あたらしいであい②(奏良&勝真)

 葵衣は奏良にも勝真にも、決して悲観的なことは言わなかった。

 いつも人の心配ばかりしていて、明るく、穏やかで、おおらかで。

 自分の置かれた境遇を、他人事のように語る。


 だけど、それだけであるはずがない。

 奏良は、自分の身に宿る心を知っていた。

 切なくて、苦しくて、泣きたい気持ちだって。葵衣は当然のように持っている。

 葵衣が隠している感情を、勝手に取り出してしまうのはきっと許される事ではないだろう。だけど、奏良は伝えたかった。

 葵衣は、言えないのだ。大切な人を悲しませたくないから。


「……葵衣さんは、時間がないって。だから、少しだけ身体を貸してって言ったんだ」


 言葉にすると思ったよりも苦い気持ちになって、奏良はぎゅっと眉根を寄せた。


「きっと、………長くはいられないんだと思う。それがいつかとかは、多分葵衣さんにもわからないんだろうけど。勝真さんに伝えなきゃって思いながら、いつも言えないみたい」


 迷って、胸が詰まって、口元を引き結ぶ。そんな葵衣を何度も見てきた。

 考えていることが直接わかる訳ではないけれど、心が叫ぶ声が聞こえてくる奏良にはわかった。

 葵衣は、終わりを感じている。最初から。今はそれよりもずっと間近に。


「……………そうか」


 勝真は静かに微笑んだ。

 まるで風一つも吹かない水面や、月明かりのない夜のように、静かで平坦だった。


 ああ、そうか。この人は気付いていたんだ。

 気付いていたから、知らないふりをしていたのかもしれない。葵衣を悲しませないために。


 奏良の胸が、もっと苦しくぎゅうっとした。

 奏良はこれまでたくさんの理不尽の中で、それも仕方がないと諦めて生きてきた。

 すんなりと諦められたのだ。何もかも。

 けれど、今、初めて、諦める悲しさを見知った。

 諦めて欲しくなかった。

 奏良自身が諦めたくなかったのかもしれない。

 どうしようもない事実を知っていながら、葵衣を諦めたくないのだ。


「できるかどうかは、わかんないけど……でも、もしかしたら…」


 奏良は縋るように勝真を見上げた。


「もし、この身体に二人いるってことが問題だったなら、葵衣さんにあげていい。

 どうせ死のうとしてたんだし。葵衣さんがいなければ飛び降りてたんだし」


 あの日、あの場所で、葵衣を知るまでは。奏良にはただ生きていることすら億劫でしかなかった。

 朝の光が眩しいことも、夜の暗闇が心穏やかなことも初めて知った。誰かを想うことも、想って何かを為す喜びも。当たり前のように気にかけられる嬉しさも。

 全部あの日宿った流れ星のおかげで知ることができた。


 葵衣が生きているほうがいい。そのほうが、ずっといい。


「俺が葵衣さんの代わりに眠ってたら、代わりになれないかな。俺よりも、葵衣さんが生きてくれたほうがいいよ。そのほうが……」


 奏良は願い事を口にするかのように、必死に言い連ねた。


 死んだ人間の魂が他人に宿るなんて突拍子もない奇跡が起こるのなら、もう一度くらい叶ったっていいじゃないか。そんな怪談だってあるだろうし、同じことじゃないか。

 魂の道理なんて知らない。こんな状況に置かれている葵衣すら知らないみたいだった。

 だけど、生きるべきなのは奏良よりも葵衣に決まっている。

 同じ死んだような身の上ならば、葵衣の代わりに奏良が消えればいい。


 胸が詰まって震えてしまった奏良の言葉を、勝真は真っすぐに奏良を見つめたまま静かに聴いていた。

 奏良がぎゅっと唇を噛んで言葉を詰まらせると、ふっと柔らかい苦笑が降り注ぐ。


「……俺は、その話を断れるほどできた人間じゃない。だが、それを良しとすれば葵衣に軽蔑されてしまうだろう。それは困るな」


 大きな掌が奏良の髪をくしゃりと撫でた。

 いつも葵衣が感じているのと同じ安堵が奏良の胸の中をくすぐって、いつの間にか奏良の目からはぼろぼろと涙が零れていた。


「葵衣を大切にしてくれてありがとう。葵衣はきっと、君が生きていて良かったと思う日がくればとても喜ぶだろう。そこらじゅうを飛び跳ねて、テーブルに足をぶつけてようやく20秒黙るくらいには嬉しがるだろうな」


 勝真が穏やかな口調のまま隣の部屋へちらりと視線を向けるものだから、奏良は葵衣のそんな様子を思い浮かべてくすりと笑ってしまった。

 怒りや悲しみや苦しさや、そんなぐちゃぐちゃとした思いの中に、温かくて切なくて嬉しいような複雑な思いが混じる。

 今まで感情を忘れて生きてきた奏良には、そんな複雑な思いは紐解けそうになかった。


「さあ、飯でも作るか。葵衣が寝坊した日は俺の番だから」


 ぐしゃぐしゃと奏良の頭をかき撫でてから、勝真が立ち上がる。

 奏良もつられて急いでベッドから跳ね起きた。

 見上げるほど大きいその後ろ姿は、初めて見た時の心細げな面影なんて一つもなくて、堂々と頼もしかった。

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