君がみた青

小湊セツ

ある休日の学生たち

 どうしたものかなと、エリオットは頭痛を堪えた。目の前では友人のレグルスが、荒ぶる戦神のような怒気を発しながら青年を正座させている。青年の手には根元から折れたナイフが握られていたが、ほんの数分前にレグルスに叩き折られたばかりなので、抵抗は諦めたようだ。


「貴様、そんなふざけたことをされて、なんでまだその女と付き合っているんだ! さっさと別れて新しい恋を見つけたまえ!」

「うっうっ……だって、それでも彼女が好きだから……」

「だったらぐだぐだ言ってないで全て受け止める気概を持て! いつまでもめそめそ泣いているんじゃない! 鬱陶しい!」

「だって……僕の顔も見たくないって……うう」

「こんなことをして金を稼いだって、その女は何にも思わないぞ。厄介者が捕まってくれて良かったー! もう二度と顔を見なくて良かったー! って言われるだけだろうな!」

「ひどいっ!」


 もはやどちらが被害者かわからない。ナイフの柄を捨てて蹲って泣く彼が哀れになって、エリオットはおずおずと口を挟んだ。


「レグルス。その辺で勘弁してあげよう。彼にも事情があったんだよ。――君ももう懲りたろう? この縄を解いて、俺たちを解放してくれるだけで良いから」

「お前は黙ってろ」

「はい」


 さっさとこの場を抜け出したいエリオットは、穏便に済みそうな解決策を示してみたが、レグルスにピシャリと拒絶されてしまった。

 後ろ手に縛られ、冷たい大理石の床に座らされたエリオットの隣には、同様に縛られたサフィルスが楽しげに二人の様子を見守っている。助けを求めるエリオットの視線に気付くと、サフィルスは眼をキラキラさせて、片思いの相手を打ち明けるかの如く囁いた。


「いやぁ、僕こんなこと初めてだよ。ドキドキしちゃうね!」

「サフィルス〜! 楽しんでないで、そろそろなんとかしてくれ。……お前、一体何がえた?」


 薄暗い店内でも、彼の青い瞳はぼんやりと神秘的な光を放つ。目が合っているはずなのに、サフィルスの眼は目の前に居るエリオットを通り抜けて、他の誰も知らないを見ている。未来を映すその眼は、“予言者の瞳”と呼ばれる魔眼だ。


「ふふ。内緒」


 レグルスの怒声と強盗の嗚咽を聞きながら、呑気に笑うサフィルスに、エリオットはぐったりと項垂れた。





 遡る事、一時間前。エリオットとサフィルスとレグルスの同級生三人は学院最寄りの街で買い物を楽しんでいた。

 街の大通りを過ぎて少し職人街の方へ歩いた路地に、古めかしい本屋を見つけたエリオットは、誘われるように店の前までやってきた。歩道に対して少し沈み込むように作られた店内は薄暗く、秘密基地めいて興味をそそられる。一見営業中には見えないが、腰を屈めて覗き込めば、店の奥の方に明かりが見えた。店先の平台には新刊が出版社毎に綺麗に並べられている。在庫管理もしっかりしているようだ。


「ちょっと寄ってもいいかな?」


 店を指差し二人を振り返ると、レグルスは渋々、サフィルスはにっこりと頷いた。


「お前が本屋に入ると長いんだよなぁ……ご婦人方の買い物より長いんじゃないか?」

「だって、隅々まで見ないとこれは! って思う本に出逢えないだろう? 俺の知らないおもしろい本があるなんて許せなくない?」

「ああー。僕はそれちょっとわかるなぁ。なんでこれを読まずにいられたんだろう!? って思える本に出逢えると嬉しいよね!」

「だろ? サフィルスはわかってくれると思った!」


 エリオットがサフィルスの両手を掴んでぶんぶんと握手すると、レグルスは二人を引き剥がして舌打ちした。


「本の虫どもめ。俺はこの先の鍛冶屋に行くから、その間にお前らは好きなだけ見てくればいい。用事が済んだら迎えに来るから大人しくしてろよ。問題を起こすな。店員に迷惑をかけるな。可愛い店員が居ても口説くな」

「レグルス、母親みたいなこと言う……」

「誰が母親だ」


 よくよく言い置いて、ひとり鍛冶屋に向かった過保護な友人に、エリオットはひらひらと手を振る。店に入ろうと振り返えると、サフィルスが店の看板を見上げていた。


「サフィルス……?」


 呼びかけるとサフィルスは本屋の扉を指差して、ニヤリといたずらっぽく笑う。


「僕、このお店気に入っちゃった。今日一日貸切にするね」

「えっ……えっ!? ちょ、ちょっと待ったー!」


 エリオットが止める暇も無く、サフィルスは店内に入って、勝手に店主と話をつけてしまった。店主と店員にはしばらく店の外で時間を潰してもらい、貸切にする間の売上はサフィルスの実家である大公家が補償すると約束して。


「どーすんだよ!? レグルスが知ったら、無駄遣いするなって激怒するよ!?」

「大丈夫だよ。レグルスは何もしなくてもだいたい怒ってるから」

「……そりゃそうだけど」


 絵本から出てきた王子様のような見た目に、柔和な雰囲気のサフィルスは良くも悪くも人を操るのが上手い。どう説得したのか、店主と店員たちが素直に店を出て行く様は異様だ。釈然としないエリオットに、サフィルスは店員が置いていったエプロンを手渡した。


「何か視たなら教えてくれ。こんなことをする理由はなんだ?」

「すぐにわかるよ。君とレグルスならなんとかできるから安心して。ほらほら、エプロン付けて。君のオススメを教えてよ」


 エリオットは言われるままにエプロンを身につけて、最近読んでおもしろかった小説を手に取る。最初は辿々しかったが次第に早口になって饒舌に語り出すエリオットを、サフィルスは楽しそうに眺めていた。


 店にナイフを持った男が強盗に入ったのは、三冊目の説明を始めた頃だった。エリオットは大人しくしてろと言われたのもあるが、サフィルスが全く動じていなかったので、抵抗せずあっさり縛られて人質となった。

 その後、『絶対レグルスぶちキレるよぉ……』とエリオットが途方に暮れる暇も無く、レグルスが店に突入してきて、一瞬で強盗を制圧。通報。警邏の騎士が来る間に、レグルスによる地獄のお説教タイムが始まり冒頭に戻る。





 通報から十分。ようやく到着した騎士に強盗犯を引き渡した。連行される直前、サフィルスは店の中から本を数冊持ち出して、犯人に差し出す。


「元気出して。これ、君の役に立つかもしれないから、僕からのプレゼントね」

「えっ、あ、はい。……あ、ありがとう、ございます」


『愛される人間になるために』『君にも書ける! かっこいい謝罪文の書き方』『一時間でわかる! 離婚調停』


 泣き出した犯人に、何を思ったか「お礼なんていいよー」と照れ笑いするサフィルスを見て、こいつに逆らうのはやめようと、エリオットは心に決めたのだった。

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