第2話 ヒーロー誕生?②

「えっ!? あぁそうですね……ごめんなさい!」


 少しはっとしたように女性は謝った。

 普通なら地面に倒れ伏している人を見て助けを求めはしないだろう。だが女性は錯乱しているようにも見えず、パニックになって助けを求めたようには思えない。それはつまり女性がということを暗に示唆していた。


「えーっと……何から申し上げれば良いのでしょうか……」


「ちょっ! う、後ろ後ろ!」


 慌てて幸が呼びかける。


「えっ?」


 女性がその声に反応して振り返る頃には既に怪獣が腕を振り下ろしていた。


 到底避けられないであろう速度と攻撃範囲。幸は心の中で死を確信した。頭の中では走馬灯が駆け巡り、人生で一番頭が回っているのを実感しながら、幸は振り下ろされる怪獣の腕をぼんやりと見ていた。


「あんまり無駄遣いは出来ないんですけ……どっ!」


 女性はそう呟きながら腰のポーチから針のようなものを2,3本取り出し、怪獣へ向かって投げた。


「ギィィィィィ……!」


 すると投げた針が怪獣に刺さるやいなや巨大化して楔となり、雷をまとって怪獣の動きを見事に止めてしまった。


 苦しむ怪獣の声を聞いたことで自分が助かったことに気づき、ふと幸は我に返る。


(止まった!? もう何が何だか……)


 その後、少し間が空いたあとに一息ついて女性は幸へ振り返った。


「誠にごめんなさい。これで少しの間は大丈夫だと思われますので一旦この場を離れます。」


「えっ?  ちょ待っ……」


 そう言うと返答も聞かずに、女性は幸を路地を抜けたところまで連れていった。しかし、逃げるためという訳では無いようで路地前の大通りに出たところで女性は止まった。怪獣が現れてから1分弱ほどしか経ってないが、それでも近隣の住民は怪獣に気づき始めており、映画の撮影か何かだと勘違いしたのか、携帯を掲げて写真を撮っている者もいるような状況だった。


(え? 逃げないの?)


 幸は困惑した。それもそのはず、怪獣が現れてから数分間の情報がさすがに多すぎた。謎の怪獣に謎の女性、謎の女性が使った謎の技。今まで見た事がないものばかりを頭に叩き込まれたことで、理解すること以前に受容することが困難だった。加えてただ距離を取っただけの女性の行動も意図が分からず、またひとつ頭の中に疑問符が沸いた。そんな幸の思考を遮るように女性が深々と頭を下げて話し始めた。


「誠に...誠にごめんなさいでした!」


 女性の言葉に引っ掛かる部分がありつつも、幸は聞きたい気持ちをグッと抑えて女性の話に耳を傾けた。


「まず必要な事だけ言わせていただきます。あなたにはあの獣を倒してもらう必要があります。」


「……え、ちょっと待ってください! 俺があいつを倒さなきゃいけないんですか?」


 あまりにも無理難題な要求に半ば反射的に幸は聞き返してしまう。


「はい。それで間違いは無いかと思われます。」


 女性の返答にまたもや違和感を覚えたが幸は言葉を飲み込む。


「絶対無理ですよ? 俺非力ですし、というよりさっき普通に殺されかけましたし!」


「それでも! あなたにやってもらわなければいけないのです。」


 女性には確固たる意思を感じた。その勢いに幸は気圧される。女性はそのまま話を続ける。


「私はもうあなた以外にはご覧になっていただくことが出来ないのです。」


「は!?」


「私の姿は他の人にはもう認識出来ないのです。あなたと最初に会ってしまったから……」


 言っている意味が分からず、幸は再び混乱した。


「僕以外には見えない、ってことですか?」


「はい。こうすれば分かって貰えると思います。」


 そういうと女性は路地前にいた野次馬に向かって近づいていく。手の届く距離まで近づくと女性は野次馬の肩のあたりに手を置いた。だが次の瞬間、その手は空を掻いたかのようにすり抜けた。野次馬自身もその手に全く気づいていないようだった。


 目の前の事実に幸は驚いた。だが、それよりもむしろ今までの話がすべて本当だったのかという落胆と、もう受け入れるしかないという諦念にも似た感情が強く湧いてきた。


「……分かりました。とりあえずそこは信じます。」


「誠にありがとうございます…!」


 先刻から続く違和感。さすがに幸も指摘せざるを得なかった。


「あの、ですね……」


「?」


「その……無理して丁寧語を使っていただかなくても大丈夫ですよ?」


「!」


 女性は恥ずかしそうに少し俯いてしまった。この女性はおそらくこの国、もっと言えばこの世界の人間では無いのかもしれない。言語の勉強はしていても話し慣れていない雰囲気が滲み出ていた。


「ご指摘、ありがとうございます……」


 赤面しながらも気を取り直して女性は話を戻す。


「薄々分かっているかもしれませんが、私はこの世界の人間ではありません。いや、"人間"というくくりも少し違うかもしれません。」


「まぁ……ですよね……」


 ありえないこと続きで既に耐性が付いていた幸は難なく異世界要素をスルーした。


「あなた方の言葉で"神"という言葉が1番近いかもしれません。とりあえず人間よりも高次元の存在だと受け取っていただければ……」


「……マジですか。」


「はい。驚くのも無理は無いですよね……」


 "無理は無い"どころじゃないだろ、と幸は心の中でツッコんだ。


「最初の話に戻りますが、あなたにあの獣を倒していただくためには私たちと同じような力をあなたの中に発現させる必要があります。この"力の蕾"を使って。」


 そう言いながら女性は腰のポーチから黄金色の蕾を取りだした。花、しかもまだ開いてない蕾でありながらも重厚感のある光を放ち続けるそれはいとも容易く幸の視線を釘付けにした。


「……………」


 その美しさに思わず幸は息をのむ。見とれている幸にはお構いなしに女性は説明を続ける。


「この蕾をあなたの体に同化させることで力は発現します。」


「同化って、何が起こるんですか?」


「あなたとこの蕾を文字通り一体化させます。具体的には胸の部分に吸収させる感じですね。多少の痛みを伴いますが、おそらく耐えられないほどでは無いです。」


「………………」


 正直、幸は迷っていた。最低でも眼前の巨大な怪獣と戦うことが課される以上、これが生死のかかった選択であることを幸は確信しており、そこまでして戦う必要性を幸はまだ感じていなかった。


「あの……」


「はい?」


「なんで俺が戦う必要があるんですか?」


「あの獣も神の力と同系統の力を持っています。おそらく人間の力だけでは奴を倒すことは困難です。なのであなたに……」


「そういう事じゃなくて……」


 女性は力量的に力を授かった幸でないと倒すことは難しい、ということを説明した。だが、幸が聞きたいのはそこではなかった。


「……?」


「なんでこんなことが起きてしまったのか、俺はそこが知りたいんです。あなたが戦うっていう選択じゃダメだったんですか?」


 何の関係もない幸が事情も知らずに戦うことなど普通に考えればありえない。ましてや相手は己よりはるかに強大な力を持つであろう凶暴な怪獣な上に、"力の蕾"の効力もろくにわかっていない。そんな状況で了承する方がむしろ異常だと言える。


「……………………」


「……!」


 幸の質問の後、少しの間沈黙が流れたかと思うと、女性は静かに涙を流していた。


「ど、どうしたんですか?」


「すみません、あなたは悪くないのです。全て私たちの……」


「ギィオオオォォォッ!!!!」


「「!?」」


 そこまで言いかけたとき、怪獣の力強い鳴き声が再び響き渡った。女性は焦った様子で幸に語りかける。


「ごめんなさい、あまり時間が無いのです。今だけは、今だけは何も聞かずにあの獣を倒していただけませんか。」


「…………」


「理由は必ずお話しします。なので今だけは……」


 そう話していると後方から再び瓦礫が崩れ落ちるような音が聞こえてきた。


 幸が振り返って見てみると縛りが弱まったことで怪獣はがむしゃらに腕や足を振り回し、あたりの建物を破壊していた。吹っ飛ばされたコンクリート片やブロックがビルの壁やアスファルトに突き刺さり、怪獣に踏みならされたこともあって付近の道路はほとんど原形をとどめていないような状況だった。


(あんなのと戦えるわけ……)


「きゃああああっ!!」


「!!」


 その甲高い声は怪獣の方、正確には怪獣の出現時に破壊されたオフィスビルから突然聞こえてきた。


(人がまだ……!!)


 時刻は午後6時を過ぎたところ、オフィスビルならばまだ多くの社員が残っている可能性がある。


「あっ……」


 思わず幸は声を漏らしてしまった。


 壁が破壊されてむき出しになったビルの4階部分で崩れかけた床に必死にしがみついている一人のOLが見えた。おそらくは先刻の金切り声の主だろう。振り回された怪獣の腕が自身の近くを通過するたびに同じような甲高い叫び声をあげていた。


 このままでは怪獣の腕が命中するかどうかにかかわらず、いずれは力が尽きるか床の崩壊で落下してしまうことは明白であった。そうなれば良くて捻挫や骨折、姿勢が悪ければ死に至ることも考えられる。


(消防に連絡を……だめだ、多分間に合わない!)


 もうあと1分か2分か、それどころか次の瞬間にもは訪れてしまうかもしれない。それに加え、被害者がOL以外にもいる可能性がある。少なくともこのまま怪獣が解放されれば、付近にいる人間は極めて危険な状況に陥るだろう。


(蕾を受け取れば……助けられる……?)


 この場で唯一残された希望、それは謎の女性に差し出された一輪の蕾だけだった。



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