本にだって選ぶ権利がある

銀髪ウルフ  

大切な一冊

(汚い手で触れるな)


数十冊の兄弟たちと共に書店の本棚に並ぶワタシの罵声はたった今、兄弟を手に取った男に向けられる。

仕事帰りだろうか、手には土がついていた。

だが当然ワタシの声は届かない。

声なんてないのだけれど。


数十冊の兄弟とともにこの書店にやってきたのは3日前。

それまではもっとたくさんの兄弟に囲まれてどこか大きな倉庫のような場所にいた。

兄弟たちは全国各地に連れていかれ今もワタシと同じような状況にいるのだろう。

そう思うとなんともやるせない気持ちになる。

感情なんてないのだけれど。


(臭い、近づくな)


ワタシの怒りは目の前を通り過ぎて行った女性に向けらる。

きつい香水、厚化粧の匂い。

本屋独特の紙やインクの匂いと混ざりあい不快だ。

目の前を通りすぎただけでこの不快感、手に取られた時は,,,,。

想像するだけで吐きそうになる。

まぁ、吐くものもなければ口も鼻もないのだけれど。


(痛い、装飾品は外せよ)


隣にいた本が抜き取られた時に大学生らしき子がはめている指輪がワタシの顔を擦った。

痛覚もなければ顔なんてないのだけれど。


今回は華奢な指輪だったので大したことないがこれがゴツい指輪やつけ爪だったら一生ものの傷だ。

キズモノは正規品としては売れない。

それでも誰かの手にわたるのであればまだいい。

下手したら廃棄処分、業火に沈むかプレスされ新たな資源となるか。

些末な差はあれどキズモノに録な未来など待っていない。


ワタシは本だ。

本である事に誇りを持っている。

作家が心血を注ぎ作り上げた作品。

頭の中で構築されてきたアイデアが陽を見る瞬間。

作家にとって作品は己の血を分けた存在であり、場合によっては己以上の価値を持つ。


短編を、長編を書き上げる事がどれだけ大変か知っているか?

どれだけの時間を費やしているか知っているか?


その事を知っている人は作家だけでなく本にも敬意を払う。

大切に、それこそシャボン玉に触れるように優しく扱う。


願わくばワタシを手に取る人は本当の意味での読書家であってほしいと思う。

ワタシを愛で、楽しみ、大切にしてほしい。

そして数年後にまた読み返してほしい。


誰かの記憶にワタシが残る。


それがワタシにできる唯一の親孝行なのだから。


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本にだって選ぶ権利がある 銀髪ウルフ   @loupdargent

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