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改めて考えてみると、競馬って、マジで舞台なんですよね。
分かります?気持ち。
馬も騎手も、この日の為に精を尽くして頑張っていく訳じゃないですか。
調教師も厩務員も、俺の知らない関係者のみんなの支えでレースに出るわけで。
それってもう、マジで劇じゃないですか。意味分かります?
言葉に込められた俺の心、感じ取ってます?
あと、出走する時のファンファーレ、すごいカーテンコールじゃないですか?
あ、カーテンコールって分かります?
「いいから早く飲みもんくれよ。」
「すみません。」
俺は謝って、おじさんに飲み物を渡した。ビールである。
ちなみに俺は烏龍茶だ。
フライドポテトに合うから。
俺はフラポテを摘みながら、辺りを見渡した。
GIよりは少ないが、それでもGIIの中でも多い人数だ。
よくわかんないけど。
……そう、俺たちは今GIIレースを観に来ていた。
お目当てはホシゾラカケル。
おじさんの推し馬だ。
GIの準備運動的な出走で、このGIIに出るらしい。
GIIはGIよりランクの低いレースだ。
だからといって、出てる馬が弱い訳では無いし、格が低い訳では無い。
だから、準備運動でGIIってすげえなぁ……
今日もあの凄まじい逃げが見られるのだと思うと、結構ワクワクする。
おじさんもアレを見て、ホシゾラカケルを好きになったんだろうな。
聞いてみよ
「おじさんって、なんでホシゾラカケル好きになったんですか?」
「……」
おじさんは俺を一瞥すると、少し考え込んでるようだった。
おっ、複雑な心か?
「……俺ァ」
「あ、始まった。」
おじさんの言葉を遮るようにファンファーレが鳴った。
出走する。
俺はおじさんをチラリと見た。
おじさんは、集中してレースの流れを見ている。
黙って俺も前を向いた。
先頭は当然のようにホシゾラカケルだ。
全体的に少ない出走馬達は、逃げを必死に追うように、ハイスピードで走っていた。
日本の競馬は高速馬場──馬のタイムが速いことを言う──と言うけど、ここまで速いのは中々無いんじゃないだろうか。
差しや追い込みは、気が気じゃないだろうな。
自分のペースを守れないで走るから、差す時のスタミナが足りなくなったりしそうだ。
「うわっ、すっげえ……」
コーナーを曲がり切った途端、ホシゾラカケルは更にスピードを上げた。
一馬身二馬身と、ドンドン後続を突き放していく。
優駿という言葉が浮かぶ。
優とはすぐれた。駿とは速いという意味だ。
正しくこの事なのだろう。
俺がそんなことを考えていると、急に、ホシゾラカケルのスピードがゆっくりになり、レースの外にはけていった。
…………なんだ?スタミナが足りなくなったのか?
すぐさま、どよめきが上がる。
深くは考えなかった。きっと、今までのレーフの中でも速すぎて、スタミナが足りなくなった。
そういうレースが今まで無かったから、観客はどよめいているのだと。
ホシゾラカケルに、カメラがズームする。
騎手が降りている。
────右足を上げていた。
「うそだろ」
大歓声が悲鳴に変わり、その中に、おじさんのか細い声が混ざって聞こえる。
俺には訳が分からなかった。
ホシゾラカケルが横たわった。
芝生に真っ黒な毛が転ぶ。
「おいおい!嘘だろ!!おい!!!」
おじさんが悲鳴のような、喉を切り裂くような大声を出した。
柵を掴み、今にも飛び出そうとしている。
「故障だ」
震える声が、何処かから聞こえた。
俺は食い入るようにスマホを見ていた。
何度も更新して、検索し直して、SNSで探す。
あの後。
ホシゾラカケルは、救急車みたいなのに運ばれて行った。
担架に横たわって車に入って、運ばれた。
ホシゾラカケルの情報は未だない。
だけど、治療を受けていることは確かだ。
俺はチラリと横を見た。
繋がっているベンチに、おじさんが座っている。
顔は伺えない。
俯いていて、暗い。
俺はなんと言えば良いのか分からない。
駅のホームは冷たい。
空気が寒くて、人通りが悪くて、静か。
「ホシゾラカケルにはな、姉ちゃんがいたんだ」
突然そう言われて、俺は目を少し見開いた。
囁くように呟かれた横文字。
きっと、ホシゾラカケルのお姉ちゃんの名前だろう。
「可愛い名前だろ。」
そうですね、と言おうとして、止めた。
今は俺の言葉は要らないんだ。
「牝馬だった。なつっこくて、素直で、イタズラが好きだった。サラブレッドにしちゃ、珍しいくらい気性の穏やかな馬だった。」
ぽつりぽつりと語られる言葉は雨粒のようだ。
消え入りそうなほど小さい。
だけど、俺はちゃんと聞き取れた。
「人が好きな馬だった。誰にだって触らせてくれた。でも、耳の裏だけは嫌いでな。触られたら止めろって言うんだ。………でも、俺には触らせてくれた。」
俺はふと、おじさんの手を見た。
分厚い皮膚の見え透いた、少し浅黒い手。
ささくれや、古い角質でガサガサしている。
昔はどうだったのだろう。
その馬と触れ合えように、もう少し、柔らかかったのだろうか。
「そんでもって、足も速くてな。一気にビュンと駆けてはハナを取る。ソイツには粘るなんて概念は無いように見えるくらい、スタミナもあった。」
ホシゾラカケルと同じ走り方だ。
だから、見ていたのだろうか。
あんなにハラハラしながら、それでも目を離せなかったのだろうか。
「そんで、いつだって楽しそうに、誰よりも速く走る。」
おじさんの手が軋む。
ギュッと握りしめた拳が震える。
「俺たちは思ったよ。「この馬は大成する」って。みんなの期待を一身に背負ったアイツは、すっげえキラキラしてた。何よりも輝いてた。だけども、会うと嬉しそうに擦り寄ってくるんだ。本当に、可愛い仔だった。本当に。」
声が、震える。
水滴が零れ落ちるように、ぽつりぽつりとおじさんは語った。
過去を啄むように思い出しては、消えていく脳内で、その馬を色濃く思い出しているのだろう。
「アイツは、速く走ろうとしすぎたんだろうなぁ。」
懐かしむ言い方で、声色はあまりにも悲しい。
「レース中に、足が、折れちまった。」
俺の吐いた息が揺れた。
「馬ってな、歩けないとダメなんだ。歩くことで心臓を動かす。ずっと寝転んでると、下の方が壊死しちまう。」
人間が脚を折るのと、馬が脚を折るのは違う。
脚は馬の心臓だ。文字通り。
歩かないと血流が回らず、いずれ壊死して、死んでしまう。
今日調べるまで、俺は知らなかったことだ。
「疲労が溜まってたんだ。そんな中、アイツは一生懸命走ったから。俺が止めれば、俺が、気づかなかったから……」
触れちゃダメなのに、泣いてるなぁ、って思ってしまった。
プライドが存外高いおじさんの為にも、そんなこと思いたくなかったけど。
「俺は、一頭の馬に入れこみすぎたんだ。」
心底悔やむように言われて、俺は咄嗟に口が開いた。
そんな風に言わないで欲しかった。
一頭の馬を愛することを、まるで、まるで悪い事だという風に言わないでほしかった。
俺は口を閉じて、またゆっくり開いた。
「……厩務員、だったんですか?」
「…………」
だから馬に詳しかったのかな。
すっごい馬好きだったもんな。競馬詳しいし。
ホシゾラカケルが元気そうだと、嬉しそうだったもんな。
「俺さ、おじさん、俺さ」
俺の心が蠢く。
虫の集った姿じゃなくて、地震みたいに。
「……………」
ドキドキいう
「今の時代さ、医療が進歩してるから。」
今度は俺の声が震える番だった。
やけに冷静な頭が止めた方が良いって言うけれど。
俺は言葉を発した。
「信じて、みよっ!?!?え!?あっあっ!?!?えーー!?!?」
「どっ!?どうした!?」
俺はデカイ声を上げた。
おじさんがガチでビビりながら心配してくる。
「ホシゾラカケル一命取り留めたって!!」
「えっ!?!?」
おじさんが俺のスマホをぶんどって、文を読む。
「『懸命な治療により、ホシゾラカケルは一命を取り留めました。』…………………マジ?」
「俺の方が聞きたいです。」
おじさんは倒れ込むように椅子に座った。
「良かった〜……………」
めちゃくちゃ泣き出した。
すっげえ泣いてる。
脱水で死んじゃうよ。お酒しか飲んでないんだから……
俺はハンカチとティッシュを差し出して、自販機まで飲み物を買いに行った。水でいいかな……
チラっとおじさんを見ると、俺のスマホを見ながら泣いてた。
良かったなぁ。
ホシゾラカケルが死ななくて、本当に。
最近だと引退馬の為のクラウドファンディングとかあるし、それやってみよう。
グッズ買うだけで出来るっていうし。
ああ、良かった。本当に良かった。
俺はそう思いながら、ちょっとだけ泣いた。
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