片田舎の本屋さんにて

小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中)

第1話   奇異な縁

 街灯が点灯する時刻になると、蒸し暑いくせに空が陰り、ポツポツと降ってきた。やがて耳障りな土砂降りと化し、店内で本の整理をしていた円花まどかは、舌打ちした。


「あーやだやだ、この時期は最ッ悪。これじゃお客も来ないだろうな」


 ガラス戸越しに、傘を片手にせわしなく通り過ぎてゆく通行人ばかりが見える。ただでさえ最近は電子書籍にお株を奪われがちな小さな書店、ド派手に降る梅雨時期と、霧が発生するほど湿気が強い土地柄のせいで、六月は売り上げががっくりと下がる。


「どうせ今日は誰も来そうにないからって、店を閉めるわけにもいかないしなぁ。参考書とか買いに来る子もいるかもしれないし」


 この片田舎で唯一生き残っている書店なのだった。最寄りの小中学校の教科書や参考書を扱っており、児童からもそこそこなじみがあるはずなのだが……円花が後を継いでからと言うもの、怖いお姉ちゃんがいると悪評が立ち、ただでさえ少子高齢化で減っている子供の客足が激減。そして今の時代、読みたい本や手に入れたい情報は、手元のスマホ一つで瞬時に入手できるため、紙媒体での本を揃えたい読者以外は、怖いお姉ちゃんが切り盛りする本屋には近づかないのだった。


「親父も心配してたっけな、私みたいなのが店番やって大丈夫なのかって。だったら、腰が痛いだの足が痛いだの、電話してくんなっつの」


 今日唯一入ったお客が取り寄せてほしいと頼んできた本の在庫を、タブレットで確認していると、大きな音を立ててガラス戸が開かれた。ドアベルがけたたましく鳴る。


「ん?」


 顔を上げた円花は、黒豆のように光る大きなランドセルが三つ、店の奥へ駆け抜けていくのを目撃した。玄関マットで足を拭いておらず、ナメクジが通ったかのように、ぬるぬるのテカテカに床が光っていた。


 円花はため息をついて、レジカウンター席から立ち上がった。


「こらガキども! 玄関マットでしっかり足拭いてから入りな!」


 子供に対してやや当たりがキツイのは、少年誌の付録だけを抜き取って万引きしている犯人の身元が、未だに判明していないからだった。


 男子児童たちは、円花の父親のセンスで仕入れたグラビア雑誌の前で、何やらひそひそ、ニヤニヤしている。円花がズカズカと近づくと、ギョッとして店の奥へと逃げて行き、本棚を挟んで円花とすれ違い、勢い良く扉を開けて逃げていった。


「なんなんだい、まったく」


 円花は、ぐちゃぐちゃになったグラビア雑誌を並べ直した。


「小学校の低学年くらいに見えたけど、もうこんなのに興味あるの。子供ってよくわかんない」


 濡れた手で触られた一冊が見つかった。立ち読み防止用のビニールが裂かれて、表紙には折れ目がついてしまい、円花は特大の舌打ちを鳴らして、レジカウンターまで持っていった。


「ったく、親はどういう教育してんだか」


 床を濡れたままにしていては、高齢な父でなくとも誰かしら転んでしまう。円花は掃除道具入れから、モップを取り出して掃除し始めた。一通り拭き終えて、ほっとしていたその時、ガラスの扉が小さく鳴った。扉を開ける勢いが弱くて、ドアベルも鳴らなかった。


 現れたのは、淡い紫色のランドセルを背負った、小学校低学年くらいの女の子。片手に、ノートをベリッとちぎって作ったような、くしゃくしゃのメモを握っている。


 店の外には傘立てが置いてあるのだが、その女の子は傘をたたんで持ったまま、おずおずと店内を進み出した。傘の先端から、雨水が垂れる。


「お嬢ちゃん、傘は傘立てにお願いね。床が濡れちゃうから」


 先ほどよりは幾分か優しい声で円花が注意すると、女の子はビクリと身を震わせ、円花に振り向いた。その瞳は泣き腫らしたのか真っ赤になっている。


 ……ただならぬ様子に、本音では面倒ごとに巻き込まれたくなかったけれど、じーっと凝視されてしまっている手前、円花は仕方なくカウンターから立ち上がった。


「何か探してるの?」


「……わかりません」


「そのメモに、買いたい本が書いてあるの?」


「あ、ちがうんです、わたし、本をさがしてて……」


 どうにも会話が噛み合わない。円花はメモを見せてもらった。


『宝さがし!!! 本屋の一ばんやらし〜ところにかくしたぞ!!!』


 汚い字だった。円花のこめかみに、びっきりと青筋が浮き上がる。


「あの、お姉さん?」


「ちょっと待ってな」


 円花は先程の、濡れて売り物にならなくなったグラビア雑誌を手に取って、パラパラとページをめくってみた。


「あった。白地にピンクのお花柄の、可愛いハンカチね」


 女子児童にグラビア雑誌の中身を見せるわけにはいかないから、円花はハンカチだけ畳んで片手に、少女の元へと戻ってきた。


 少女の視線が、円花の手に釘付けになった。


「ほら、もう落とすんじゃないよ」


「お姉さん、それどこにあったの!?」


「さあね。本の整理してたら、ぽろっと出てきたんだよ。女の子っぽいデザインだから、もしかしたら持ち主が取りに来るんじゃないかと思って、取っといたんだよ」


「それ、わたしのです! ありがとう、お姉さん!」


 女の子はハンカチを受け取り、何度も頭を下げながら帰っていった。


「まったく、騒々しいね」


 また濡れてしまった床を掃除し、レジカウンターで作業に戻る円花。無事に在庫確認と、近日中に発送してもらえる予定が立って、ほっとした。



 街灯が灯る頃、朝方から小雨が降っていたが、そのまま止むことなく強まってきた。


「今日は冷えるね。もうすぐ夏だってのに」


 両手を擦り合わせてレジに座っていた円花は、ガラス戸が体当たりするように開かれて、昨日の男子児童が団子のように連なって、床をベタベタに濡らしながら走っていく姿に「コラァ! ガキども!」と、ついに声を荒げた。


 またも青年向けコーナーに走っていく男子児童たち。そのうちの一人の首根っこを、円花が捕まえて引き寄せた。


「なにすんだよー! はなせよババア!」


 振り向いた男子児童の目の前に、鬼の形相の円花の顔面が迫っていた。


「ヒイ!」


 あまりの恐怖に、仲間を置いてさっさと逃げていく児童たち。


「どこの小学校だい? 昨日も来たよね。あんたたちがベタベタの手で触った雑誌が、一冊ダメになったんだよ。あんたの母ちゃんに電話して、弁償してもらうからね」


「ええ!? 母ちゃんに!?」


「そうだよ。ほら、この本に見覚えないかい!?」


 円花はズボンに挟んで持っていた、昨日のグラビア雑誌を、ひょいと引き抜いて少年の目の前に突きつけた。


「こんなの読んでたって、母ちゃんに知られてもいいのかい!? 防犯カメラにね、あんたたちの姿も映ってるんだから」


「やだやだ! やめてよ! なんでそんなことするんだよ!」


「そんなもん、あたしが聞きたいよ! 母ちゃんに電話するのやめてほしかったら、二度とうちの本に変なもん隠すんじゃないよ!」


 円花は今度は少年たちが先ほど触っていた雑誌を、片手で掴んで振ってみせた。ページの中から、クマのシールが貼られた定規が出てきた。


「いいかい!? 約束できないんだったら、この本を母ちゃんに見せ――」


「わかった、わかったから、やめてよぉ~……」


 顔をくしゃくしゃにして泣き始める少年。円花から解放され、彼は顔面をベシャベシャにしながら、仲間にも見捨てられて、一人で帰っていった。


 円花がしばらくレジで待っていると、案の定、あの女の子がメモを片手に店に来たので、定規を返してあげたのだった。



 その後、グラビア雑誌を損壊させた姿を防犯カメラで撮影したというハッタリと、母ちゃんに通報する、と言う脅し文句が効いたのか、黒いランドセルが三つ連なって青年向けコーナーに入ることはなくなった。


 その代わりに、たまにあの少女が友達を連れて、店にやってくるようになった。毎度小さいノートや、占いの本、折り紙などを購入していく。


「ねえ、あのお姉さん、ちょっと怖くない?」


「そんなことないよ。とってもやさしいお姉さんだよ。わたし、机の中からいろんな物がなくなってたんだけど、ぜんぶ見つけてくれたの」


「え? どういうこと?」


 友達といろいろ話している少女の姿を見て、もう大丈夫そうだと円花は判断した。


「マジで、チョーかっこいいじゃん! アネゴじゃん!」


「あねごー?」


「うん。明日、学校のみんなにもおしえてあげようよ」


 数日後に、近くの小学校児童から「姉御」「姉さん」と言うあだ名を付けられて、教科書にノートや参考書の他、文房具に、趣味を扱う本など、子供たちが他方の高校に上がるまで、わりと贔屓にされるとは夢にも思わない円花なのだった。



                              おわり


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