立てられた本、積まれた本

月井 忠

第1話

 つづら折りの山道を進みながら、私はバックミラーとサイドミラーを交互に見る。


 警戒したところで意味はないか。

 そう思って、ハンドルを握り直し前方に目を向ける。


 定年を前に早めの引退をした私は、軽ワゴン車を改良して移動式の本屋を始めた。

 車にありったけの本を積み込み、近隣の村々を一月単位で順々に回る。


 儲けは、ないに等しい。

 生活の張りを求めて始めたに過ぎないから、それはいい。


 しかし、損失が出るとなると話は変わってくる。


 今日行く村では、いつも本が何冊か消えた。


 売れたからなくなるということではなく、知らぬ間に消えるのだ。

 しかも、歴史書の本ばかり。


 私は当初、万引きを疑った。


 売り場は非常に狭い。

 軽ワゴンから本棚を出し、その周辺に置くだけである。


 客は目の前にしかおらず、見張るのも容易かった。

 すぐに万引きの線は消えた。


 他の可能性が、すぐには浮かばなかった。


 そんなある日、チェックを何度も行ってみようと思った。


 家を出る前にざっと本棚を確認する。

 当然、本は消えていない。


 いつもの役場前に到着し、本棚を出しながら隅々まで本の並びを確認する。


 すると歴史書の棚に空白があった。

 二、三冊ほどの空きスペースがあり、誰かが本を抜いた後のように見えた。


 スマホでリストの確認をする。

 やはり、空白の部分には仕入れた本があるはずで、それらは消えていた。


 本は売り場に着く前に消えている。

 家から役場前に運ぶ間に消えているということだ。


 私はまたバックミラーとサイドミラーを確認する。


 本が車から落ちている可能性もあった。


 それが荒唐無稽な推論だと理解している。

 走行中にバックドアが開いたなら、本棚ごと落ちるだろう。


 それに歴史書だけが何冊か落ちるということはありえない。


 やはり、人為的なものを感じた。


 バックミラーを見る。


 走行中の車から歴史書を何冊か抜き取る存在。


 そんな者がいたとしたら、防ぎようがない。


 背筋が凍るような思いがした。


 ふと、通りの脇にある古い民家に目を移すと、垣根のそばで腰の曲がった老婆が何かを運んでいる様子が見えた。


 薄ら寒い気分を切り替えたくて、車を近くに止める。


「お手伝いしましょうか」

 車の窓を開けて、話しかける。


「いえいえ」

 老婆は言うが、とても運べそうにない。


 私は車を下りて手伝うことにした。


「すいませんねえ」

 そう言う老婆を先に玄関に向かわせ、私はそこそこ重さのあるダンボールを運んでいく。


 二つ目の荷物に取り掛かった時、車のエンジンがかかりっぱなしになっているのに気づいた。

 しばらく時間がかかりそうなのでエンジンを切りに行く。


 ワゴンの横を通ると不意に視界の端から手が伸びてきた。


 驚いて飛び退くと、そこには老人がいた。


 老人はワゴンに手を近づける。


 指をサイドパネルに触れるまで近づけ、そのまま腕を伸ばした。


 手はサイドパネルを突き抜けていった。


 老人が腕を戻す。


 手には本があった。


 徐々に消えていく。


 老人も手にした本も半透明になって消えていった。


「何かありましたか」

 老婆の呼ぶ声がした。


「あ、いえ」

 車のエンジンを切って、荷物運びを再開する。


 あの老人は一体なんだったのか。

 理解できないままに、頭をかけめぐった。


 すべての荷物を玄関に運び終える。


 新たな恐怖が芽生え、更なる気分転換が必要になってしまった。


 老婆がここでいいという言葉を遮って、中まで運ばせてくださいと言った。

 少々図々しい気もしたが、ちょっとした老婆との会話で、あの体験を拭いたい。


 老婆の指示通りに荷物を運んでいく。


「お茶でも、どうぞ」

 すべての荷物を運び終えると、老婆はねぎらってくれた。


 居間に通されると、私は圧倒された。

 壁の一面に、天井まで届きそうな本棚があったのだ。


 しかし、そこには本がなく空っぽだった。


「これは?」

「ああ、爺さんが本の虫でね。亡くなってから本だけは片付けたんだが」

 そう言って口をつぐんだ。


 思い出の本棚なのだろうか。

 空っぽの本棚はどこかさみしげだった。


 よく見ると一角に本が残っていた。


 近づいて背表紙を見ると、ハッとした。


 一冊だけ立てて置いてあるのは、先程消えた老人が手にしていたものと同じだった。

 横倒しに積まれている本にも目を向ける。


 それらは、かつて私が運んでいた本棚から消えた本だった。


「そこに何かありますか?」

 老婆はお茶を乗せたお盆を持っていた。


「いえ」


 腰の曲がった老婆からは見えにくい位置なのだろう。

 当然、老婆がここに本を置くのは一苦労だ。


 では、誰がここに本を置いたのか。


「おばあさんは、ここに一人で住んでいるんですか」

「ああ、そうじゃ」


 同居人の線は消えた。


 ならば、ここに来る客の仕業か。


 その場合、先程消えた本が今ここにある説明がつかない。


 必然的に消えた老人が運んだことになる。

 そして、老人は老婆の亡くなった夫なのだろう。


「おじいさんは余程、本が好きだったんですね」

「まあなあ」


 老婆は優しい笑みを浮かべて茶をすすった。


 それから、馴れ初めやらを色々と聞いた。


 話しの流れで私の身の上までも語った。


 お茶は熱くて、心まで温まった。


「おばあちゃん、ここに本があるんですけど、知ってました」

 私は立ち上がって本のある棚を指し示した。


「あれ? そうなんかい? 気づかなかったわ。そういや、あんたは本屋さんなんだろ? それなら、持ってっとくれ」

「いえ、ですが」


 私はふと思い立った。


「車の本棚はいっぱいなので、代わりに本を置かせてもらえませんか」

「? なぜじゃ」


「本棚が寂しいじゃないですか」


 いぶかる老婆をなんとか説得し、私は立てられた本を残し、積まれた本を回収した。

 車に戻り五冊の歴史書を持って、本棚に立てて並べる。


「また、来ますね」


 そう言って、玄関まで送りに来た老婆に別れを告げた。




 それから、私は一月毎に老婆を訪ねるようになった。


 本棚には立てて並べられた本と、横にして積まれた本がある。

 立てられた本はそのままにして、積まれた本を回収し、新たな歴史書を立てて並べる。


 私は積まれた本が老人の読み終わった物で、立てられた本はまだ読んでいない本だと理解した。

 新しい本を追加したからなのか、本が消えることはなくなった。


 こうして、本を通した老人との奇妙なやりとりが続いた。


 いつしか、私自身も歴史書を手に取るようになる。

 次はどんなものがいいだろうと考えるようなったのだ。


 移動式本屋を始めたきっかけを思い出していた。




 しばらくして、老婆の家を訪れると、そこには何人かの男女がいた。

 近くには、トラックも停まっている。


 私は車を止めて窓を開け、話しかけた。


「あの、こちらで何かあったのですか」


 近くにいた二人が同時に振り向く。


「ええ、まあ。知り合い?」

 男性が隣の女性に聞く。

 女性は頭を振った。


「私、こちらのおばあさんを度々訪ねていた者でして」


 女性は私のワゴン車を見ると、あっと声を出した。


「もしかして、移動本屋さんですか」

「ええ、そうです」


 私は車を下りて、話を聞いた。


 女性は老婆の孫だった。

 老婆から度々私のことを聞いていたらしい。


 老婆は亡くなっていた。


 この家の中で倒れ、救急車で運ばれた後、数日経って亡くなったということだった。


「ちょっと待っててください」


 そう言って女性は家に入り、すぐに戻ってくる。


「これ、おばあちゃんが返しておいてと、何度も言っていたので」


 手には本があった。


「つかぬことをお聞きしますが」

 ふと気になったことがあった。


「本は立てて並べられていましたか? それとも積まれていましたか?」

「はあ……多分、積まれていたと思いますけど」


「そうですか」


 私は本を受け取る。


「あと、これを」

 女性は封筒を差し出す。


「おばあちゃんが、あなたに感謝をと言って遺したものです。図書カードです」


 断ろうかとも思ったが、彼女にとっては老婆に託されたわけで引き下がることはないだろう。


「ありがたく頂きます」


 封筒を受け取り、お悔やみの言葉を述べてから、車に戻った。


 私は役場までの道すがら考える。


 おじいちゃんはおばあちゃんのことを待っていたのだろう。

 本を処分されてしまって、暇だったに違いない。

 そんな時、通りかかった私の本棚から趣味の歴史書を抜き取った。

 おばあちゃんが亡くなった今、おじいちゃんはあの家にいない。

 きっと一緒に逝ったはずだ。


 私はそんな結論を導いた。

 検証することはできないので、合っているかわからないが、私の心にはすんなり馴染んだ。


 私はつづら折りの山道を進む。

 以前とは違って、少しだけ歴史書の多い本棚を運んでいる。

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