Beer

yokamite

Acquired taste

 子供の頃から変わらず好きなものがある。それは所謂というやつで、母さんの手料理で育ってきた俺は成人を迎えた今でも、実家に帰省する度に母さんが作ってくれる手料理が大好きだ。


 一方で、子供の頃から変わったこともある。俺はまだ年端も行かないガキの頃、親父が家でテレビを見ながらぐびぐびと大層旨そうに喉を鳴らしていたのが羨ましくて、傍らに置いてあった缶ビールを訳も分からず口にした。少し温くなったビールの味は、とても子供の舌に合うようなものではなく、シュワシュワと生暖かい泡に黄色い小便のような液体が耐え難い苦味を放ち、「お酒は20歳になってから」なんて言葉の存在すら知らなかった俺にとっては、親父の目を盗んでビールを飲んだことでこっ酷く叱られたという最悪の思い出だけが残った。


 しかし、そんな俺も成人年齢に達してからというもの、大学の先輩に連れていかれた居酒屋で無理やりビールを勧められたことがきっかけで変化に気付いた。幼少期の苦い思い出とビールの味が蘇り、1つ溜息をついてから顔をしかめながら一気にビールをあおると、すっきりとした清涼感とかぐわしいホップの香りが鼻を突き抜け、存外悪くない気分だった。


 俺の親父は酒と言えば決まってビールを飲んでいたし、コーヒーもブラックが一番好きだったはずだ。だから俺は、単に親父は苦いものを敢えて好むような酔狂すいきょうな奇人なのだと思っていた。しかし、気が付けば俺もコーヒーと言えば決まってブラックを飲むし、居酒屋に行けば1杯目はビールをたしなむ。



 ──俺の味覚は一体何時から、別人のような変貌を遂げてしまったのだろうか……。



 俺は小さな頃から甘い食べ物が大好きだった。1日1回はお菓子やジュースを母さんに強請ねだって、困らせていたのを思い出すくらいに。それがどうだ。大人になった今では、態々わざわざ自分で買って食べようとは思わないから、めっきり甘味を口にする機会が減った。


 一方で、俺は小さな頃から辛い物は大嫌いだった。口にするだけで唇や口内が刺激され痛い思いをするし、楽しい食事の時間に何故このような苦行を強いられなければならないのかと、疑問に思ったものだ。そんな俺のいぶかし気な視線を余所目に、母さんはしばしば激辛料理を美味そうに食べていたな。特に辛味のない料理にも、タバスコやラー油といった調味料を加えて敢えて辛くしてから食べることを楽しんでいた。


 しかし、そんな俺も大人になってからというもの、何かにつけて辛い食べ物を口にするようになった。ピザやスパゲティといったイタリアン料理には必ずと言っていいほどタバスコを掛けるし、餃子にはラー油が欠かせない。この前友人らと食べに行った激辛ラーメンは最高に旨かったなあ。



 ──俺の味覚は一体何時から、痛みや苦しみに強くなったのだろうか……。



 昔は好きだったものに興味が失せていく感覚の寂しさ、それとは対照的に、昔は嫌いだったものに段々と慣れ親しんでいく感覚の違和感、俺はこの得体のしれない自身の変化に喜びを見出すことはなかった。むしろ、今後も自分のあずかり知らぬところで刻一刻と変化していってしまうのであろう自身の感覚に、一抹の不安と嫌悪感を抱いた。



 ──大人になるということは、こういうものなのかもしれないな。

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