あなたに拘泥する。

ソラノ ヒナ

第1話

 庇護欲を掻き立てられる、潤んだ大きな瞳。

 食べてほしいと言わんばかりに、赤く色づくふっくらしたくちびる。

 毛先だけ緩く巻かれた、指を絡めたくなる長くふわりとした髪。

 そして女性らしい身体のラインが、異性も同性の視線も引き寄せる。


 けれど僕が惹かれたのは、僅かにこぼれた伊織いおりさんの心だった。


 ***


 愛を与えすぎると、愛がわからなくなる。

 これは僕の持論だが、解決方法もある。


いずみ君、この前はありがとう。今日、ようやく仕上がったのよ」

「さすが、仕事が早いですね。お疲れ様でした」


 意味深な視線を送ってくる同僚へ、ただ微笑む。

 特別な相手でなければ事細かに覚えてはいない。僕の中では終わっている物事。だから求めるものもない。

 けれど僕が動いた結果、感謝を伝えてきた同僚の愛はきちんと受け取る。


 これが解決方法。

 自分が与えた愛がさらに大きくなって返ってくる。それだけのことで愛を忘れずに済むのだと、常々考えている。


 伊織さんに渡した愛は、どんな風に育ったかな?


 夜カフェで知り合った、年上の容姿端麗な女性。彼女と一緒にいるだけで、周りから遠慮なく視線を浴びせられる。

 けれど、それは僕達にとっての日常で、気にすることもない。

 それぐらい、僕達の見た目は今の時代の基準で高評価を得ているだけなのだから。


「泉君、何だか嬉しそうだけど、人の話聞いてる?」

「聞いてますとも。だからほら、こんなに幸せな顔しかできないんですよ」

「本当に口が上手いんだから。誤解、されるわよ?」

「どんな風に誤解するんですか?」

「わかってるくせに……」


 伊織さんを思い浮かべ、顔に出てしまった。でも、焦る必要はない。普段通り取り繕えば、同僚の機嫌はすぐに良くなる。


 伊織さんと会わなくなってから、三ヶ月。

 彼女は几帳面な性格で、金曜の夜に僕との時間を作ってくれた。

 たまに別の曜日もあったが、それは伊織さんの限界を超えた時。彼女はそれでも自分に余裕があると思い込む、どこにでもいる普通の女の子だ。


 今の伊織さんはどこまで可愛くなっているんだろう。


 考えることをやめられない自分の顔を見せる気もなく、同僚の話を適当に流し、席を離れた。


 今まで、僕を同等な存在として見てくれる人などいなかった。だからすぐにわかった。

 伊織さんは自分の見た目に振り回されているんだろうって。

 見た目は付属品だ。だから使いこなすのは本人。その考えに至る途中、迷子になってしまったのだろう。

 そんな伊織さんの無防備な目に、言葉に、僕の心は囚われてしまった。


『泉君といるとね、繕わなくていいから、安心する』


 僕みたいな人間が一番理解できるはずなのに、隙を見せてきた彼女。そこまで追い詰められているのだと、縋るような瞳と僅かな声の震えから察する。

 けれどそれがどんなに愚かしい行動か、彼女も気づいているはずだ。

 だから、伊織さんの気持ちに応えようと決めた。


 けれど同時に、その言葉が言い慣れたものにも感じた。それなら今の発言がどれだけの男の心を掴んできたのか、きっと伊織さんは把握している。

 それなのに、どうしてそんなに無垢でいられるのか。

 まるで、何も知らない女の子にしか見えなくなった。


 伊織さんから聞いた話の内容で、彼女の生い立ちは想像がついた。だからこそ、人の欲望に敏感なはずなのに、彼女はまだ、他人を信じようとしていた。

 それを愛おしいと気づいてしまった瞬間から、僕は熱に浮かされたように、伊織さんのことしか考えられなくなった。


 今日は絶対に本物の伊織さんの言葉を全部、聞き逃さないようにしないと。


 このまま仕事を放り出してしまいたくなるが、我慢した方がご褒美を得られた時の喜びは計り知れない。

 どれだけ時間が過ぎるのを待ったか。

 こうでもしなければ、僕は伊織さんの中で特別な存在にはなれない。焦るままに行動すれば、彼女の中で今までの男と同じだと、認定されるだろう。

 だから、優しさだけを与える。でも、僕からは何も求めない。普通がわからないであろう僕達だからこそわかる、駆け引きだ。


 その結果が、僕のご褒美。これだけ見返りを求めてしまうほど焦がれる相手は、伊織さんしかいない。

 だから、彼女が手に負えなくなった外側を壊すのは、僕だけにしか許されない。


 ***


「不意打ちは心臓に悪いですって……」


 伊織さんは僕と会わなくなってからの期間を覚えているはずだと、賭けに出ていた。

 だから、彼女の仕事が終わって落ち着いた頃合いを見計らい、こちらからメッセージを送った。ここまでは計画していたものだが、すぐに既読がつくなんて思わず、僕の心臓はいとも簡単に激しく波打った。


 伊織さん、今、どんな顔してるかな。


 同時にお互いを意識していたとわかっただけで、満足してしまいそうになる。

 しかし、僕が本当に満足する日なんて、来ないだろう。


 伊織さんは、どんなに汚しても汚せない。

 彼女は真っ白すぎる。どんなものも、白に塗り替えられる。

 だから僕だけが、汚し続けたい。

 僕の跡が消えてしまわないように、ずっと。


 伊織さんの幸せを願いながらも、仄暗い欲望をぶつけたくなる。それぐらい、彼女が愛おしい。

 会えなくなってから自分の感情に振り回されるたびに、伊織さんが僕を憐れむように微笑んでいる気がした。


 早く、会いに行こう。


 気持ちを切り替え、支度をする。

 そして、本物の伊織さんへ渡すプレゼントを手にし、柄にもなく鼻歌交じりで部屋を後にした。

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