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後書きへの応援コメント
読ませていただきました。時折、こういう作品に出会えるので企画を立ててしまうんですよね。
数年間、出版業界の末席に座っていますと、『才能』と呼ばれるものに嫉妬を覚えることも……まぁ、あります。
ただ、これは何とも曖昧な表現になってしまうのですが、あの方々はちょっと違うのです。人にして人に非ずと言いましょうか……。
だけど、同時に僕はこうも思うのです。
結局、凡才は書き続けるしかないのだと。
書き続ける者にしか女神は一瞬でも微笑んでくれないのだと。
作者様には間違いなく才能があります。
必要なのは、
・行動(実際に応募する=打席に立つ回数を増やす)
・ちょっとした幸運(打席に立てば確率も上がる)
・人の縁(編集さんの好みはあります)
だと思います。書き続けてください。
勿論……『市場』を意識することも忘れずに。
作者からの返信
本作をお読み頂き、ありがとうございます!
今まで、誰かに才能があるだなんて言葉を言って貰えたことがなかったのでとても嬉しいです!
これからも惜しみなく、思いつく限り沢山の小説を書き続けてゆこうと思います。また、行動も怠らぬ様気をつけさせて頂きます。そして、ご指摘通り、これからの執筆には市場も意識するよう心掛けさせて頂きます。
後書きへの応援コメント
『焔の遊歩者』は作中作と言えるのでしょうが、それも忘れて引き込まれてしまいました。
焔によって誕生し、焔に魂を奪われ、焔を遊歩する主人公はあまりに魅力的でした。
一方で、メタ視点をふくめた作品全体もとても印象的でした。
作中作に名を挙げられている江戸川乱歩、その有名な短編である『人間椅子』、あの「オチ」と言うべきラストとは対照的な読後感を受けました。
このような美しくも恐ろしい物語を生み出したのが、まだあどけないと言ってもいい少年の心であるという事からでしょうか。
本作のテーマである「才」について語れるようなものを私は持ち合わせてはおりませんが、感じたことは「才」というのは場合によってはひどく不気味なものであるということです。
作者からの返信
本作をお読み頂き、ありがとうございます!
これは余談になってしまうのですが、本作【焔の遊歩者】はコメント中にあった江戸川乱歩の小説、人間椅子を読んでいた際に思いつき、手探りで案を探り出して構想をまとめたもので、題目は同じく江戸川乱歩の小説、屋根裏の散歩者から捩ったものなのです!
後書きへの応援コメント
企画への参加、誠に感謝申し上げます。
恐怖、劣等感。痛み、歪曲、妄執、陶酔。
どれが現実か、どこからが幻想か。それがわからなくなるほどに、鮮烈な人間をむき出しにする作品でした。
これは確かに、『人の恐ろしさ』が描かれたものです。
日本的であるのに、油絵のような奥行きがあるのにも脱帽でした。
才とは、難しいものです。存在するのに、枠に当てはめた瞬間に陳腐になる気がします。
ああでも、私の目に映る周囲の輝きは、決して偽物ではない。
私は、私の及ばない全てを才能と呼んでいるのかもしれません。
朝詩 久楽様とこの作品に出会えたことは、幸運でした。
作者からの返信
当作をお読み頂きありがとうございます!
人間の持つ才能と云うものは時に恐ろしいものであると云う題を元に執筆した小説でしたのですが、お気に召して頂けた様で幸いです!