第8話 通常業務。正式配属。
年改まり、営業所の会議から始まる事になった。
メンバーは遠藤所長、佐藤所長補佐、事務の平内さんと羽生さん、そして私を入れて男三名、女二名がそろって新しい東北営業所という事で会議が進んでいった。
事務の平内さんは威勢がいい、会議中遠藤所長に対して厳しく追究する。
研修中千葉でも仕事に厳しいという話は聞いていた。
自分が聞いていても突っ込みたくなる内容だった。
平内さんはきっと頭がいいのだろう言葉が速くて遠藤所長も言葉を返すだけで大変そうだった。終始佐藤所長補佐は控えめだ。それはそれでいいけど、もったいない。羽生さんと私はまだ分からないので聞いているだけの会議だった。
正式に配属になり、一ヶ月が過ぎて少しずつ状況、人となりが見えてきた。
研修中の仕事内容との違いはPCに向う時間が増えた事だ。
一日のルーティーンは朝出社しパソコンを立ち上げWEB上で出社管理を行う為、PCを起ち上げたらPCでタイムカードを押す。メールチェック、必要な行動をピックアップして適切な時間に仕事を当てる。その日引取りがあれば東北6県の現場に出張し品物を持ってくる。なければ電話営業もしくはネット販売するための品物の動作確認、清掃、販売用の撮影とネット販売用のフォーマットへのPC入力が基本業務でその他、仕事の進行状況の報告はすべてPCで行い定時になれば日報をPCで書いて本社に送信して一日の業務は終わる。
パソコンの入力が多いもののその当時はなんとか仕事もこなせており平内さんからダメ出しを指摘されるも遠藤所長よりはマシだと正当化している自分がいた。
ここで少し営業所メンバーについて紹介したいと思う。
遠藤所長はずっと事務職をされていた方で昨年佐藤所長補佐と同時入社で会社に入りそのまま所長職を任された。
正論でものを言い、計算高く、慎重な性格でそれがゆえに前のめりな行動は出来ないようだった。
佐藤所長補佐はそれまでは営業の仕事をし遠藤所長のサポートをしてきた。総合的にバランスが良く誰とでも気持ちよく付き合えるタイプ。知らず知らずに体調を崩す事が有るという。所内の信頼度が高い人だ。
事務の平内さんは自分の声を全面に出す人で頭もよく、回転も速い。また正論でしゃべる人だ。
羽生さんはまだ二十代前半で平内さんが仕事を教え忠実に答え成長も速そうだった。またミスも少なくこなせている感じだった。
私はというと、研修先の仕事から営業所に移り苦手なPC入力作業、事務書類、倉庫管理など慣れない仕事が増えた。PC入力ミスや営業中の言葉使いの間違い、スピードの遅さについて遠藤所長と平内さんから時々注意される事もあった。
東北営業所に配属して間もなくの頃、所長は電源コードを入っているのを確認せず家庭用レンジの動作確認を行ってコードが焼けるミスをしてしまったり、引取り時にケガをしたり、ガラスを割ったりとミスを連発していた。その度に、平内さんは声を大きくし問題だと指摘していた。私もその不注意の行動とその後の同僚たちへの説明不足に少しの不満を感じていた。
今思えばその時の私の反応は間違いであったのではないか?と反省した。
当時の遠藤所長は業績を上げられず苦しんでいたと思う。更には、所長自らの約束遅延と不履行がメンバーの不満に繋がってしまい雰囲気を悪くしていた。
しかし、所長は辛抱しながらもきっと復調すると信じ待っていた事だろうと今では思う。
そうした状況を私は周りの雰囲気にのまれ見逃していた。
当時、遠藤所長に向けるべきは温かい言葉であったと今では思っている。
『疲れているんじゃないですか?』『そういう時もありますよ。役に立たないかもしれないですが私を利用してください。』と言えたなら幾分かのよりどころ、プレッシャーを和らげられたかもしれないと思った。
その頃、どこからか東北営業所が上手く行ってないと社長の耳に入ったのだろうか。
次年度(三月から)の所長をどうするかを話し合うように社長から直接命令が下った。話し合いの結果、所長の交代は無かったが、三カ月の猶予期間の後、正式に選出する事でまとまった。
その当時、私は会社の仕事で苦戦している業務が4点ほどあった。
●私が苦手としている人の前で発言する事。
●PCの取り扱いと入力作業。(データ入力忘れ、誤入力が減らなかった)
●失敗に繋がるロジックの修正、同じミスを繰り返してしまう。
問題が起きた時の判断、対処方法の報告など
ミスに繋がってしまう行動の回避と解消できず同じ失敗が重なる事で焦りを感じるようになっていた。さらにはこの頃から自分の障害を伏せて入社した事が苦しみの原因になっている事を自覚するようになっていた。
現実的なミスや問題にだけ視点が向き精神的プレッシャーによってミスを助長しているとは考えられなかった。
自分は今回クローズして入社した事でこうなったが、マイノリティと言われる少数弱者もカミングアウト出来ないジレンマを感じて生きているのだと思った。
このような問題を抱え、前職でも続いたただ日々のルーティンをこなすだけの生活に近い状態になっていくのが分かった。その時みたいにならないように、気持ちを打ち明けられる唯一の存在佐藤所長補佐にすがりながら状況改善を図る事を続けた。
佐藤さんの態度は、私に対してずっと変わる事がなかった。
きっと他の人に対しても変わらないだろう。失敗をしても落ち着いて処理し、ミスを広げないようにしてくれた。あまり細かい事を言わないでいてくれただけでも救われた。
配属当時、雰囲気が悪い状況でどうしたら営業所が良くなるか?業績が上がるか?
東北の広いエリアの移動時間を利用して成績を上げようと明るく語りあった事。
今、自分が足を引っ張っている状況にどうしたらよいか相談した。
佐藤さんからは『最初は阿部さんと同じように苦労しました。』と答えが返って来た。
『 そうですよね。がんばります。』人の名前を口にしなくても共感できる感触が嬉しかった。
なんとなく、飲み込めてきた。佐藤さんの評判は研修先でも聞こえてきた。想像通りの人でずっと印象が変わらない。すごいと思う。
優しい佐藤さんの事だから責任を感じ自分の思いよりももっと職場の環境改善を思ってくれていたと思う。
新型コロナウイルスがちょうど流行りだした頃、潔癖症、完璧主義の平内さんが所長を巻き込み本社よりも早いくらいに対策に乗り出し推し進めるようになっていた。
そんな時ある事件が起きた。
ある日、もう少しで倉庫が一杯になってしまう為、二日がかりで処分品の解体作業を行う事になった。午後の作業から雨が降り出しその中、男性スタッフ三人で夜遅くまで続いた。
その日の業務日報に『疲れの為、倦怠感が出た。』と書いた。
次の日、体調も回復し熱もないので普通に出社した。
何も気にすることもなく、普段通りに仕事をし、また次の日も仕事をした。
ちょうどその日は私一人で残業していた。仕事終え帰り支度をしていると会社の電話が鳴った。
電話を取ると大阪弁で『お宅の会社に阿部って奴はおるんか?』と最初っからなんだかけんか腰だった。
何も思い当たる節がなかったので『私ですが何でしょうか?どうかしましたか?』と答えると
『お前か、阿部は、わしは平内の旦那なんやけど、体調子悪いのに会社に来て、お前コロナちゃうんか?うちの嫁がコロナになったらどう責任取るつもりなんや?』
『いや、別に会社から休むように言われてもないので、私の責任下にないので、上司に相談します。』と私は言って、男からはそれに対し特に何もなかった。すぐに私は事の次第を遠藤所長に話すと判断を会社に任せた。
答えが出るまで自宅待機となった。自宅待機は所長の判断だろう。
次の日、自宅にいると会社から連絡があった。
内容は医師からの健康の証明として診断書の提出(当時PCR検査は一般的でなかった)と二週間の待機が命じられた。補足で倦怠感の言葉がまずかったのだと注意を受けた。
思わぬ休養の機会をもらい、家族との時間を過ごした。
二週間の待機を終えどんな感じで始まるのか何とも言えないモヤモヤした気分で出社した。
『すみません。離脱してしまい申し訳ありませんでした。』日本人的な挨拶をして休業中だった間の仕事の状況を人に聞きながら正常勤務に戻った。
平内さんとは挨拶をするも、特に詫びる事もお互いになく変わりなく仕事に入った。私はその対応に、不快感を感じた。
その日は社内会議の日で、それぞれに目標や所管を話す必要があるので、先ほどの感じで出社できなかった事に改めて詫びそれ以上の事には触れなかった。
平内さんにスピーチの時間が回り、私が戻って来た事を少し意識したのか、
『旦那が出てきてしまい。こういう事になった』と状況を簡単に説明するだけで、私が心の中で期待していた詫びの言葉はなかった。
話題は新型コロナウイルスの話に変わり時間が流れていった。
自宅待機の前あたりから、所内の業績は上がり全国で一番良いくらいになっていた。
私は事務書類不備や細かいミスを繰り返す日々と戦線離脱と汚点に次ぐ汚点だったものの営業所の成績が上がっている事が嬉しかった。 所長の信頼回復が全体の雰囲気として表れ、あとは自分を何とか出来ればと思い、やれる事は何だろうかと考え、知能の低い私はタイマーを掛けながら早く綺麗にきっちりとを自分に言い聞かせ、会社の求めるネット出品に全力を尽くした。
営業所配属当初、研修終わりで自分も同じようにできるんじゃないかと思いあがっていた時があった。上手く出来ないことを知り、すぐに長である遠藤所長、そして佐藤さんに縋るように相談し私も会社に残る事が出来ていた。
実際に仕事を行いながら、立ち振る舞いなど臨機応変に考える事は出来ないかも知れない。でも今という時間に向き合う事で生きる能力は間違いなく成長するんだと思った。
しかし、私の試練、ADHDの脳。ミスとの闘いは続いた。
事務の羽生さんとは同期で最初の一カ月の間私は研修、彼女は営業所で過ごした。二十代前半の羽生さんは前職、介護職に就いていたという。私よりもパソコンに慣れており、配属した頃は時々分からない事を聞き、時には軽い冗談を交わしていた。羽生さんは言葉が少なめの人で朝礼や会議の時、話しするのに慣れない様子だったが、回を重ねるうちに段々としゃべる量が増えてきていた。また若い脳みそは素晴らしく適応力が付くのが目に見えていた。
羽生さんと平内さんは事務員同士専門的な業務をこなしていって関係も良好なようだった。
私は彼女の止めていた自転車を半年の間に2回ほど転倒させてしまった事があった。
一回目は駐車場、二回目は倉庫の中での事だった。
彼女の自転車は新車のスポーツタイプで軽く、スタンドは1本で支える仕組みだった。
駐車場に止めている時、荷物が引っかかってしまい倒してしまった。傷がつくような倒れ方をした訳ではないが、謝罪は必要と思いその事をお詫びする事にした。細かい事に対して敏感な平内さんが居る時は避けたいと思った私はすぐには言わず二人になった時に話そうと思った。『ごめんなさい。午前中自転車倒してしまって…』『大丈夫です。分かりました。大丈夫です。』あまり気にしていないようだったので安心した。
そして今度はその二カ月後、雨が当たるという事で倉庫においてあった自転車。狭い通路脇を通る際、今度は体をぶつけてしまい倒してしまった。学習能力のなさに嫌気がさす事がある。この時も羽生さんがいる所や遠藤所長がいる所でお詫びするのは嫌だった為、二人の時にお詫びした。『羽生さんゴメンなさい。また倉庫で自転車倒しちゃった。』今回も『大丈夫です。大丈夫です。』と言ってくれ問題なく済んだ。
本人からの言葉で安心した私だったが、人の心の中のその奥まで見ようとしていない自分がいた。
その頃、世の中はコロナ過真っ只中で平内さんの提案で出入りの多い男性スタッフと女性スタッフが接触しないようにとオフィス内で隔離対策を行う事になった。
残業した日、そろそろ帰ろうと警備システムのセットをしようとしたが、何度確認してもエラーが出た。どうしようもなく管理会社に連絡し、とりあえず遠隔で警備のセットをして貰い、次の日確認してもらう事になった。
その際女性社員が使っていた部屋に入った事が気に入らなかったらしい。平内さんは朝来るなり微細な違いを察知して『誰か部屋に入ったでしょ』『警備がかからなかったんで確認の為入りました』私が言った。警備会社が確認したところセンサーの脱落によるアラームだった。それでも彼女は腑に落ちないらしく不満げな表情は変わらなかった。
コロナ初年の獲体の知れないウイルスへの対応に神経を一つ取られているようで明るく考える事が容易ではなかった。
その頃も私はPCの入力ミスなど完璧にこなす事はできず、所内で一番ミスが多く、絶えず謝りっぱなしでミスを指摘されては、今後どうするのを追及される毎日を送っていた。
そんな状態で仕事をし続けていたが集中力は続かなかった。
無事にATMディスペンサー(2トンくらいある重量物)の廃棄処分を終えて営業所に戻って来た。
駐車場にある羽生さんの自転車が一瞬見えた。いつものようにバックで駐車したつもりだった。
意識していた自転車がなんで一瞬抜けたんだろう。いつもより後ろまでバックしてしまった。
ガシャン!
自転車・やってしまった。
一番先に飛び出してきたのは平内さん、そして遠藤所長、羽生さんが出てきて、『何やってんだ!何回も!どこ見て運転してる!』平内さんの声だ。
『すみません。すみません。すみません。』
羽生さんを見つけ『弁償します。弁償します。』とっさに口にしていた。
私は完全にパニクっていた。
気が付いたらすみませんでした。と弁償します。の言葉を連呼していた。
『中に入れ』と所長に言われ、うなだれ、力が向けるように事務所の中に入った。肩を落とし、『なんでこうなったんだ』と問われるも『すみません。見えませんでした。』と答えるしかなかった。
遠藤所長から『段々と良くなってきたと思っていたのに、これ以上かばいきれないよ。』と言われた。
自分でもそういわれても仕方がないと思った。所内の人の二倍はミスや失敗をしながらなんとかやっていた。
外では他のスタッフが自転車の確認と修理の手配をしてくれているようだった。
それから間を置かずに、この事をきっかけとして私は退社する事にした。退社を決めた矢先、私の息子のクラスでコロナ感染者が出て、待機期間と有給消化でそのまま退社する流れになった。
その間、自転車の弁償問題について所長が仲介を買って出てくれたのでお願いする事にした。
この事一切を妻と実家の両親に伝えた。6年生の息子には自分の口からは伝えられなかった。
妻には前職への転職から3年半。こんな話ばかり聞かせているのが忍びなく、自分自身に嫌気がさしていた。
晴れた土曜日の午後、私は会社の退社手続きに向った。お世話になった人たちに何の手土産がいいだろうか…。まだ暑さの残る9月ジュースを十本ほど買って持って行った。
土曜の午後。事務員はいないはずだ。案の定二人の先輩男性社員が迎えてくれ私はお礼を言った。
『お疲れ様でした。お世話になりました。』佐藤さんの明るい笑顔に日が当たりまぶしかった。
『残念だけど仕方ないね。』遠藤所長が言い、退社手続きの流れを説明し出した。
まだ、所長が仲介していた自転車の賠償問題は解決していなかった。これから私に聞きたい事があるという事で羽生さんが来るらしい。
退社の処理を進め終わろうとする頃、羽生さんが現れた。『本当に自転車すみませんでした。』私はお詫びから入った。
退社の一切を終わると所長が席を外し二人になった。
羽生さんは聞きたい事を書いたメモを見ながら話し始めた。
事が起きた時、なぜ自転車を見る事もせず、お詫びもしないで弁償します。とばかり言っていたのかと質問された。
私は答えた。『すみません。』と謝ったと記憶している事。
弁償については、前にも倒したりしており今回は自分でもひどい事をしたと思ったので、弁償します。と言葉が出た。と答えた。
更に付け加える形で動転していてそれ以上の事は出来なかったと答えた。
少し間を置いて、また質問してきた。
なぜあの時、事務所に入って出てこなかったのか教えてほしい。
私は所長から中に入るように言われ話をしていた事を伝えた。
もう一つくらい質問を受けたが内容は忘れてしまった。
質問が終わると改めて羽生さんが自分の大事にしていた自転車を雑に扱われた事が許せないといい。彼女は席を立った。
私はお詫びするよりなかった。
その後二週間ほど待つとやっと弁償額が決まったという事で遠藤所長から連絡があった。
速く終わらせたいとの思いからすぐにお金を用意した。
所長と待ち合わせお金を渡すと、ここまでの状況を話してくれた。
羽生さんに理解してもらうのがかなり大変だったと所長は口にした。
私の視感だと自転車は全壊状態ではなく部品交換でも直るとも思っていたが、彼女の思いから新しい自転車を買うことは覚悟していた。賠償額は四万五千円を提示された。話からその金額とはかなりかけ離れた数字を要求する気でいたらしく、社内では平内さんも常識外れだといさめてくれた事を語ってくれた。
そんな話を聞き、気持ちを切り替えお金を出して勉強したんだと思うようにした。
改めて所長に感謝の意を伝え別れた。
ADHDの私は再就職から9カ月あまりで、また無職になった。
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