アルケミストは知っている。~咲かない永久の薔薇~

御笠泰希

第1話

 円環は完全なる生命を示す。そういった環境こそが〝賢者の石〟を造るのだと、アルケミスト錬金術師達は知っていました。


 だから、この世界には外されてしまっても良い存在なんていない。もしも、そんな誰かがいるとしたら、それは世界が不完全だということなのです。


 錬金術師は旅の中で世界の理を昇華し、セフィロト生命の樹を創らなければなりませんでした。正しき円環に根付いた永遠を──。


「……そ、それは……ちょっと……荷が重いかも……です……」


「カッハッハッ! さもあらん!」


 自信なさげに輝く月みたいな声と、快活に万象を照らす太陽の声。すっかりローブに顔を隠してしまった弟子に、師である幼女は高らかな笑い声で理解を示します。


「のう、フィオよ。ワシとて円環を紡ぐのは容易い事ではないのだぞ? 勿論、失敗だってある。しかしそれでも、我ら錬金術師は永遠とは何かを模索し、探究に挑む哲学者の卵であらねばならぬのじゃ!」


 ちっちゃな体で腕組み。十歳ぐらいにしか見えない師は、うんうんと頷きました。その度に前分けにした長いブロンドが揺れて、射し込んでくる陽の光みたいにキラキラと輝きます。


「……お師匠様……でも?」


「うむ! ワシでもじゃ!」


 ローブの下からチラリと上目遣い。フィオは伸ばし放題な黒髪の間から、導きの光を見た気がしました。ちょっぴりと恐れ多くも。


「……お師匠様……でも……。ううっ……よ、余計にプレッシャーが……」


「カッカッカッ! 愛い奴じゃ! まだまだ悩むだけの伸び代があるとはのぅ!」


 ますます翳る月を、太陽が励ましました。フィオの内気なマイナス思考は、たぶん一生そのままです。


「そう悲嘆するでない。ワシとお主の才覚を比べてどうする? 魚が鳥を、また鳥が魚を羨んでも仕方あるまい」


 ポンポンと、ローブの上で小さな手が弾みます。フィオがこうやってあやされるのは、子供の頃から変わっていません。自分は本当に成長しないなぁ、と百年先まで考える一方で、心地良いと思うのも本音でした。


「……ひ、引きこもり……とか……でも……?」


「うむ! それでお主が満足に何かを成せるのであれば、三賢者であるこのフィオレーナ・フレッチャーが大いに許そう!」


 ちっちゃくて、とっても大きな師匠。『ダメ』と否定する前に、フィオレーナ師は思ったことをさせてくれる優しい賢者でした。


 甘えっぱなしなのは、解っています。それでもフィオは、つい心の拠り所として師を頼ってしまうのです。


 内気で人見知りがちな自分。そんな心を素直に打ち解けられるたった一人の人物。ちょっとわがままかなと思っても、フィオはありったけの気持ちを頑張って口にするのでした。


「……そ、それじゃあ……私、このセフィロトを……もっと育ててみたい……かも……です……。……こ、これが……私に……初めて出来た……〝大いなる業マグヌム・オプス〟……だから……」


 ぽそぽそと、自分なりの精一杯な気持ちを伝えました。彼女達が住むお屋敷は、フィオが創り出した大樹であるセフィロトの枝間にあるのです。


 そしてここに実った〝リンゴ〟は、賢者の石としてフィオを不老不死にしました。それは、彼女が十五歳の時。当時のフィオレーナ師は、鼻高々と友人である錬金術師達に愛弟子の功績を話したものです。


 それ以来、彼女はずっと籠りきった研究をしていました。それでも大好きな師と同じ時間を過ごせたのは、まだ三百年と少ししか経っていません。


 世界を旅する錬金術師達にとって、セフィロトは数ある業の一つでした。けれど、フィオには人生そのものだと言えるぐらい思い入れがあります。


 離れたくない。そしてあわよくば引きこもり続けて、研究に没頭していたかったのです。


 それが自分に見合った生活様式ライフスタイル。世界の理を昇華して回るなんて、正直なところ、フィオには荷が重くてたまりませんでした。


「うむうむ! お主の気持ちは、よぉっく伝わったぞ! では、惜しくはあるが暫しの別れじゃな! 己が信ずる道を堂々と歩むのじゃぞ愛弟子よ!」


 腰掛けていた長机から、ぴょんとフィオレーナ師は降りました。その微笑みは、錬金術師としての務めなんかよりも、秘めていた思いを告げてくれた喜びに輝いています。


 世界を周る錬金術師と、残ることを選んだ錬金術師。それが意味する、ちょっとばかりのお別れ。フィオの瞳には早くも『行っちゃうんですね……』と込み上げてくる涙がありました。


「これこれ、寂しがるには早すぎるであろうが? せいぜい……そうじゃなぁ、二百年ぽっち留守番するだけじゃぞ?」


「……でも……でもぉ……」


「まったく、仕方ないのぅ~。ほれ、こっちに来い」


 よろよろと近付くフィオを、師は広げた両手で迎えてくれました。困ったように、嬉しそうに、微笑んで。


「そう案ずるでない。星々とて、離れていようと星座として結ばれているじゃろう? 隣り合っていたものが見えなくなるだけで、ワシはいつだってそばにおる……」


 小さな師の達観した言葉は、いつもフィオを安心させてくれました。一人が好きでも、本当に独りではないと教えてくれるからです。


 そんな優しさと、ほんわかとした子供っぽい体温。癒しの拠り所が離れてしまうのをつい惜しんで、いつもよりぎゅうっと抱きしめる心が込もってしまいます。


「フィ、フィオ……ちょっと苦しいんじゃが……」


「……あ……すす、すいません……」


 おずおずと申し訳なく離れると、師は『ぷはっ』と息をつきました。やれやれと困りぎみに微笑みながらも、さすってくれる肩の温もりはとても心地よいものでした。


 それが、長い別れとなる最後のなごり。これが消えてしまう前に帰ってきて欲しいと、フィオは甘えるようについ望んでしまいました。


「では、行ってくるぞ。息災でな、我が愛弟子よ!」


 大きな帽子をかぶり、普段通りの魔法使いみたいな姿で、師は行ってしまいました。それは、お散歩やお買い物に出掛ける時と何ら変わりない、いつも通りのものでした。


 少女と幼女。弟子と師。内と外とで、錬金術の秘技を探究する不老の娘達。彼女達は永遠とも思える時間のなかで離れてしまっても、心だけはずっと近くで繋がっているのです。


「……み、見てて下さいね、お師匠様……! フィオは……フィオは一生懸命、引き込もりますから……!」


 ちょっぴりズレている後ろ向きな宣言。けれど、それこそがフィオという錬金術師が紡いだ、小さな小さな円環の望まれた永遠でした。

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