第25話

 私がもし、ガラスの動物園を日本に置き換えるとすれば、こういった文章を書く。


 大人になったら高級スーツを、ブレゲをはじめとした高級時計を買える、と信じて疑わなかったが、残念ながら、バブルの頃と違って、日本の大人たちは、若者に、自分たちより豊かになってほしくなかったらしい。


 気がつけば、発展途上国の人間よりも貧しくなっていた、と言うわけです。


 ジムと言う人間は、軽薄で、浅はかで、正直に言えば、個人的には好きにはなれない。


 ローラだってそうだ。


 私はこう聞いた。


 唐は、ガラスの動物園が好きなんだよ。

 でも、俺は、ガラスの動物園ではなく、欲望と言う名の列車は、普遍的な物語であると思う。


 そのよげんは、的中した。


 欲望、ザ・トレイン ・ネームド・ディザイアは、その後、ブルージャスミンと言う形で、アカデミー賞をとった。


 よげんを語ったのは、伝説の演出家。


 蜷川幸雄と言う人で、もうすでに、彼の1番弟子である人々は、還暦近い。


 私が、蜷川幸雄の1番弟子に会ったのは、1997年。


 私はまだ、小学校5年生。


 10歳になったばかりの子供であった。


 9歳の頃、告知を見かけた。


 水戸子供演劇アカデミー、生徒募集。

 

 仮設校舎の一角。


 私は、人任せな人間で、養母に入りたい、と願ったが、私の養母が自分を引き取ったのは、勉強ができることであって、望んだ事は、本来であれば、その小学校にいるべきではない、と、さんざんにののしった。


 子供の頃、泣きながら山形と別れを告げた、人間にとって、毎年のように引っ越しを繰り返していた人間にとって、転校と言うのはうんざりであり、表向きは、従ったふりをして、実際には手を抜くと言うことを繰り返していた。


 そういったことを繰り返すと、養母は、怒り狂って、契約と違うと語るのであった。


 養母が語る、理想の私は、理想の息子とはかけ離れていた。


 理想の息子とは一体なんだろうか?


 いつもニコニコと笑う、男の子のことだろうか。


 何でも黙って従う、男の子のことだろうか。


 それとも、ただ黙って死んでいく男の子のこと、だろうか。


 白虎隊を思い出すたびに、少年兵を思い出すたびに、美化された少年像と言うものを思い浮かべる。


 美少年と言うよりは、鑑賞物としての少年。


 少年を鑑賞することで、日々の安らぎを得ている人間を私を否定しない。

 

 でも、その先に待つのは。


 芸能界にいると言うことは、真下にガラスの、人を傷つける、一歩でも歩くのを間違えたら、 割れる、モロい場所に立っている、ということだ。


 ガラスの綱渡り、と、心の中で呼んでいる。


 一歩でも間違えれば、ガラスの破片が、身体中に突き刺さって、離れない。

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