第5点 友人?は光の魔術師

 翌朝。

 まだ暗い内からロッセリに叩き起こされて目が覚めた。

『ロッセリのことを大事にしよう』という昨日の誓いを早々に反故にするところだった。

 何でよ! まだ寝かせてよ!!

 こちとら病み上がりやぞ!!


「今日は大事な始業式でございます。大変心苦しくはございますが、もう4日も湯浴みをされていらっしゃらないのですから、その分支度に時間がかかってしまいます。申し訳ございません」


 深々と頭を下げるロッセリに、私は唸るしかなかった。

 確かに……。

 昨日は致し方なく香水で誤魔化したけれど、それが常なリアルヨーロッパって訳でもなさそうだし、流石に初日から不潔にする訳にはいかない。

 樽が不潔だったらもう本当に致命的だよ……!!


 という訳で、ロッセリに磨き上げられ不潔な樽から小綺麗な樽にしてもらった。

 うん。これなら外に出ても許されるでしょう!

 改めて手入れされた髪を見てみたら、うるうるのツヤツヤ!

 ミルクティ色の髪は毛先だけ自然とクルンとしていて、肌だってツルツル!

 これはヒロインもかくや……! という雰囲気がある。

 社畜で髪も肌もボロボロだった智香とは大違いだ。

 脂肪が凄すぎて顔のパーツが埋もれて分からないけれど、もしかすると痩せたら結構良い線行くんじゃないだろうか。

 あのお父様だし。


 ロッセリに着せてもらった学園の制服は、とても可愛らしい。

 チェルシーカラーと胸元の部分だけシャツ生地で、他はよく制服にあるようなウール素材のミモレ丈のワンピース。

 色は淡いベージュ寄りのアイボリーで、シャツ部分だけ白、襟下にネイビーの細いリボンを結ぶ。

 きっと細身な子が着たら清楚な感じに違いない。

 が、私が着たらただの膨張色! 錯視により更なる樽!!

 この制服考えた奴ちょっと出てきなさいよ細身じゃない生徒のことも考えて!!


 なんてことを考えながら、学校に行くために生まれて初めて馬車というものに乗り込んだ。

 えっすごい本物だ! 馬も車体も真っ白!

 本物のお姫様みたい!!

 なんてはしゃいだのはほんの一瞬。

 馬車が走り出してからはもう地獄だ。

 お、お尻痛ぁー!!!

 なんかこう、馬車ってもっと優雅なイメージあったのに、道の凸凹の振動が直に来るんだけど!!

 ようやく学園に着く頃には、立ち上がることもままならず、這う這うの体で馬車から降りる、というより転がり落ちた。

 これはどうにか解決できないものですか?

 あっ。なんかweb小説で見たことあるぞ。馬車の車輪にサスペンションってやつを付けるといいんだよ!

 これはチート知識で改革しちゃうか!?

 って。それがどんなものか全く分からん。

 まず形状が分からん。

 文系だぞこっちは!! 文系にもチートさせろ!!



 馬車のサスペンションとやらに内心悪態をついていたら、いつの間にか人の流れに乗って講堂に入っていた。

 天井がガラス張りのドーム状になっていて、講堂内はとても明るい。

 けれどそれだけで、特に赤絨毯が敷いてあるとか金の柱があるとかではなく、日本の体育館を洗練させた感じの、案外華美ではない内装だった。

 入り口の向かいに舞台があって、舞台の両側には赤いベルベットのカーテンが付いている。

 よくある体育館の舞台と同じだね。

 でも明らかにカーテンは質の良さそうな光沢があるし、壁や床もピカピカな所が大きな違いかな。

 椅子はなく、みんな立っているスタイル。意外!

 でもバックミュージックにバイオリンの音色が響き渡っていて、なんとも荘厳な雰囲気がある。


 講堂内をキョロキョロ見回しながら、さてどこに行けばいいものやらと困り果てた。

 ロッセリから聞いてるのは、私が2年A組(アルファベットあるんだね)ということだけ。

 果たしてみんなこれはクラス毎に並んでいるのだろうか。

 どことなく綺麗に並んでいるから、順番は決まっているんだろうと思うけど、自分がどこに行けばいいのか分からない。


 ……というか私、周りの生徒たちにめっちゃ遠巻きに見られてる気がする。

 好意的な視線は感じず、どこか全体的に視線が冷たい。

 これはあれかな。

 サンドラ、やっぱりお友達居ない系なのかな。

 元々私は友達とわいわいするのが好きなタイプなのだ。

 だからこれは……かなり、精神的にキツイ。

 そういえばお見舞いの手紙なんかも1通も来ていなかった。

 春休み中だしみんな知らないのかと思ったけど……もしかしたらそれだけが原因じゃないかもしれない。


「ボッティチェリさん! こっちだよ!」


 心の中でさめざめと涙を流していたら、なんと声を掛けてくれる人がいるではないか!

 サンドラ、友達居たんだね!! 疑ってごめんね!!

 急上昇する気分にるんるんしながら声の主を探す。

 すると、舞台近くの左側の方から、こちらを向いて笑顔で手を振る少年が1人。

 私は思わずスキップする勢いで彼の方まで向かった。

 手を振っていた少年は、黒い瞳に癖毛と思しき茶色の髪を丁寧に撫で付け、爽やかを絵に描いたような好青年だった。


「なんだか迷っているようだったから、声を掛けさせてもらったよ。もう体は良いの? さっき先生から倒れたと聞いたけれど……」

「ええ。でももう大丈夫ですわ。ですけれど……実は記憶が曖昧なのです。お名前を伺っても?」


 私がそう応えると、彼は酷く驚いたように目を見開く。

 うーん、まさか記憶喪失だとは思わないよね。

 ごめんね友人(仮)。


「そ、そうなんだ。僕はピエール=オーギュスト・ルノワール。オーギュストって呼んで。クラス委員をやってるから、何かあったらいつでも言ってね」


 驚きながらも、オーギュストはにこりと微笑んだ。

 いや……とても眩しい爽やか笑顔なんだけど……それよりもその名前と彼の前に出ているコマンドに注目してしまう。


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|ピエール=オーギュスト・ルノワール

|代表作:『ムーラン・ド・ラ・ギャレット

|     の舞踏会』

|    『舟遊びをする人々の昼食』

|印象派を代表する画家。

|別名、光の魔術師。

|作品からは陽気で華やかな印象を受けるが、

|本人はかなり控えめな性格であったらしい。

|それがむしろ多くの画家たちに愛され、

|友人は多かったようだ。

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 ですよね! 君、あのルノワールですよね!!?

 絵に詳しくない人でも、名前くらいは知っているだろうルノワール。

 あの日差しが溢れる暖かな雰囲気の肖像画をたくさん描いているルノワールですよ!


 代表作の『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』は、幸せな光溢れる傑作だ。

 画面右手前に居る姉妹と友人たちは楽しそうに談笑しながら酒を酌み交わし、左手奥にはダンスを楽しむ人々。

 ルノワールの実際の友人たちもたくさん描かれているというこの絵は、人々の賑やかな笑い声がそのまま画面から聞こえてきそうだ。

 きっと友人たちとの関係は良好だったんだろう。


 そんな彼は、どうやら私の同級生のようだぞ! もしや仲良し!?

 と期待したけど、もしかして、サンドラの友人という訳ではなく、単にクラス委員だから声掛けただけ?

 何となく座りの悪そうな雰囲気に、ちょっと困ったような笑顔。

 間違いなかろう。

 なんか、しょぼん……。


「そうなの……。よろしくねオーギュスト」


 落ち込む気持ちを叱咤してにこりと笑うと、私はオーギュストの隣にスッと立った。


 ざわっ。

 一瞬周囲がざわめく。

 何だか、周りがめちゃめちゃ驚いている雰囲気がするわ。

 何!? なんでそんなにみんな驚くの!?

 私何かおかしい!!?


「ねえオーギュスト。私、何か変なことしたかしら?」

「い、いや……。まさか僕の隣に来るとは思わなかったから、じゃないかな? ああ、僕、平民なんだ」


 そう言ってオーギュストはハハハと頭をかいた。


「そうなんですの? だから?」

「だからって……嫌じゃないのかなって」


 思わずキョトンとしてしまう。

 一体それの何が問題だというのか……ってああ!

 もしや、血統差別か!?

『あなたのように卑しい血筋の方とはお話ししたくありませんことよ!』ってことか。

 あなたのことよく知らないけど、すごくやりそうねサンドラ!!


「私、そういうことにはこだわらないことにしたの。だって同級生じゃない。これからもよろしくね?」


 精一杯のにっこり顔。

 きっと脂肪で一切目が見えなくなっているに違いない。

 でもそんなことには構っていられない!

 少しでも! 印象を良くする大作戦!!

 大体、王子の婚約者の公爵令嬢にはハードモードなバットエンドが付き物だから!

 味方を少しでも増やしておかないと!


 内心鼻息荒く意気込んでいたら、会場が少し暗くなった。

 バイオリンの音色が止む。

 右手の舞台袖から司会らしき先生が現れて、始業式の開会を告げた。

 どうやらいよいよ、始まるようだ。

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