7月の夜
ムラサキハルカ
これから『7月の夜』って話をするんですけど
「これから『7月の夜』って話をするんですけど、これって実は僕が体験した話じゃなくてですね、会社の先輩の林さんから聞いて、いいなぁって思ったから、今この場で話してみようかなって思い立ちまして。ただ、林さんの話を丸パクしちゃうのもどうかなって僕の良心が言ってるんですよね。だから、聞くんですけど、林さん、話してもいいですか?」
「別にかまわないけど……そもそも、あたしが体験したことでもないっていうか……こないだの合コンで、あたしをお持ち帰りした男の寝物語で聞いた話なんだけど、それで良ければ」
「えっ、これって林さんの話じゃないんですか。だったら、その男の人にも許可とらないとダメですかね? 林さん、連絡取れたりしますか? もしかして、彼氏だったりとか……」
「君って、よくデリカシーないって言われない? それはそうと、そいつの連絡先は知ってるけど、所詮ワンナイトラァブだったから、気にしないでいいよ」
「いいんですかね?」
「いいんじゃない? やり捨てした男の都合なんていちいち知らんし、この話自体もあいつが又聞きしたのをあたしに話したのかもしれないし。っていうか、暑いからっ早く終わらせて」
「そうですか。じゃあ、許可ももらったことですし、晴れて『7月の夜』について話して行こうと思います。あれはそう、一年前? 五年前? いやいやもしかしたら十年前かもしれないんですが、そこら辺、林さんどう言ってましたっけ?」
「そこから? けど、適当でいいんじゃない。本編にはあんまり関係ないことだし」
「それもそうですかね。とにかく、題名の通り、7月の夜に起こった出来事だということだけ覚えて帰ってもらえれば。それでですね、あらかじめオチを言っておきますと、最後は7月の夜を見上げて、いい景色だなぁって思って終わります」
「そこは引っ張るとこじゃないの」
「いや、僕が我慢できなかったんでつい」
「ついって、あんた……」
「林さん……じゃなかった。林さんのワンナイトラァブしてやり捨てされた男の人……ってわけでもないかもしれないのか」
「ながいよ」
「じゃあどうしようかな……まあ、誰でもいいですかね。たとえ、僕であっても林さんであっても、やり捨て去れた男の人でもそこのあなたでも、とにもかくにも7月の夜に本屋さんに入ったんですよ。ワンナイトラァブの翌日……」
「もう、それいいから」
「おっと、これは失礼。とにかくその人は、ものすごく疲れていたらしいんですよね。たぶん、想像するに仕事帰りだったんでしょう。おまけに夜とはいえ、7月ともなれば、もう十分暑いわけで。そうやって暑さとか疲れでどうにかなりそうな体とか頭を少しでも癒したかったんでしょうかね。毎週連載を追っていたギャグ漫画をいつになにく読みたくなって本屋に入ったらしいんです。数階建ての大きめの本屋さんらしいんですが、ここら辺、ちょっとだけ不思議だなぁ、って僕なんかは思うわけです」
「どの辺が」
「いやいや、たいしたことじゃないんですけど。週間で長期連載の漫画雑誌だったら、コンビニで買えばいいんじゃないかなってふと思ってですね。ただ単にコンビニで取り扱っていない雑誌だったとか、たまたま近くにあったのがその本屋さんだったとか、色々考えられるには考えられはするんですけど。思うに、立ち読み勢だったのかなと勘繰れなくもないですね」
「なんで、大型書店に入っただけで立ち読み勢ってことになるわけ」
「あくまでもごくごく個人的な経験則としてなんですけどコンビニよりも書店の方が、雑誌をシュリンクで包んでなかったり紐で縛っていないことが多い気がするんですよね。加えて、レジと雑誌コーナーの距離も遠くて、他にも立ち読みしている人がいるから、あんまり人目も気にならない。さらについでですが、昨今のコンビニは感染症の影響で立ち読みを禁じていることが多いですよね。気にせず読んでいる方も見かけますが、僕なんかは後ろめたさを感じてしまって難しいですね」
「そこら辺はコンビにだろうと本屋だろうとさほど変わらないと思うんだけど」
「そうですね。全然、的外れかもしれないので、あくまでも僕の一想像ということで一つ。重箱の隅の隅で、本題にはさほど関わらないことですしね」
「回りくどい。さっさと本題に入りなって」
「これはこれは、失礼いたしました。とにもかくにも、その人はさほど苦労もせず、残り一冊になっていた目的の雑誌を見つけて、手にとろうとしたんですね。そこで、同じようにとろうとした人と指がぶつかったんです。古ぼけた小さな本屋とか、図書館で起こったりしたら、ドキドキしそうなあれです」
「感染症云々はどうなったわけ」
「細かいことは気にしないでくださいよ。そもそも、人と人との距離が空く前の話かもしれないんですし。で、雑誌を買いたかった人は自分と同じ雑誌に指先をかけた人を確認したらしいです。そしたら、眼鏡をかけた痩せた女性が険しい目で見ていたらそうで。視線を受けた方は受けた方で、イラっとしたりもしたらしいんですけど、わざわざ一冊の雑誌を巡って喧嘩するほどの大人げのなさもなかったらしくて、さっと指を離して踵を返したそうです。それで、また雑誌を探さなきゃいけないのか、めんどうくさいなぁ、くらいのことを思いながら、店を出ようとしたらしいんですけど、くいっと袖を掴まれたそうなんです。振り向けば、先程の眼鏡の女性がむすっとした顔で雑誌を差し出してきたんだとか。雑誌を差し出された人としてはこれで他の場所で雑誌を探さなくて済むとほっとした反面、なんとはなしにそれは違うって思ったらしいんです。ここら辺、僕の感覚としてはよくわからないんですけど」
「一度、譲ったんだから、譲った相手のものだ、みたいな感じじゃないの」
「う~ん、ますますわかりませんね。とにかく、雑誌を差し出された人は、いらないと意地を張ったらしいんですよ。そしたら、女性は女性で、別に買うつもりはなかったから、ってボソッと呟いたんだそうです。これでは意地を張る必要もないな、と雑誌を譲られようとしていた人も理解していたらしいんですが、なんかよくわからない理由で引くに引けなくなっていたみたいで、自分も買うつもりはなかったよ、と言っちゃったらしくて。馬鹿ですね、ほんと」
「辛辣だね」
「そうですか? ただ思ったことを話してるだけなんですが。それで、女性はなぜか、雑誌を受け取り拒否した馬鹿な人を睨みつけたまま微動だにしなくなったそうです。馬鹿な人も馬鹿な人で、まるでその場に縫いつけられたみたいに動くに動けなくなったらしくて、しばらくの間、女の人と特に望んだわけでもないのに、睨みあったんだとか。とはいえ、それなりに賑わっている本屋の中でじっと睨みあっていたら目立つに決まってるんですよね。つまり、いつまでも睨みあっているなんていうのは、恥を振りまく以外の何者でもないわけです。いつまでもと言われても、どこかしらで書店員さんやら異常に気付いて通りがかった人が声をかければ動けるようになったんでしょうが、幸か不幸かこの不毛な睨めっこは長々と続いたらしいんですよね。その長々とした時間の先で、ようやく行動を起こしたのは馬鹿な人の方だったらしいです。とはいってもくだらない意地は依然として継続されたままだったので、あからさまに顔を背ければ負けた気になる。かといって、いつまでも動かないわけにはいかないということくらい、わからなくもない。だから、気持ち目線だけをほんの少し逸らしたんだそうです。そうしたらですね、ちょうど視線が本屋の雑誌棚の上に設けられたガラスが見えたんだそうです。ガラス越しになにがあったと思います、林さん」
「だから、あたしは知ってるんだってば」
「おっと、そうでした。これは失礼。別に焦らすことでもないのですぐに話してしまうと、そこには短冊のかけられた細い竹が立てかけてあったんだそうです。不毛な睨み合いをしていた馬鹿な人の目は、真っ先に目に入った細長い紙に書かれた文字を読み、自然と口ずさんだそうです。東京に行けますように、ってね。もちろん、ただ読んだだけです。ですけど、それから女性が、あなたも東京に行きたいんですか、と尋ねてきたんだとか。馬鹿な人は、いきなり食入るように話しかけられて戸惑ってしまったらしいんですが、女性は食入るように、自分は東京に出たいんだと主張しはじめたそうです。東京タワーに登って、上野でパンダを見て、隅田川の花火大会に行きたいけれど、ただ、色々と身の回りのことが忙しかったり、あまり余分なお金がないから上京する余裕がないと。こうした話を馬鹿な人は最初こそどうでも良さ気に聞き流していたらしいんですが、女性の熱の入りようにほだされたらしくて、ぽつぽつと会話をかわしはじめたらしいんですよね。これはこれで迷惑な客だと思うんですが、本屋は図書館ほど静寂を求められる空間でもないからでしょうか。特段注意されることもなく、ひとしきり立ち話に熱が入ったらしいです。そうそう、女性も馬鹿な人と同じギャグ漫画が目当てだったらしくて、最終的には漫画談義になって、結局、割り勘して二人で読もうということになったらしいです。つまるところ、二人はその夜、必然的に一緒に過ごそうと決めたわけです……いい加減、話すのも疲れてきましたね」
「あんたが望んで話しはじめたんでしょ。というか、もう少しで終わりなんだから、最後までやりきりなさい」
「それもそうですね。ではでは、オチまで手短かに。こうして雑誌を買ったあと、二人は肩を並べて本屋の外に出ました。そうして馬鹿な人はふと空を見上げたわけです。街中の本屋の周りですから、街灯なんかも多いんですが、それでも掻き消せないくらいには月とか星が広がっていたとかで。そんな7月の夜を見上げた馬鹿な人は、綺麗な景色だなぁ、と思ったんだとか。以上が『7月の夜』という話になります」
「ネタバレした通りに終わったね」
「それくらいの約束は守らない行けないと思いまして。ところで、これって実は僕と林さんの……」
「話なわけないでしょう。それだったら、まだあたしとやり捨てしたやつの話だっていう方がまだ説得力があるっていうの」
「いやぁ、いいオチが思いつけなかったのでつい」
「あんたねぇ……まあ、いいや。皆さん、ご清聴ありがとうございました」
「ご清聴ありがとうございました。……ふう。ところで、これは本当に疑問なんですけど」
「なに?」
「この二人って、結局どうなったんですかね」
「さあ。ただ、綺麗な7月の夜で終わったわけではないと思うけど」
「それはまたしまりがない」
「そんなもんでしょ」
「まっ、そんなもんですよね」
「で、全部終わったけどこれからどうする」
「じゃあ、ご飯でも食べに行きましょうか。ここは蒸し暑くてかないませんし。早くしないと開いてる店も少なくなっちゃいそうですし、林さんなんか食べたいものでもありますか? そう言えば、この間始まったお仕事漫画の新連載についてなんですけど
7月の夜 ムラサキハルカ @harukamurasaki
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