スライムの巣

 目を覚ました時、世界は緑色だった。

 いつの間にか、液体のような個体のような何かに体を包まれている。


 ドロドロ、ぷるぷる、ねちゃねちゃ……どの擬音とも形容できない物体。正体不明だが、唯一分かるのは。


(息が、できない……っ)


 少しでも呼吸をすれば、周りの緑色が口や鼻に入ってきてしまう。が、ずっと息を止めっぱなしでは窒息する……こんな状態ではまともな判断などできる訳もなく、ほとんど条件反射的にドロドロを飲んでしまって苦しさに喘ぐ。


(死……っ!?)


 全身が恐怖に支配されたその時、一瞬の閃光と灼熱が襲った。眩しさに目を瞑っていると、緑の物体はドロドロと融解し、中にいた私も一緒に流されて地面に転がっていた。


「う、う……っ」

「上から何か降ってきたと思えば、やっぱり人だったか。スライムの巣に落ちるなんて運がいいんだか悪いんだか」


(誰……?)


 男の人の声がする。

 運がいいか悪いかなんて、今までの人生から言えば間違いなく悪い。他人に振り回されて痛い目を見て、ようやく自由を得たと思えば自己判断でも失敗する。どうあってもダメなら私は何を信じればいいの?

 とりあえずスライム? から解放されたものの、口や鼻に入ったスライムの欠片で息もできない。そうしている間にもどんどん意識が朦朧としてきた……と、いきなり喉の奥に指を突っ込まれる。


「ウグッ!?」

【吸引】


 くぐもった女性らしき声と共に、体内の全てが吸い取られる感覚。嘔吐感に襲われるも、直後には息ができるようになっていた。


「ゲホッゲホッ、おえ……っ」


 激しく咳き込み反射的に空気を吸い込む。ああ、久方ぶりに息をした気分……ダンジョン内の瘴気のせいでおいしいとはいかないが、何とか命拾いができた。吐き気は止まらなかったが。


「念のために聖水も飲んどけ」


 差し出された小瓶を受け取り、軽く口を濯いでから喉を潤す。もし口内にスライムが残っていても、魔除けの効果で洗い流す事ができる。ひと息ついてようやくスッキリした私は、お礼を言おうと聖水をくれた彼の顔を初めて見た。


「っ!?」

「……?」


 びっくりした、ずっと探していた金色の瞳だったんだもの。

 ただし黒髪だし、顔立ちも肖像画とは全然違う。普通と言えば普通かもしれないが、この辺りでは見かけない系統の……外国人のようだった。腰に帯びている剣からして、彼も剣士なのだろう。


「何だよ、俺の顔に何かついてる?」

「いえ、何でもありません……助けていただきありがとうございます。あの、先ほどスライムの巣と聞こえたのですが」


 誤魔化し笑いをしながら、自分が落ちてきた天井の大穴を見上げる。上空は真っ暗で、どれほど深い穴なのかも窺い知れない。


「ああ、偶然見つけた洞に何十匹もスライムが折り重なって住み着いてたんだ。ほっといてもよかったんだが、ちょうど上からあんたが落ちてきたから、まとめて倒した」


 ぞっとした……本当にいくつもの偶然が重なっていなければ、私は助からなかったのだ。彼の言う通り、運が良かったのかもしれない。


「そう言えば、もう一人落ちてきませんでしたか? あなたと同じ剣士なのですが」

「さぁ? お前ら、見かけたか?」


 彼が仲間たちに呼びかける。少し離れた場所には、ふさふさの耳と尻尾を持つ少女と銀髪の美女、それに風変わりな重装鎧を纏った先ほどの女性が立っていた。

 男一人に全員女性メンバー……これは、ローリー様が言っていた『はーれむ』なるものなのだろうか。


「そう言えば、血の臭いがするわね」

「ボク、さっきバラバラになった人間のパーツ見たよ!」

【この洞の天井は距離からして地下二階から地下七十階の吹き抜けになっています。落下中に壁に激突するなどの損傷を受けた結果と予測します】

「……だそうだが、確認しとく?」


 ヒエッ!!


 何の酔狂か捨てられた侯爵夫人をトレジャーハンティングしようとしたごろつきの末路に、私は戦慄してスライムのように首をぶるぶる振った。私が無事だったのは、抱き抱えられていたおかげなのもあるかもしれない……感謝する気にもなれないが。


(そんな事より……地下七十階!?)


 それは、冒険者たちが予想していたのよりも遥かに深い地底だった。


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