はなよりもあたたかい(葵衣)
『かっちゃん、しっかりしてよ!勝真、このまま後を追うとか許さないんだからな!』
心配も声も全く届かないことに焦りを覚えながら、
葵衣にできたのは、勝真が倒れた時に片っ端から知り合いの夢枕に立つことくらいだった。
人間よりもずっと存在感が小さい、いわゆる幽霊というやつなのだ。
数打って、相性やタイミングなんかが良くて初めてほんのちょっとだけ通じるというか、意識にのぼることができる程度の力しかない。
気が付けば、身体が動かなくなっていて。
周囲の喧噪や、悼むような人の声でなんとなく死んだってことを悟って。
身体が灰になってから、ようやく勝真の元に戻ってきて、久々に会えて、驚いた。
勝真はあまりにも憔悴していた。
勝真が葵衣の伴侶だということを、互いの父母は知っていた。だけど、通夜葬式で、それを他の身内に暴露なんてできる訳がない。
だから、ほとんど近くにはいられなかったのだろう。勝真の声を聞いたのはほんの少しだけだった。
とっても心残りだった。
だから、自由を手に入れたことに気づいた瞬間、葵衣は勝真の元に急いで戻っていた。
心配と、謝りたい想いと。それと、……別れの挨拶を。
そう思っていたのは、勝真の姿を一目見るまでだった。
生気のない虚ろな顔で、勝真はずっとぼつりぼつりと謝り続けていた。
「紫陽花を見に行けばよかった」
『俺は、かっちゃんの寝顔を見てるほうが楽しかったよ。紫陽花を見るより、ずっとあったかくて幸せな時間だった』
「パンくらい俺が買ってきてたら葵衣は事故にあわなかったのに」
『事故にあったのは悪かったけど!でも、あの時は新作アイスに釣られてたっていうか、広告見て美味しそうだったから勝真と一緒に食べたいって思って……』
「葵衣にずっと甘えてた」
『俺、勝真が甘えてくれるのすごい好き。いつもは外でバリバリなかっちゃんが、俺だけに見せる姿って、自慢だったんだ』
もどかしい。伝わらないことが。
こんなに悲しむ勝真を慰められないことが。
「浮気でもしたら、化けて出てくれるのか」
『化けて出ても気づいてくれないじゃん!しっかりして、勝真』
せめて勝真が正気であってくれたなら、ほんの少しでも何か伝えることはできるのかもしれない。
だけど、勝真は今、現実すら見ていないのだ。
どう頑張っても一介の新人幽霊にできるほんのわずかな接触に、気づいてくれることはなかった。
葵衣は、自分に残された時間が余りないことを知っていた。
大して信仰心などない凡庸な人間で、どの宗教に組する訳でもなかったが、ここに留まることは出来ないことはなぜかわかった。
けれどこれでは……。
勝真が近いうちに葵衣を追ってくることは確定に近い。
それだけは何とかしたいと思った。
葵衣は、平均よりずいぶんと短い生涯を顧みる。
楽しいことがたくさんあった。嬉しいことがたくさんあった。
幸せだったと思う。
多くは、勝真が与えてくれた幸福だった。
初めて会った時から、葵衣にとって勝真は居心地が良い人間だった。
少し人見知りで、あまりノリが明るすぎたりずかずかと踏み込んでくる人間が得意ではなかった葵衣に、勝真の誰とでも対等な距離感はちょうどよかった。
気付いたら仲良くなって、その心地よい距離感はずっと縮まっていて。
ある日突然、キスされた。
冗談にしてはぐらかした勝真に、ドキドキする気持ちと、もしかしたらというこそばゆい期待がぐるぐるして。
もう一度キスされて、葵衣は堪えきれずに勝真に詰め寄った。
「かっちゃん、二度目!二度目ってことは、俺のこと好きなの?」
勝真は少しだけ意外そうに目を見開いて笑った。
「好きだ、葵衣」
耳元に囁かれて、葵衣の世界はぐるぐると踊った。
「葵衣は?」
全然緊張感の欠片もない色男は、笑っていた。それを見ても格好いいなぁなんて感想しか出なかった葵衣の戸惑いは、多分口実とはきっと違うものだったけれど。
「俺……かっちゃんのこと、好きだけど……そ、そういう意味で好き、……って、考えたことないし。まだ、わかんないから……待ってて!」
告白されてもう胸の内がバクバクで、のぼせ上って、恥ずかしくてしかたなくて、好きだとは言えなかった。
……考えるまでもなくそれが答えだったことに後で気づいて、葵衣は家に帰ってから一人悶絶した。
それから、十年以上。
葵衣は、同じ気持ちで勝真と一緒にいられるなんて、思っていなかった。
人見知りで奥手な葵衣の、まっとうな初恋とも言える想いが叶って、ずっとずっと続くなんて。
これだけの幸運はきっとそうそうにないのだと思っていた。
だけど。
『勝真に幸せに生きて欲しいよ』
二人幸せだった時間が、悲しみに塗り替えられていくようだった。
『俺、勝真と出会わなければよかったなんて、思いたくないのに』
不幸にするくらいなら、出会わなければよかったと思ってしまう。
そのくらい、葵衣にとって勝真は大切な人だった。
―――何か、手立てを。
葵衣は部屋を飛び出した。少しでも、勝真を助けられる手段を探して。
そして、彼を見つけた瞬間に閃いたのだ。
―――投げ捨てるくらいなら!
『お願い、どうか、ほんの少しだけ。君の身体を貸して!』
人通りも車通りも多くない公道の、橋の欄干の上。
虚ろな表情で今にも飛び降りようとしている少年へと、葵衣は憑依を果たした。
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