見つかった今、それを一部諦める時が来たのだろうと、リルカは感じていた。
確かに、エセルナートがヴイシャスの〈器〉でなくなることで、当面の危機は去るかもしれない。しかし、〈器〉の条件を満たした他の人間が見つかる可能性だってあるし、今の世では考えにくいが、ヴィシャスが神の姿のまま降臨しないとも限らない。
存在を知られ、魂ごと認識されてしまった以上、完全に逃げ切る道などないように思える。……だからといって、ヴィシャスの伴侶になるつもりはないが。
リルカは現世の拝神事情に疎い。個人で調べるには限界があったし、密やかにローディスとユースリスティを拝神するだけの日々にそれは必要なかったからだが、ことここに至ってはその知識が必要になるのではないかという気がした。
「あの、エセルナートさん、考えたんですけど――」
そうして、リルカはセヴェリ=トゥーロにある程度の事情をつまびらかにすることを提案したのだった。
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