第十一集:明星
「
そう言って
「……被害がない!」
村には避難してきたたくさんの着の身着のままの人々で溢れていた。
すでに
「そうだ。ここは、かつて我が兄、
「わたしにも責任があります。陛下の仕事をもっと手伝っていれば……。放蕩息子であることをやめていれば……。わたしは、わたしは親王なのに! なんてことを……」
「
「でも……」
「しっかりしろ、
「わ、わたしなんか……」
その瞬間、背中を思いっきりはたかれた。
「うあっ!」
「おお、なかなか体幹を鍛えているな。倒れなかったではないか」
「い、いきなり何を……」
「さぁ、歩け。彼らはお前を求めているんだ」
「……あ、
「
笑顔だった。
駆け寄ってくる人々は、
「
「私も! 出産のとき、産婆を呼ぶことが出来ました。本当に、
「
「お、俺も! 俺と兄貴の初陣は
人の輪が広がり、皆が
「お、叔父上……」
「ほらな? お前の笑顔は一回につき百人を救うんだ」
「あら、
「あ、す、すまん」
男性陣を押しのけてやってきた女性たちの圧に押され、
「殿下が来てくださっているなんて、私たちは幸せです」
「そうそう。数年前までは問診に来てくださっていたのに、最近ではあの兄弟子さん? でしたっけ。
「殿下は忙しいのよ。だって、まともに私たちのこと考えて皇宮で発言してくださるのは殿下しかいないのよ? 親王としてのお仕事を邪魔してはいけないわ」
「
「みんな絶対に喜ぶわ」
薬術師ということもあり、あまり女性に苦手意識はない
顔から火が出そうなほど真っ赤になってしまった。
「あら、
問診で見慣れているとはいえ、さすがに、胸部が目の前で複数揺れればのぼせるというもの。
「す、すみません。決して不埒な考えはありませんので……」
隠しようもないほど顔を赤くしながら慌てる
「わかってますよぉ、殿下。何千人分も炊き出ししていると、身なりを気にする暇もなくて。ちょっと豊満な部分が強調されちゃってましたわ。おほほ」
「上品に笑ったって無駄よ。さぁ、胸元締めて頑張るわよー!」
元気いっぱいの
男性たちも呼応するように「よっしゃ!」と声を上げ、仮設の家の建築が進んでいく。
「女性が元気な村は良いな、
「そうですね。わたしも頑張らなくては」
「背負い込むなよ。そろそろ周辺の城からカツアゲ……、援助してもらった食料が行き渡り始めるはずだ」
「……お、脅したんですか?」
「国境線を護っているのが誰なのかを丁寧に説明しただけだぞ」
「うわぁ……」
午後になると、どこにそんなに隠していたんだ、というくらいの食料が次々と届けられ始めた。
「お、戻ってきたな」
「師匠、いきなりで申し訳ないのですが、
「本当にいきなりだなぁ。理由を聞こう」
「治水工事をしておきたくて」
「……なるほどな。人間の手でやるより、仙術を使った方が早く出来るからか」
「仙術は自然と調和すると教えてくださいましたよね。だから、仙術で作り出したものが長持ちしないことは承知しております。自然は自然に還るから。だから、その下準備だけでも手伝いたいのです。我らが下書きし、人間の手で完成させれば、有効なのではと思うんです」
「先生、
「で、でも」
「さっき見ただろ? 人間の力だって、捨てたもんじゃないんだ。大丈夫。お前と私主導で治水工事を進めよう」
「え、ということは……」
「私も皇宮へ戻る。香王府でしばらく生活するとしよう」
「叔父上! ありがとうございます!」
「弟も呼び寄せるとしよう。
「送り込んでいる嬪たちからの情報も纏めたいからな」
「やはりお二人が真の後ろ盾でしたか」
「私の領地と弟の領地から賢い
「叔父上は何も悪くないではないですか」
「そういうことだ。だから、
「あ、な、なるほど。叔父上は説得上手ですね」
「だろう? だからあんなに食料が集まっているのだ」
「それはまた別の要因の気もしますが……」
「あはははは」
その後、四週間被災地に滞在した
被災状況とその復興に関する報告の中で、
「被災した村々を一時的に香王と
ここに
「な……! りょ、領地でもないのにか⁉ そんなに人心を操作したいのか!」
「陛下、一つよろしいですか?」
子供のころから、
「な、なんだ星王」
「人心操作とおっしゃいましたが、よく考えてもみてください。今、民の心は悲しみで満たされ、明日の生活も不安といった状況下で、彼らは誰を心の頼りにすればいいか迷っております。それは陛下にとって
「ぐっ!」
「す、好きにすればいい。報告はこまめに行うように!」
「かしこまりました、陛下」
次に呼ばれた
特に何を突っ込まれるでもなく、
ただ、その代わり、
不安そうな、落ち着きのない目。
「恵王殿下、皇太子殿下がお話したいと仰せです。少し、お時間をいただけますでしょうか」
「わかりました。先に母上のところへ行ってもいいでしょうか」
「もちろんです。賢妃様も、恵王殿下がお戻りになられてお喜びでしょう」
「ありがとうございます。では、午後に東宮へ伺います」
「よろしくお願いいたします」
母に挨拶を済ませ、小一時間ほどお茶の相手をした後、
「久しぶりに来るなぁ……。ん?」
東宮の前までやってくると、そこには
「ああ! 恵王殿下! どうぞ中へ」
「みんなは……?」
「皇太子殿下が、兄上と二人だけで話したいから外に出ていろ、と」
「わかった。じゃぁ、話しが終わったらすぐに……」
すると、太監の一人が腕ごと手を握ってきた。
「火鉢が焚いてありますが、空気の入れ替えを行ったばかりですので、少し寒いかもしれません」
手の中に、紙が握られている。
「くれぐれも、風邪など召されぬよう、お気を付けくださいませ」
「ありがとう」
数十人の太監に見送られながら中へ入る。
廊下の途中、袖から紙を出し、中を開けた。
――
(……そういうことか)
(魔法使いと手を組んだのか……、
そうなると、おそらく、
(人間は、愛情が裏返った時が一番恐ろしい。気を付けないと)
「
「兄上!」
申し分のない笑顔が、余計に空気を張り詰めさせた。
「さぁ、こちらへ!」
「皇太子殿下に歓待されるなんて、贅沢だね」
「ふふふ。兄上は特別ですから」
「痛っ」
「あ、兄上!」
指にまっすぐな切り傷。
じわりと浮かんだ血がゆっくり指を伝っていく。
「す、すみません! 茶碗が割れているとは気づかず……」
「大丈夫だよ。でも、一応太医のところへ行ってこようかな」
「そうされた方が良いかと思います……」
何かが昏く光った気がした。
「じゃぁ、お茶はまた今度」
「はい、兄上」
血は出ている。
疑いは晴れたはず。
☆
「おい魔法使い! 出てこい!」
虚空に向かい、
「言ったでしょう? 賢い方です。やはり、液化薬を飲んでいらっしゃいましたか」
「そんな……、本当に、本当に兄上が
「鉄粉を混ぜた特別な毒が指をかすめたのに、
「なぜ兄上は私に話さない⁉ なぜ正体を隠し、
「心の弱さを補うための分身なのでは? 優しいままでは、殿下を殺せませんから」
「なんだと⁉ アンリ、それ以上言えば、首を刎ねて豚の餌にするぞ」
「おやおや、恐ろしい。でも、無理なのは御存知ですよね」
「くそ! くそ! くそぉおお!」
「……どうすればいい。どうすればまた兄上を私のものに戻せる」
「そうですねぇ……。では、こういうのはどうです? この世界で唯一、
「……は? 私に人間でいることをやめろというのか?」
「人間である必要がありますか? その種族はとても美しく、邪悪で、強力で、魅力的。私のことも殺せます。何より、いずれ皇帝となられる殿下には、人知を超えた力が必要でしょう? 中原を支配できますよぉ。それも、幾千年もの永い時を」
「何だと? 中原を……、支配できるというのか」
「左様です」
「……なんという種族だ」
「悪魔です」
「あくま?」
「様々な宗教で悪しき者の総代として描かれている存在です。その力は強大で、人間など耳に甘言を囁くだけで操り殺すことが出来ます」
「ほう……。その悪魔とやらになれば、兄上を取り戻せるのか?」
「ええ、もちろんです。
「私から二度と離れたりしない、人形のように……。いいだろう。どうすればその悪魔とやらに成れる?」
「魂を穢し、私が用意する
「あはははは! 魂ならとうに穢れておる。お前も知っているだろう」
「いえ。まだです。本当に魂を穢すために必要なのは、肉親の殺害です」
「父上と母上か」
「ええ。皇后陛下はどうにか手にかけることが出来たとして、皇帝陛下を襲うのは相当難しいのでは?」
「簡単だ。また毒を盛ればいい。兄上のいないときにな」
「また……、というと、一度ご経験が?」
「まあな。皇太子などと言う地位には何の意味もない。さっさと殺して皇位をもらおうと思ったのだ。しかし、
「それはそれは、大変だったのですね」
「次はしくじらない。春には兄上の結婚式がある。それさえ終われば、父上も母上も油断するだろう。あの忌々しい小娘が兄上の隣に座るなど反吐が出るが、まぁ、仕方がない。結婚せねば、
「塵とは……」
「阿保面で国を
「それも、後々一掃せねばなりませんね」
「ああ。……すべてが成功したらお前には十分な報酬をやろう」
「それは楽しみです」
アンリは恍惚とした表情を浮かべながら
「何がそんなに嬉しいのだ」
「貴方様は、この中原を統べる魔王となるのです」
「魔王、か」
甘美な響き。
莫大な権力の香り。
生殺与奪を操れる力の鼓動。
今まで受け取ってきた言葉の中で、一番喜ばしい。
「私は、魔王になるのだ」
何かを壊すのならば、小さい粗末なものよりも、高価で大きいもののほうがより快感は増すというもの。
陽が傾き始めた。
太陽が落ちていく。
まるで、弟に撃ち堕とされた、明けの明星の様に。
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