第14話 棚から降ってきた物・・・
私はその時もいつものように師匠にすごい剣幕で叱られていた。
もう五分以上だろうか、まくし立てる怒鳴り声を聞いていると頭が真っ白になってくる。何を叱られ、咎められているのかすら分からなくなってくる。
私は前に教えてもらい。いい方法と認識していた言葉『感謝』を心の中で連呼していた。『聞いているのか、こら、何とか言ってみろ!』
なんで師匠は無茶苦茶なんだ、言っている事が日によって違う、聞き返せば状況によって違う、分からなければわからないでいい。
時に取って付けたような言い訳をする事もある。それ以上聞いたところでそれがくつがえる事などないと分かっていた。そんな事など関係ない。叱られている中でふとした瞬間…いつしか人を裁き良し悪しを決めつけている自分に気が付いた。
今日はいい日だった。
今日は良くない一日だった。
なんて考えている自分は何を分かり評価していたのだろうか。
叱られている。こういう叱られ方はしたくない。
こういうやり方はしない方がいい。
こういうムラの多い性格は嫌われる。
そうした嫌な事を体験したならば人にしなければいいのだ。
すべての体験を感じ活かす事が明るくなるという事なのだと分かった。
それは世間で良く耳にする『生きているだけで丸儲け』や『人生に無駄な事なし』の格言を体得できたという事でもあった。
人生にいい悪いもない。この体験により、鬱々していた事が一気に晴れた。
朝起きれない人がいるだろう。そこに起きたいと思う自分がいればいいのだ。
どうしよう、起きれるかな、そこから冒険が始まるんだ。ロールプレイングゲームのように、
体は動くか?動かない
目は開けるか?開けない
声は出せるか?出せない
耳は聞こえるか?聞こえない
匂いはなんて五重苦の人なんて私は聞いたことない。
それは重体の人でほとんどの人は自分の意志で動いたり考えたり出来る何かを持っている。それを使って昨日よりも今日出来る事を増やして行けばいいのだ。私は成長している。
立派になった。
簡単だろう昨日の僕は知っての通りクヨクヨしたりウジウジしているネガティブな僕だ。いいんだ、少しだけでいいんだ、感じてみよう出来る事を山ほどあるはずだ。出来る事を…。馬鹿にされたっていいじゃないか。そんな奴は放っておけ、真剣にチャレンジしている人を馬鹿にしない自分がいればいいさ。君は一人じゃない私の経験上、近くには家族、親戚、友人、知人、地方自治体、サポートしてくれる福祉団体の人たちが手を伸ばしてくれているはずだ。
余計なプライドは捨てて助けを借りて立ってみよう、立ってみたら何かが変わる。
見えるものが変わるかもしれない。
立てたならもしかしたら転んでいる人に手を貸して上げられるかもしれないんだ。
難しくはないんだ。
感謝しながらすべてを良かった事にすればいい。
ケガしても骨が折れなくてよかった。
ケガをしたのが自分で大切な人じゃなくてよかった。
そうか師匠が言っていた嫌そうな顔になるのは間違いだったんだ。
叱られたらありがとうございます。出来れば笑顔がいい。
出来なくても耐えられた事に感謝。
良かった。
なんて出来たらカッコいいね。
また今朝起きて目が覚めた。
寝坊したヤバい!ここでパニックになるのも自分、いや良かったまだ間に合う。
そんな考え方だったり究極は死んでなかった。
よかった。
体は元気だ。
とらえ方はそれぞれだ。
最近の自分は世の中が暗い、暗いと言って今まで世界を自己暗示にかけていた。すべて決めつけながらネガティブな捉え方をし続けていた。
初めて師匠という存在を理解し感謝出来た体験だった。
師匠は究極である。
師匠から聞いたことだが『嫌だったら付き合わなくたっていい』
また、涙が流れた。
家具工房に来てもうそろそろ1年という頃、近況報告したいと思っているところが2か所あった。ひとつは『障害者準備支援室』、もうひとつは師匠の一番弟子の須美さんの工房だ。常々行きたいと思っていたが、中々行けるだけの精神状態にならないでいたからだ。
このタイミングを逃したらいつ行ける事かとすぐに連絡をして約束を取り付けた。
久しぶりに去年通った重めの扉を開け挨拶をする。
担当してくれた笹川さんがすぐに対応してくれた。一度状況確認の為電話が来て厳しい仕事場である事は伝えていた。
面談スペースに通されこれまで作った製品画像を見てもらいながら近況を話した。
叱られながらもなんとかやっている事。いつか感謝をカタチにと『寄贈出来るまでになりたい』と小さく伝えた。
笹川さんが暖かく傾聴してくれる中、『元気で頑張ってください』と言葉をかけてくれた。帰り際スタッフ全員集めてくださり製品画像を見て何とかやってそうな私にスタッフ皆さんはとても喜んでくれた。
30分程の短い時間だったが明るい報告が出来たことがとてもうれしかった。
すぐに場所を移動して、今度は須美さんの工房へ向かう。
須美さんと会うのは三回目で一年前に電話でM工房に入る事になったと話したきりでそのままになっていた。
工房に着くと須美さんと内村さん二人で出迎えてくれた。どちらもM工房出身で鍛えられた人達で初対面の頃から仲良くしてくれた。私にとってとてもありがたい存在だ。
早速、ショールームに案内された。
そこには納品前の製品たちが置かれており、ひとつひとつ丁寧に作られているのだと家具たちそのものが語っているようだった。
森の話を聞き、森作りと木工品製作を一貫した仕事が出来るようにと行動し、今それが現実となっていると話していた。素晴らしい事だと思った。
自分より年下の人がしっかりと生きている。
『自分は小さいなぁ』と少し思ったがそれが自分。
小さいけどゼロじゃない。とすぐに思い直した。『素晴らしいですね。尊敬します。』私は思った事を口にした。
薪ストーブで湯煎された缶コーヒーを手渡され、車座になって椅子に腰かけると座談会になった。
私が耐えられているか心配していた事。同業社から聞いた噂に話が及んだ。『なんか阿部さん、Tシャツに〈勝手な仕事はしません〉てマジックで書かされたんだって?』『なんで知ってるんですか?そうだけど噂とか入ってるんですね』『大丈夫?今のご時世でまずいでしょう』『毎日なんで慣れました。
昔、須美さんの頃、大変だったって聞きますよ。それ考えたら私はマシでしょう。』
なんて話が始まったら、師匠のめちゃくちゃな指導話のオンパレードに耐えられている自分に少し安心した。
須美さん、内村さんとの距離も近くなった気がした。
職場は師匠とのマンツーマンの為、分からない事を別の人に聞く事は難しかった。ここで日頃分からない事を教えて貰ったり貴重な時間になった。
もうすぐ一年お盆の木地を手にしながら師匠に言われたように表裏にバンカキをかけていた。自分の出来る範囲の仕事を終え、仕上げを師匠にお願いする。
私が次のお盆にペーパーヤスリをかけていると『何だこれは!』師匠はお盆の裏を見てバンカキをかけた跡が汚い、表もデコボコ『何やってんだ!ふざけるな!』『すみません。すみません。』『何度言ったらわかるんだ!』一発、二発、三発、蹴り、拳と蹴りが飛んできた。
無言になり、状況を感じた。『なんだ、その顔は文句あんのか!』春から後輩が入る事と以前からあった鉄拳制裁がエスカレートしている事を踏まえ、口にすることにした。
『指導で叩かれるのは嫌です。』
『こっちだって嫌なんだよ。でもどうする事も出来ないんだ。お前が悪いんだ!』
『今まで精一杯師匠のお役に立てるように尽くして来たつもりです。
師匠の意に沿えない以上私が悪いのだと思います。辞めた方がいいと思います。』
『じゃあ辞めろ。それでいいんだな。』自分自身。心と体に聞いて答えた
『はい。』
『元気でやっています。』の話から1週間もたたないうちに工場を辞める事になった。
そういう事はとにかく決まるのが早い、提示された退職日は月末残り2週間でここをはなれる事になった。
師匠から今後の行き先について家具を納めた障害者施設を薦められた。
私もなぜか他の選択肢と比べて明るい気がした。
残り日々、ここでの出来事を振り返りながら過ごしていた。
あの時『はい。』と答えた事は正しかったのだろうか。数回思い出しても覆る事はなかった。
振り返れば師匠からの金言の嵐の一年間だった。
掃除の仕方から木工品製作にあたっての技術、加工法。そして言葉の使い方と生き方。
『人生に無駄な物無し』の神髄に触れる事が出来たのは珠玉の宝である。
『君には感謝が足りないね』そのためには感謝する。
感謝にする。
理不尽な事を食べてしまえるだけのいい経験が出来た。
こうゆう事は他の人にはしないようにしよう。
これでその人より良くなれる可能性をもらった。
よし!で引きずらない。それでいいのだ。
付き合いたい人と交流していい関係を築いて行けたらそれだけで幸せだ。
ここに来て改めて自分の旧友と再会がゆるされ、笑顔で話が出来る。
それだけで何て素晴らしいんだろう。
生きるための食のありがたみも教えて貰った。
命を戴く事の重みと恵み、山菜を取りイノシシを裁いた。
今より少しでも良くなればいいのだ。
それを世の中の人99.9999%は出来ると思う。
ちょっとだけ昨日の自分より良かったって思う事が出来れば幸せなのだ。
これを書いている時もお笑い芸人の『ダチョウ倶楽部の上島竜兵さん』は自ら命を終わらせてしまわれた。とても残念で悲しい事だ。
辛い出来事の無い人はいない。自分の無力さや自己嫌悪、希望の持てない人生。私にも憂鬱から抜け出せないでいた5年間があった。
そこにあった思いは、そんな無力な私にも関わらず、何とかしようとしてもがいているところに矛盾があった事に理解できた。
そして、そんなダメな自分にも関わらず、世の中のここがいいだとか悪いだとか、物事を分かったように決めつけている自分に気が付く事が出来た。
もっとシンプルに考えてみよう。
どうしたいんだ。私は、死んだらどうなる。
大切な人と二度と会えなくなる。私の事を思ってくれる人達は沢山いるのだ。人はいずれ死ぬ。死んでしまった人に会うのはその時でいいじゃないか。
だってこの先におこる未来は素晴らしい事が沢山ある未来だから…
自分が出来る事って沢山あるんだ。息が出来る。生きているだけでどれだけの人が喜んでくれてるんだろう。
それを探しに行こう。
孤独な人なんていない。手を伸ばせばそこに沢山の人がいる。私がお世話になった障害者就職センターの人たち、区役所行政の窓口にも待っている人たちがいる。その他必ず話を聞いてくれる人がこの世界には沢山いる。
少しだけでいい。自分発信で出来るささやかな行為に救われる人たちが世の中には沢山います。
自分の出来る事で暗い夜の世界を明るくしていけばいい。
言葉がある限り苦しんでいる人を励ましていこう。
目が見える限り見たものを周りと共有してみよう。
鼻にて嗅ぎ、口で食し五感でしみじみと感じていますか。この花の香は好きだ、嫌いだ。野菜を食べればどんな人が作っているのだろうか。
ストレスに押しつぶされそうな日常の中でほんの一瞬だけでも想像し明るい心の流れ道を作る事で解消されるはずだと私はそれを信じている。
私はM工房を辞め、障害者施設T舎に来ていた。就労支援B型の施設だ。
そこには十数人の入所者が通所している。
そのほとんどが知的障害者で何度も出入りしているうちに名前を憶えてくれた子もいた。
この障害者施設で再出発をしようと心に決めたのはすべての熱い塊のようなものがこの施設に凝縮されていたからだろう。
そして、自分の障害を受け入れ小さな一歩を大事にしてくれそうな場所を選んだ。
私の兄も重度の自閉症により入所施設で家族と離れ暮らしている。兄とともに家族で暮らした頃思い出しながら、今私は障害者(ADHD)として自覚し就労支援B型の作業施設に通い始めた。
ほんの小さな一歩を踏み出すための人生計画を立てたいと思っていた。
そして同級生。
アートと取り入れた物づくり。
すべてのエッセンスとスパイスが可能性として見て取れた。
そこにいる主役たちは個性的で輝いていた。
その中に私も入れてもらえないだろうか?
そこから私の働き方改革は始まる。
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