桜日和

空野春人

さくらびより

 周りとまるで違うことを世間一般で変わり者だというのであれば私は異常者だ。それでも今一度しっかり考えてほしい。自分の思う世間一般、多くの他人のする世間一般、変わり者だと思うあの子の世間一般。果たしてどれが正解なのか。

 他人を認めたくない、自分を正当化したい。そんなフィルターを無くしてもう一度。世界が変わるかもしれない。

 全てのフィルターを取っ払って済んだ瞳で自分を見る。


「私は普通じゃない」



***


 それが何か、その答えに気付いたのは祖母がなくなって間もなくだった。それまでは小学生だったから気にしていなかっただけなのかもしれない。ただ、覚えている限り、答え合わせができたのは祖母が初めてだった。


「おはよう」


「あ、おはよう」


 高校になった今も続いているが気にはしない。別に私に危険もなければ関係もないからだ。なにより、どうにもできないからだ。


「21445」


 多いな。


「え?何か言った?」


「いや別に……」


 本当に鬱陶しい数字だ。頭の上でごちゃごちゃと、毎朝の満員電車のように暑苦しい。まあでも無駄に音がしないだけマシなのかもしれない。チクタクだとかピーピーだとか。


「今日の体育は外だってさ。こんなに暑苦しいのに」


 最近は昔よりも寒暖差が激しくなっているように思えるし、境目がはっきりしているように思える。


「ほんとに暑いね」


 窓の外を見ると太陽が元気そうに光をまき散らしている。冷房が効いた教室にいないと暑すぎてやってられない。


「あんたまた日焼け止め持ってきてないんでしょ?」


「あ、忘れてた」


「もー。今からちゃんとやっておかないと年取った時に後悔するよー?」


「分かってるって。貸して?」


「本当に適当なやつだなあ。早死にするよ?」


「あはは。でも麦は長生きするよ」


「なんでそんなこと分かんの?」


「ん、なんとなく?」


 同じクラスの人、同じ学校の人、街中ですれ違う人達、多分この世界に存在する全ての人の頭上に何かしらの数字がある。そしてそれを私は見ることができる。示される数字は人それぞれで、おおよその傾向はあれど、それが覆されることも多々ある。


 この数字はいつから見えていたのか。今では覚えていないが、意識し始めたのは祖母が亡くなった時からだった。入院した祖母のお見舞いに行ったあの日、祖母の頭上に表示されていた数字は「10」だった。なんてことのない「10」という数字。意味も価値もないと思っていた。

 次にお見舞いに行った時、祖母の頭上に表示されていた数字は「3」だった。祖母にあったのは一週間ぶりだった。その空白の日に合わせてカウントダウンのように減っていた数字。少しだけ嫌な予感がした。

 次の日、案の定祖母の頭上の表示は「2」だった。確信があったわけじゃない。でも何故か頭のどこかに理解という言葉があった。私はそのことを両親や看護師に話した。けど当時の私は7歳だ。誰も私の話を心の底からは聞こうとはしなかった。

 次の日、祖母の頭上では「1」という数字が表示されていた。目に見えて体調も悪くなっていた祖母。ほとんど確信的だった。


「おばあちゃん、実は……」


 そのことを全て祖母に話した。まだ7歳で未熟だったから「話さない」という選択肢を思いつかなかった。ただ祖母を不安にさせるだけなのに。

 私の話をちゃんと聞いてくれた祖母は優しく笑って細くなった手を少し上げた。その手を私が握ると祖母は、


「ありがとう」


 そう言った。次の日、祖母は亡くなった。


***


 頭上の数字が減っていけど、身近で「0」になった人はいなかった。初めて「0」になった祖母はこの世界から旅立った。


「疲れたあ」


「もう汗だくだよ」


 体育終わり、汗だくの体をタオルで拭う。更衣室中でいろんな制汗剤の匂いが混ざり合い異臭な空間が完成する。思わず顔を歪めてしまう。


「使う?……って、そういえば制汗剤の匂い嫌いだったっけ?」


「嫌いってほどでもないけど、苦手である」


「制汗剤を使わなくてもいつもいい匂いだからいいよねえ」


 過度なほどの人工的な匂いは嫌いだ。すれ違う人の香水の匂いにも顔を歪めてしまう時がある。さすがにその人に見えるようにはやらないが。


「ここもそうだけど教室に戻ってもきついんじゃない?男子も使ってるし」


「教室に戻れば涼しいからマスクもできるし、いいよ」


 この学校に特例は見当たらない。みんな高校生だから頭上の数字は基本的に大きい。


「くっさ。なんかモワっとしてるし」


「マスクマスク」


 このクラスも平均的に数字が高い。ただ、一人を除いて。

 空白の席に視線を送る。最初、そして最後に見た数字は誰よりも小さかった。


「まだ匂いきつい?窓開けようか?」


「大丈夫だよ」


 祖母のおかげで気付くことができた。おかげなんて言うのは不謹慎かもしれない。本当のことをいうと気付きたくなんてなかった。いつまでもおまけ程度の存在であってほしかった。


 この数字は、その人の寿命を表していた。


***


 入学式の日、人と数字が一気に密集する体育館。高校生になりたてなんてまだまだ若い。そのせいかおかげか数字も一人一人が多い。他人の頭の上も私の頭もごちゃごちゃだ。


「はい」


 その時、名前を呼ばれ控えめな返事とともにステージに立った一人の男子生徒。ここにいる生徒の中で最も成績優秀者であり、代表者だった。頭上の数字が印象的だったから後ろ姿しか覚えていない。


「137」


 その数字を見て瞬間、ここにいる全員の代表者であるということが皮肉に思えた。ここにいる誰もが当たり前にできることができないから。この高校で仲間とともに学び、成長することなんてできないに等しいから。


 その日以来それほど小さい数字は見ていない。


「病気で入院してるんだってよ」


 この時代、情報なんて簡単に広がる。ネットで、噂で、人伝にどんどんといとも簡単に。他人の暇つぶしに使われるその情報に傷つくことだってあるのに。

 この数字を当人に伝えようか悩んだ。初対面の人間に訳の分からないことを言われても信じるわけなどない。けど、もしかしたら信じてもらえるかもしれない。もしそうなれば、少しはマシな最期を迎えられるかもしれない。そんなエゴが消えないからだ。


 普通、自分の死期を告げられて平穏でいられるだろうか?


 祖母はどんな気持ちだったのだろう。あの優しい笑顔の裏に、どんな感情があったのだろう。


 なんで私は、自分の寿命だけは見えないのだろう。


***


 夏休みに入った。


「やっと夏休みだぜえ。私は自由だー!」


「別に自由じゃないって。課題も多いし、午前中は学校もあるし」


「ちっ、クソだな」


 日に日に暑くなる7月の終わり。今でもこんなに暑いのに8月に入ればもっと暑くなるだろう。夏なんて本当にいいことがない。


「そういえば、あれ行く?」


「あれって?」


「嫌だなあ、あれって言ったらあれしかないじゃん」


「いや分からないって」


 私は変な力が備わってはいるけれどテレパシーは使えない。他人の心なんて読めてもいいことなんてないだろうし気分も悪いだろう。


「やれやれ。そんな君にヒントを授けよう」


 答えを当てるまで終われないらしい。


「夏といえば?」


「広いな……暑い?」


「そんな大雑把なわけないでしょ」


「そうだろうけどさ、分かんないって。答え教えて」


「もー、夏といえば夏祭りでしょ?」


「ああ……」


 この地域では8月16日に毎年夏祭りが行われる。たいして有名でもないので祭りに来る人は基本的に地元の人だけだ。見知った顔ばかりが集まる、要するに大規模な同窓会だ。


「何がそんなに楽しみなの?」


「祭りだよ?普通楽しみでしょ」


「そんなもんかなあ」


「かー。これだから最近の若者は」


 夏祭りの最後に上がる打ち上げ花火。それを一緒に見た二人は結ばれる。そんなどこにでも転がっているありふれたジンクス。


「それが目当てかよ」


「ちゃんと祭りも楽しむよ」


 人が多ければ多いほど見える数字の数も多くなる。それなりの人の多さがあれば少ない数字も見えてしまう。赤の他人とはいえ何も感じないわけではない。普通に笑っている人ももうすぐ死んでしまうと思うと心が痛む。自分にはどうしようもない現実にも。


「楽しむって、具体的には?」


「そりゃあ何やっても楽しいよ。私は、隣を歩けるだけで」


「……私と行く気はないんだ」


「そんなこと言ってないんじゃん」


「そんな風なことは言ったよ」


 高校生の流行りは恋愛らしく、むぎは一つ上の先輩に恋をしている。男女は別だが同じ部活らしい。


「その先輩に彼女は?」


「ふふふ、いません!」


「ああ、そう。ならそのジンクスを信じて誰か誘うんじゃない?」


「その誰かが私かもしれないじゃん?」


「随分ポジティブだこと」


 麦の言う通りその可能性もないわけではない。皮肉にも私に見えるのは絶対で可能性ではない。


日和ひよりはどう思う?」


「いや知るわけないじゃん。2、3回顔見ただけだし」


「どうしようかなあ~」


 それなりに多くの人で賑わう夏の夜。各々がそれぞれの思いとともに祭りを楽しめる場所なのに、私だけは違う。


「日和は去年行ってないんでしょ?なんで?」


「別に楽しみでもないから」


 恋している人がその辺の人ごみですら気になる人を探してしまうように、私も探してしまう。気になってしまう人を。見えてしまうゆえに。


「青春時代なのに?変なの」


 どうしようもないと分かっているのに目で追ってしまう。この言い方だけは恋愛してる人みたいなのにな。現実はそんなファンシーな話ではない。死という概念こそ最も現実的であり、残酷なほどにどうにでもできない事実だ。


「あ」


 いきなり麦が間抜けな声を上げて止まった。


「何?」


「いや、あれ」


 麦が指さした方向には人がいた。それだけを確認してすぐに視線を戻す。


「知り合い?」


「いや?」


「じゃあ指さしたりじっと見るのは止めなよ。失礼だって」


「あんな恰好してたら誰だって見るだろ」


「恰好とか服装とか法に触れてない限りその人の自由だって。他人がどうこう

言う権利はないの。分かったら行くよ」


「いやいやいや。好きで病衣着てる人なんていないって」


「病衣?」


 その言葉を聞いた瞬間に気付くべきだった。病衣を着ているということは何かしらの理由で入院しているだろうから。


「……21」


 公園のブランコにさみしく座るその人は確かに病衣を着ていた。


「ていうかあれ……」


 ショックを受けている私を置いて麦はその人にゆっくりと近づいていく。その人に悟られないようにゆっくりと。


「もう止めなって」


「やっぱりあれ入学式で前に出てた首席の人だよ」


「うちの学校の?」


「うん」


「でも噂じゃあ入院してるって……」


 その事実をその人は明らかにしていた。


「でもまさか」


 急いでスマホを開きカレンダーを確認する。入学式があった4月1日に見た数字は間違いなく「137」だった。そして今日7月25日だ。あの日から経っている日数を何度計算、もとい数えてみても。


「……合ってる」


「やっぱり?」


「え?あ、いやそっちじゃなくて」


「じゃあどっちよ?」


 合っているのは数字のことではあったけど、合ってるのはきっとどちらもだ。


「……声かける?」


「知り合いでもないのに?」


「そうだよね。なんて言えばいいのか分からないし」


 学校にはほとんど来れずに入院生活の毎日なのだからきっと気分はどん底だろう。知り合いでもなくその気持ちが分かるわけでもない。そんな他人に何ができるというのだろう。その上私はいつも以上に普通ではいられないはずだ。

 もうすぐ寿命が尽きてしまうと分かっているから。


「あ、やばい」


 麦の声で我に返る。


「何?どうしたの?」


「目、合っちゃった」


「はあ?」


「あ、今は今ない方がいいと思うよ。めっちゃこっち見てるから」


「だから言ったのに……」


「日和よ、過去を嘆くより今どうすべきかを考えようではないか」


「何かいい方法でもあるわけ?」


 呆れつつさっきの人の方へ視線を戻す。


「あれ?」


 長く視線を外したわけでもないのに、さっきの人はいつの間にかいなくなっていた。


「よかった。どこかに行ったみたいだね」


「よく見なよ」


「え?」


 何度見てもさっきまで人がいたブランコには誰もいなくて、今度は寂しそうにブランコが揺れているだけだ。


「そっちじゃなくて」


 麦が私の頭ごと視線を修正する。


「どうやら事態は悪化したようだ」


 さっきまでブランコに乗っていたはずの人が公園を入り口から出て真っ直ぐにこちらに早歩きで向かってきている。恐ろしい形相というわけではないが、その視線は私達から他へ逸れようとしない。


「やばいって。どうする?逃げる?」


「逃げるって、麦がずっと見てたせいでしょ?謝りなって。謝ったら大抵のことは穏便に済むはずだから」


 ひたすらに逃げようとする麦の手を掴みながら必死に頭を回転させる。もしかしたらただ道を聞きたいだけかもしれないし、私達の後ろを見ているだけなのかもしれない。どっちにしたってここで逃げる方が不自然だ。


「ねえ!」


 その時が来てしまったので二人して覚悟を決める。


「あ、やっぱりそうだ。間違いない」


 まだ何のことかは分からない。


「二人は何年生ですか?」


「い、一年」


「同学年じゃん!実は俺も同じ高校なんだよね。今はこんな格好だけど」


 やっぱりそうなんだ。


「知ってます。入学式の時代表で前に出てましたよね?」


「嫌だなあ、同学年だし敬語やめようよお」


「あ、ごめん」


「そうそう。なんか一番成績が良かったらしくてさあ、ほんと参ったよ」


 勝手に想像していた人物像と全然違っていて拍子抜けする。こちらとしては助かるけど。


「で、どんな感じなの?高校生活は。楽しい?」


「ふ、普通」


「普通じゃ分からないって。俺さ、いろいろあって学校に行けてないんだよね。だから友達もまだいなくて焦ってたんだよねえ。まさかこんなところで友達ができるなんて思いもしなかったから嬉しいなあ」


 そんな偶然な出会いから始まった私達の関係を彼は喜び、麦も人を拒む性格ではないので受け入れるのに時間はかからなかった。公園で軽くお互いの自己紹介を済まし、私達は彼、夜永桜よながさくらに聞かれ、学校生活のことについて話していた。夜永くんはそれを楽しそうに聞いていた。


 そして聞いた夜永くんの話。昔から病弱で満足に学校にも行けずに長い入院生活。うんざりしていたそんな生活の中に差し込んだ一筋の光。


「病気がよくなってきているから高校には行けるかもしれない」


 その言葉を聞いた時、夜永くんはこの上なく喜んだはずだ。満足に学校にも行けなかったのに首席を取るほどに勉強をしているのだから。勉強もほとんど自己流のはずだ。


「結局はこのザマよ」


 私なんかには計り知れないほどの絶望と悲しみ。やはり私達なんかには分かるはずもなかった。よくある気休めすらきっと無意味に消えていく。


「そんな暗い顔すんなよー。もう慣れてるから大丈夫だって」


 気の利いた言葉の一つすら出なかったのはきっとどうしようもない現実が目に見えていたからだ。


「ほんと、これからよろしくね」


 どうしようもない現実。人は目に見えないからこそ常に希望を持ち続け、明日を生きる糧にできる。だからこそ最期を告げるべきではない。そう学んだはずだ。


「学校には来れるの?」


「さあ?もしかしたらとは言ってたけどあんまりあてにはならないかな」


「医者の言うことなのに?」


 医者は当人を目の前に残酷なことはあまり言わないだろう。気休めを言うの

も嘘を言うのもきっと当人のためだ。


「まあ無理な場合は私らがお見舞い行くって。な!」


「え?う、うん」


 私だけが知っている。


「ほんとに?ありがと!」


 この関係が長くは続かないということに。


***


 頭の上の数字は日に日に減っていく。初めて会ったあの日は「21」だったのに、今目の前にいる彼の頭上にある数字は「2」だ。


「いやあ、悪いねえ。今日も来てもらって。ところで……」


「何も持ってきてないよ?」


「ちっ」


 あれから三日おきには彼のお見舞いに来ていた。というのも彼からの連絡が頻繁に届くからだ。


「毎日のようにつまんないこと連絡してこないでよ」


「仕方ないじゃん。暇なんだし。それに俺の生活は病室だからつまんないんだよー」


「もうその手は使えないって。賞味期限切れ」


 遊びに行こう!とノリノリだった彼を止めたのは私たちではなく、血相を変えて駆け寄ってきた看護師だった。病室から脱走した彼を捕まえにきたらしい。


「あなたたちお友達?」


「あ、いえ……」


「もう病室から逃げ出さないようにあなたたちからも言ってちょうだい!」


 逃げ出した彼のとばっちりを受けて私たちも叱られたわけだが、帰りに彼が、


「連絡先交換しよう!」


 と言ったので私たちはお互いに連絡先を交換した。そのおかげで今こうなっている。


「退屈なのは本当なんだよ。明日は?来てくれるか?」


「いや、明日はきついかな」


「なんで!?」


「夏祭りがあるからさ、日和と二人で行ってくる」


「夏祭り?いいなあ、俺も行きたい」


「外出許可は?」


「知らね。また脱走すればいいさ」


「よくない!看護師さんに聞いて来な」


「分かったよ」


 病室をそっと出て行く彼の背中を見送る。


「何か気になる?」


「別に」


 二度目だ。あれだけ割り切っていたのに、いざ目の間にすると迷いが生じてしまう。言っても言わなくても変わらないわけじゃない。言葉にすれば不安を与えてしまうだろうけど、残り一日となると伝えるべきなのではないだろうか。


 地球最後の日、あなたはどうする?


***


「お待たせ!」


 その日はやってきた。夜だというのに辺りは明るく、人も数字も多すぎる。


「待った?」


「ううん、今来たとこ」


 もうすぐ彼もやってくる。


「あ……」


「ん?」


 麦の視線の先には例の先輩がいた。


「行ってきなよ」


「でも日和と約束してたし」


「いいよ別に。今が大事でしょ?」


「……恋愛漫画でも読んだ?」


「読んでない」


「とにかくありがと!」


 麦と別れた後、私は自販機でお茶を買って近くのベンチに座っていた。数字を見てしまわないように視線はずっと落としたまま。


「待ち合わせ場所ここだっけ?」


 顔を上げると夜永くんが立っていた。当たり前だけど、数字は変わりない。


「ここじゃないけど、もうそんな時間だった?」


「うん。まあ丁度良かったな。麦は?」


「大事な知り合いがいたみたいで、そっちに」


「彼氏か?なら仕方ないか」


 適当に屋台を周って、適当に何か買って食べて、ただ普通の夏の夜。誰もが適当に祭りを楽しんでいる。


「花火見るでしょ?」


「見てもいいけど」


「もっと楽しみにしろよー。せっかくの花火なのに」


 二人で花火がよく見える場所に向かう。誰もがいい場所で花火を見ようと次第に集まってくる。人も数字も多すぎて頭が痛くなりそうだ。


「大丈夫か?」


「うん」


「もう少しで始まるから我慢我慢」


 病人にすら心配されてしまうなんて、本当に鬱陶しい数字だ。


「俺さ、自分の名前あんまり好きじゃないんだよな」


「なんで?」


「女みたいじゃん?それに桜にいいイメージ持ってないからさ、俺」


 そっと盗み見た彼の顔が儚い。


「なんでいきなりそんなこと?」


「さあ?」


 空が急に明るくなり、見上げると花火が始まっていた。高く舞い上がって、弾けて、消えていく。それを誰もが携帯を掲げ、思い出を形に残していく。

 もう残らないものもあるというのに。


「ねえ」


 これで最後なのは私だけではない。


「これで最後だな」


 私の言葉を遮って彼が言った。その言葉が花火のように、私の心にドンと弾けて、そっと暗闇に消えていった。


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