龍華戦記〜召喚されるは誰が為に〜

サテブレ

凋る世界へ

那宮(だみや)家 本邸内


「腹を切れぃ、胤ノ助!」


梅雨の時期特有のしとしとした雨の降る夜に、自分は実の父に切腹をいい渡されていた。

古めかしい造りの屋敷は人払いがされており、床間には自分と実父の二人だけである。

普段の自分であれば逃げることも容易いだろうが、さっきまで縄で縛られていたせいか、手足が痺れ自由に動かせない。

懲罰中に一切食事を与えられなかった影響もあるだろう。

鞭打ちや抱石などの拷問を受けている間に、何度楽になることを考えたことか。


「俺は…認めていないからな」


自白がなければ奉行所が動けないことはよく知っている。

だから最後まで黙秘を続けた。

決して死ぬのが怖かったからではない。

正義を貫いた自分を悪だと、罪人だと認めることが許容できなかったのだ。


「ぬかせ、この親不孝者め!大人しく従っておれば、違う結果になっただろうに」

「なんとでもいえばいい…俺は武士として死ぬ」

「減らず口を叩くな!この太平の世で、武士がなんだというのだ」

「父上には一生かけても分からんものだ。それにしても切腹か…せいぜい笑ってくだされ」


父にとって自分の首は価値がある。

罪人を処した証となり、上役にも示しがつくことだろう。

それが分かっているだけで、腹を切る覚悟も決まるというものだ。


「菫…今からそっちにいくからな」


準備は滞りなく進んでいく、用意された白装束に袖を通し犬のよう庭園へ引き連れられた。

いつも通っていたはずの廊下が、今は地獄への道に見える。

外はすでに雨が止んでおり、ぐっしょりと濡れた地面の上に古い畳が敷き詰められている。

松明の灯りと月明かりを頼りに歩みを進め、雨に濡れた畳まで辿り着く。

道中の濡れた地面の気持ち悪い感触が、嫌でも自分の命を自覚させてくる。


「早く座れ」

「いわれずとも座る」


畳の上に置かれた三方には小刀が一刀据えられている。

炎ゆらめきと共にギラギラと反射する刀身が視界に入ると、途端に背筋が凍るような思いがした。


「(今更、何を恐れる…そうだ俺は何も間違った事はやっていない!自分の信念を貫き死ぬのだ満足しろ)」


怖気づいた心に念じるように言い聞かせ、無理やり体を動かした。

三方の前で膝を折ると、鏡のように濡れた刃が嫌でも目に映ってしまう。

普段であれば、こんな刃物を見たところで何の感情も湧かないはずなのに、今に限ってはこの世のどんな凶器よりも恐ろしいと感じる。


「(やはり自分は死を恐れているのか)」

「拙者が介錯を務める。何か言い残すことはあるか?」


感傷に浸っている暇もなく、せっかちな介錯人との問答が始まる。

何と答えようとも関係ないだろうと思いつつも、頭の中では言葉を探してしまう。

そのおかげか、いつもの自分を少しだけ取り戻すことができた。


「そうだな…あえていうなら、あんたが綺麗に首を落としてくれるか心配なことぐらいか」


介錯人は眉間にシワを寄せる。

先ほどまで能面のように無表情だったものが、今は般若のようだ。

それでも挑発を止めるつもりはない、下ろした髪が邪魔だろうと思い、首が見えやすいように掻き分けてみせた。


「ほら、首はここだぞ?」

「貴様!某を侮辱するのか!」

「同業のよしみというやつだ。一刀で首が落ちぬとカッコが悪いのでな」

「今の言葉、しかと覚えておれよ」


表情は元の無表情に戻っていたが、声色に強い怒りが込められていた。

これで無駄な雑念を挟むことなく首を飛ばしてくれるだろう。


「それでは父上、先に逝く親不孝者をどうかお許し下さい」

「あぁ、さっさと腹を切れ」


軒先の下にいた父に最後の別れを告げ、勢いに任せて小刀を腹に突き立てた。

そのまま痛みが脳に伝わる前に、一思いに腹を十字に切り裂く。


「ふ、ふぅ…」


裂いた傷口が焼けたような熱を帯びており、溢れ出た生暖かい血が下半身を温めた。

だが、温かい筈なのに体の芯が冷えていくことが分かる。

精一杯の気合と意地で声を上げないことが、今できる全てだった。

額からは止めどなく冷や汗が流れ、できることはただ一つ、大人しく頭を垂れ介錯されるのを待つことだけだった。


「(なるほど、中々死なないものだな)」


なかなか終わらない苦しみの中で、介錯人のありがたみを身をもって思い知る。

血が流れたせいで、意識が朦朧としているというのに、腹の痛みだけは鮮明に伝わってきた。


「何をやっておる。早く介錯せぬか!」

「ちっ、もう少し苦しむ姿を見たかったんだがな」


薄れる意識の中でも父の声はハッキリと聞こえた。

どうやら気兼ねなく切ってもらうつもりで挑発したのは逆効果だったみたいだ。

介錯人はわざと首を刎ねないことで、先程の鬱憤を晴らしていたのだろう。


「(最後の最後まで忌々しい人だ…)」


バシュッ,ゴロゴロ


首を切られ五感がなくなるが、自分の首が落ちる感覚だけは何故だかはっきりとわかった。

でもおかしい地面までほんの少しの距離だったというのに落下する感覚が止まらない。


「(これが死ぬというものなのか?)」


不思議に思いながらも、死ぬとはこういうものなのかと思いだしたその時だった。


【召喚者ハザマの召喚魔法により転生を待たずして別世界へ顕現します】


五感がないのに声が聞こえた。

寧ろ今のは声だったのかすらわからない。

女性のようでも男性でもありそうな声の正体を問いただそうにも話すことができない。


「(当たり前はすでに死んでいるのだから、声など聞こえる方がおかしい…)」


そんなことを考えたところでついに意識が途絶えるのだった。

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