第十五集:危急
太陽が最も高い位置に昇り、戦いが始まった。
劉大将軍と
城壁の外には怪力の野獣と化した兵たちが溢れている。
「出るぞ!」
それを見越していたかのように、伏兵だと思われる狂暴化した敵兵が土から這いだし襲い掛かった。
雅黄軍総勢八万、紅劉軍総勢八万、
それに対し、剛城の兵はおよそ十五万。
中規模な
それだけ、重要な秘密を持っているという証拠だ。
通常、城攻めには敵兵の三倍の人数が必要だという。
しかし、今回は相手がこちらへ明確な殺意の元、城から兵を出してきた。
いつもの城攻めとは全く違ったものになるだろう。
「
「おい、
「ごめん、兄さん」
「……普通、弓術師は離れたところから撃つんじゃないの?」
「我らが
「そうですよ。諦めてくださーい」
地面が赤黒く染まっていく。
風は吹いているが、血のにおいが濃くなってきた。
「よくしゃべりながら撃てるよね」
「矢をつがえて、引いて、狙って、ポンっと放すだけですよ?」
「そうそう。目の前に敵がいれば、そこに勝手に飛んでいきますから」
才能のある人物というのは、どうしてこうも説明が下手なのだろうか。
いや、教鞭を持つにふさわしい人物もいるにはいるが、得てして、感覚で才能を操作している者は他人にその技術を伝えるのが上手くはない。
「うんうん、二人はそのまま健やかに育ってね……」
「同い年ですけど」
「
心に痛恨の一撃を喰らいつつ、
(紅劉軍と雅黄軍は本当に強いな。敵兵の異常な怪力を、剣術と武術でうまく受け流している)
戦が始まる前、
内功に作用し、一時的に傷や打撲からの治癒能力を高める薬だが、劉大将軍も
「戦には怪我はつきもの。それで命を落としたとしても、覚悟の上です」と。
それは誉れある死を望んでの言葉ではなく、生きて帰る自信からくる言葉だったのだと、戦い方を見て学んだ。
「さぁ、もうひと踏ん張りだ。陽が落ちてきたら中に入る準備を始めよう」
「はい、
「楽しみはこれからですね!」
(それにしても、しぶとい。四肢を斬り落とされても向かってくるなんて……)
敵兵たちの様子は、かつて
わずかな理性も無く、知性も失っているようだ。
ただただ、口から
(……まるで、本当に動物のよう。人間だけでなく、戦場を横切る兎にすら反応して食いちぎっている。本能でしか動いていないんだ……)
まともな言葉を発している個体は一つもない。
ただただ唸り声と咆哮を繰り返している。
馬上から戦局を眺めているときに時折目に入るのは、敵兵が木に向かって片足を上げてする放尿。
あれは野犬が縄張りを主張するときにもよくやる行為だ。
(本当に、単純な命令にしか従えないほど、脳を侵されているんだな)
こうなることをわかっていて、敵兵は魔薬酒を飲んでいるのだろうか。
もし身分の高い者から「戦の前に景気づけだ」とでも言われてふるまわれ、何も知らずに飲まされているのだとしたら……。
考えたくはないが、敵兵の彼らも被害者なのかもしれない。
戦は陽が落ちるとともに、勝負がつかなかった場合は一旦互いに退いて行くものだが、
退却の
ただただ「敵を屠れ」という単純な命令にしか従えていない。
「入れ替えだ!」
ほぼ同時に
攻撃の手を緩めることなく弓隊と槍盾兵を前に出し、少しずつ兵を入れ替えていく。
負傷兵は野営地まで戻し、まだ戦えるが疲労がたまっている兵は後ろに下げる。
長期戦だということは覚悟の上だったので、対応は潤滑に行われた。
しかし、陽が完全に落ちる手前で、敵兵たちは一目散に城へと引き換えしてしまった。
「な、なんだ?」
「どういうことでしょうか……」
そこへ、遊軍としてずっと駆けていた
「
「おそらくは
「なるほどな……。愚かな薬を作り出したものだ」
劉大将軍も思う所があったようで、険しい顔をしている。
「人間と戦っているようには思えませんでした。まことに憐れな兵たちです」
雨が降り始めた。
二人はそれぞれ一万ずつ兵を残し、兵には交代で野営地へ戻らせ、食事を摂らせるなどした。
雨は小雨になったが、尚も降り続いている。
視界の悪い中、嫌な空気が流れ始めた。
敵兵の遺体が、通常よりも早く腐敗し始めたのだ。
鼻を突く嫌な甘さのある臭い。
死んでも尚、魔薬酒の効能の一つが身体を蝕んでいるのだろう。
「では、
「頼んだ。我らは最大限注意をひく」
「よろしくお願いいたします」
今日はいつもの白い深衣ではなく、着ていたものを黒い装束に変化させた。
「師匠、出番ですよ」
天蓋の中で黒い装束に着替えていた
「ふぅ。年寄りの人使いが荒いぞ」
「いやいや、見た目は三十代そこそこじゃないですか」
「でも
「はいはい。行きますよ」
「ぐすん」
なんだかんだと言って、
本人も鉄という弱点があるとはいえ、武術は大得意。
戦うことが嫌いなわけではないのだ。
「まぁ、
「
「あれにはわずかに鉄が含まれているからな。触れると火傷してしまうんだ。完全に観賞用だな」
「わたしが使ってもいいですか?」
「おお、いいぞ。私の金剛領域から勝手に持ってくるといい」
そう言うと、
「ではとってきます」
すぐに金剛領域から出ると、扇子を開いたり閉じたりしながら感触を確かめた。
「いいですね」
「
「え……。りゅ、龍神?」
呆けた顔をする
「お前が知らない種族など、まだまだいっぱいいるんだぞ」
「これからも、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」
「よかろう!」
準備を整えた二人は、天幕から出ると、すぐそばに集まっている小隊の元へと向かった。
「
「我ら兄弟は
「それに、馬に乗っていたので元気です。自分の翼で飛びながら足で撃つ方が断然疲れますから」
「頼もしいね。援護をよろしく」
「はい、ゆ……、あ、違う。
「ふふふ。兄さんでも間違えることあるんだね」
「うるさいぞ、
いつも明るくふざけている二人のやり取りに、緊張感がほぐれ、肩から好い意味で力が抜けていく。
「さぁ、行こうか」
総勢十名。
ありがたいことに、全員が
遠慮なく、力を発揮できる。
薄い雲がかかる満月の光の中、城へ向けて出発した。
「見張りは普通の兵のようですね」
城のすぐそばの茂みに潜み、目的である東門を観察。
「撃っちゃいます?」
「……うん。一撃でよろしく」
合計で六名。
「扉の向こう側にもいますよね」
「飛んで見てきます」
「あ、それはわたしと師匠で行く。姿を消せるからね」
「え、私も行くのか?」
「もちろんです」
嫌そうな顔をする
「
「万能じゃないがな」
「たしかに。霊感のある人にはうっすら視えちゃいますから」
「そうなんだよなぁ。それがなければ入ってみたいところはいろいろあるのに……」
「……
「ち、違うぞ!」
二人は城壁の内部に降り立つと、その内側で見張りをしていた敵兵の首を掻き切った。
全部で八名。
内側からゆっくりと扉を開け、
「さすが!」
「早いですね」
「これくらいはね。問題は、地下の製造所にどれくらいの人数がいるかってことかな」
「乱戦になりますかね?」
「乱戦、得意だろ?」
すると、
二人ずつにわかれ、それぞれ製造所の扉を目指す。
全員、城内図は頭に入っている。
(……やけに静かだな)
人々が寝静まっているはずの時間だからということもあるが、それにしても静かだった。
赤子が泣く声すらしてこない。
「師匠、斬り込みいけますか?」
「ここまできたんだ。なんでもするよ」
「ありがとうございます」
わざわざ鍵を持っている者を探し出し、奪ってから鍵を開けるのが面倒だったからだ。
扉についていた金属がガチャンと音を立てて地面に落ちた。
灰が風に乗って室内へと流れていく。
「な、なんだ⁉」
室内から慌てる声が聞こえてきた。
「と、扉が燃えてなくなっただと⁉」
そこへ、集結した十人でなだれ込むように製造所へと入って行った。
「だ、誰だ!」
「
「う、うわあああ!」
あちこちから悲鳴が聞こえだす。
これで、誰も逃げ出せない。
こういった製造所は秘密の漏れを防ぐために、大抵、出入口は一つ。
毎回、何も持ちだしていないか作業員に確認するために、そうなっているのだ。
「魔薬酒が入っているすべての
「や、やめろぉおおお!」
叫ぶ技術者の首を刎ねていく。
襲い掛かってくる敵兵は通常の兵士だけ。
狂暴化していない分。制圧するのは容易かった。
悲しいのは、ここにいる兵士も製造に関する何かを知っている可能性があるため、全員殺さなくてはならないことだ。
本当なら、捕虜として命だけは奪わずにいたいというのが
「
「師匠が中身を確認したら、全部燃やして!」
「かしこまりました!」
魔薬酒の製造に関するすべてのものはここで廃棄していかなければ、また同じ過ちが繰り返されてしまう。
とにかく全員で暴れて回った。
外からは紅劉軍と雅黄軍が城内へと入ってくる音が聞こえだした。
これで、非武装の民は無事に城の外へと出られるだろう。
その時だった。
まだ生き残っていた技術者の一人が、流血する身体を引きずるように壁に近づき、柱を叩いた。
すると、柱の中から紐が垂れ、それを技術者が引っ張った。
「お、お前たち、い、生きては、か、帰さないぞ!」
技術者に
そのすぐ後だった。
違和感を覚えたのは。
「
すぐに音が鳴っている方を確認すると、それは西側にある壁の一部だった。
「扉になっていたのか!」
壁の一部が凹み、右へと滑るように開いた。
すると、中から出てきたのは、信じられないものだった。
「あ、あれは……、民です! それも、非武装の……」
甲冑もなにも身に着けていない、普段着の民が、口からよだれを垂らしながら、こちらへ向かって走って来た。
「魔薬酒を飲まされているようです。手に持っているのは皆、農具や調理器具ですね」
剛城の城主は、あろうことか、兵士たちだけではなく、一般市民までも化物にしたのだ。
「
「いくら自分の意志で飲んだのではないとしても、魔薬酒は武器です。もう、彼らは非武装とは言えません」
心の中で
――殺したくない。救える手段はないのか。
(
――そ、それでも、何か、何か薬で中和できるかも……!
(……お前の優しいところは大好きだが、今は邪魔でしかない。すまないが、ここはわたしのやり方でやらせてもらう)
――け、
思考が変化していく。
心が静かになり、ただ一滴、
その波紋が伝わった瞬間、
「戦うぞ!」
「うぎゃああ!」
言葉とは呼べない声が、辺り一帯に木霊する。
「
入口の方から、
「非武装の民が魔薬酒を飲まされていたようで、現在戦っています!」
「くそ、やはりそうか。こちらも、町中から次々と狂暴化した民が溢れてきた。これじゃぁ、誰も救えんぞ」
「とにかく、誰一人城から出すわけにはいきません」
「仕方ない。全員、城の中に誘導し、火をつけるぞ! お前たちもきりのいいところでそこを出て、城から離れろ! 間隔を開けて銅鑼を鳴らす。十二回鳴るまでに、脱出するんだ!」
「わかりました!」
「赤子や子供たちはいないのではなく……、狂暴化した大人たちに食べられたのか……」
小さな骨。
まだ肉がこびりついているものもある。
すべてを、
このままでは、心が壊れてしまう。
銅鑼の音が鳴り始めた。
その間に、紅劉軍が適切な配置で可燃物を設置していく。
風の向きや強さを計算し、燃焼速度を速めるためだ。
可能な限り、民の首を刎ねていく。
せめて、苦しまずに死ねるように。
それが
銅鑼の音が十回目にさしかかった。
「退避しろ!」
最後に出た
「製法書、見たぞ」
「どうでした?」
「間違いなく、魔法使いが関わっている」
二人の思考は、重なり始めていた。
十二回目の銅鑼の音。
火矢が頭上を飛び始めた。
場内から複数の爆発音とともに、炎上が始まる。
炎は風にあおられ勢いを増し、真昼の様にあたりを照らし始めた。
悲鳴にもならない咆哮がこだまする。
葵国のどこを見渡しても、援軍が来るような様子はない。
剛城は捨てられたのだ。
魔薬酒と共に。
「剛城以外では生産されてはいないが、製法書はまだあるかもしれないな」
「それに、その製法書を渡した人物がいるはずです。師匠によると、魔薬酒の素材には、中原では栽培されていない、はるか西洋諸国の薬草が使われているようですから」
魔法使いの存在については言えなかった。
それが
「とにかく、見張りを残して休もう。火が消え次第、中に入って調査しなければな」
「はい。それがいいですね」
不思議なことに、それでも思考が戻らなかった。
砕けそうな心を、
「今日は本当に大変だったな」
「そうですね……。師匠もゆっくり休んでください。あ、傷の手当はどうしますか?」
「怪我はしていないから大丈夫だ。……
「そのようです。
今は何を言っても、慰めにはならないだろうから。
「君も寝ろ」
「そうですね。では、自分の天幕に戻ります」
気付けば空は晴れていた。
いつ雨が止んだのだろう。
全く気付かなかった。
「……わたしはいったいどうなんてしまうんだろう」
誰に答えてほしいわけでもない悲しい言葉が、夜空に溶けていった。
翌朝、
天幕から出て朝陽の下、書簡を広げた。
「ち、父上が⁉」
ちょうど立ち寄りに来ていた
「どうした?」
「な……。崩御なされたのか」
「
「十中八九そうだろうが、真相を突き止めるまでは断定は出来んぞ」
「……帰らなくては」
「香王殿下に伝えてこい。なるべく、騒ぎにならないように」
「はい……。行ってまいります!」
中に入り、挨拶もそこそこに事実を伝えた。
「なんだと⁉ さ、
「
「弟は賢いからな。それくらい容易いだろう……。まさか、そんな……。死因は?」
「泥酔で吐瀉物がのどに詰まり、窒息だと書いてありました」
「……
「わかりました。すぐにそうします」
「お前のことだから大丈夫だとは思うが、下手に動くなよ。皇太子ではないとはいえ、お前は
「うまく立ち回ります」
「よし。行け」
この先、瓏国内に入り、黎安までの道のりでも何があるかわからない。
正直、
空には灰色の雲が浮かんでいる。
また、雨が降るかもしれない。
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