筆ヶ谷描臥
────────ゾワッ!背筋が凍り付く。だが咄嗟に身体を動かすことができなかった。気付くのが遅かった。
「グヘッ!!」
大きな筆が、イーゼルに立てかけられたキャンバス毎俺の体を横に薙いだのだ。ゴロゴロと床に転がり、出入口に激突してしまう。扉を開けっ放しにしていればその勢いのまま出られたかもしれないのに。
尻もちをつき、腰はガクンと倒れてしまって、このまま眠りながら名探偵の毛利小五郎ばりに推理を披露してやりたいところなのだがそれはせず。身体を起こして目の前の敵の動きに神経を集中させる。
目の前の男はボサボサな黒髪をたくし上げて俺を見下ろしている。ダボっとした学ランはサイズが小さいことを表しているのかと思ったのだが、瘦せこけた顔を見るあたり、彼の体形がそもそも細身なのかもしれない。そんな身体の左腕で、大きな筆を肩に乗せていた。
こいつは一体、どこから現れた。俺がショックスタンガンを当てたのが偽物だとしてもだ。その後ろにもう一人の筆ヶ谷なんて居なかった。よく見ると突き当りには黒板があり、手前には教卓がある。そして部屋の奥の角には美術準備室だろうか、何か別の部屋へと続くドアが見える。だが、それらではあの大きな筆を隠すことはできない。隠せたとしても、出すのに数秒かかる。俺が避けられない訳がない。
「トリックアートって知ってるか?目の錯覚を起こすやつ。君は錯覚を起こしていたんだよ」
と言って、得意顔の筆ヶ谷は空中にもたれかかった。丁度美術室の扉辺り。扉は背景と一緒にガクンと斜めにズレ、景色のつなぎ目から外れた。
そうか、ドアから入ってくる人間が自分に近づいて来たら不意打ちできるように、その絵に隠れていたのだ。だから大きな筆も隠すことができた。芸術家らしい罠を仕掛けてるな。
「最近、恋華を生徒会長から降ろそうって声がちらほら聞こえていたんだ。君もそうなんだろ?周りの雰囲気に流されてる口なんだろ?」
「あらら、ばれてたか」
思わず自嘲気味に笑ってしまった。そりゃ罠も仕掛けるか。
「だけど、あの生徒会長は男子を魅了して操ってるんだぜ?そんな人を見過ごすわけにはいかないだろ。って、洗脳されてる人に言っても無駄だろうがな」
筆ヶ谷は更に苦々しく顔を歪ませた。ため息をついて悲しそうに呟く。
「そうやって1人の女の子を寄ってたかって追い詰めるのが正義だって言うなら、僕はそんな正義を認めない。絶対に」
「なかなか中二病なご意見だ、自分が損することにも気付かないとはな」
「やはり、話し合いは出来ないか」
諦観なことを言うと、筆ヶ谷は大きな筆を目の前に振り回し始めた。黒い靄がそこに形成され、その色がだんだん濃くなっていく。
筆の毛を上にして床に立てると、俺にこう話しかけた。
「君にはこれが何に見える?」
これ、とは黒いモヤモヤのことだろう。黒いこれが何に見えるのか。その黒はだんだん光沢を帯びていき、平仮名の「へ」のような形になる。「へ」の左側には人間の手で持ちやすい形状に変化していき、右側は細く、円柱状に変化していく。
......いや、これは円柱ではない。円筒型だ。その筒はまるで、この世界で俺が石を風魔法で放つために作った筒のような。そしてそれを作るために着想を得たもの。武器といってもいい。人間を簡単に死に至らしめることができる、ハンディな黒い武器。
「ドローメーカー、僕は銃の絵を描いた」
そういうと、筆ヶ谷は黒い靄の中から銃を掴み、砲芯を向けた。
────────ゾワッ!
条件反射的に、山積みになった机の影に隠れる!
バン!という発砲音。先ほどまで俺が座っていた位置に視線をやると、煙を出して床が抉れていた。
「避けられたか、銃って意外と当たらないんだな」
と、素っ頓狂なことを言いやがった。いやいや、あんなシチュエーション誰でも嫌な予感するでしょうよ!体中から嫌な汗がぐしょっと滲んでくる。
それよりも、目の前に銃を想像するなんて一人の学生のできることじゃねーよ。実家が銃の製造工場でもないとできっこない。物質創造は物質の内容を理解しなければ基本作ることができないんだから。いや、もしかして。
「筆ヶ谷、お前まさか転移者か!?」
「気付かなかったのか?筆ヶ谷
淡々とフルネームを言ってくれた筆ヶ谷
「......いや、何が分かるんだ?」
「は、ちょ、」
ここで初めて、筆ヶ谷が取り乱した。え、俺何か悪いこと言ったのか?
「君も、サツキも転移者、だよな?」
「ああ、そうだけど」
筆ヶ谷は口ごもる。この隙は逃げるチャンスなのでは?とも思ったのだが、彼の話を聞くべきな気がした。聞いてほしいという意思を、うっすらと感じたのだ。
「サツキ、君は何年生まれだ?」
「20**年だけど」
「そ、そうか、なら、あ、テレビ見ない人だったのかな?それかネット見ないとか」
「いや結構テレビ見るぞ、チュイッターも結構見る。それがどうかしたか?」
質問する筆ヶ谷の声が上ずっているのがわかった。俺は彼が知ってほしい何かを知らないということなのか?
「......なら君は、いつ転移してきたんだ?」
重々しい語気で尋ねられる。筆ヶ谷の唾を飲み込む音が聞こえた。
「四か月ほど前、だったかな」
と言っても、大熊と融合した優に身体を引き裂かれてその期間の半分以上は寝たきりだったが。そういえば優には、ペロを危険にさらしてしまったことを謝れていなかったな。と思い返していると、歯ぎしりが聞こえた。俺ではない。なら必然、筆ヶ谷のだ。地団太を踏み、悔しそうに叫ぶ。
「くそ、くそ、くそ!」
「な、なんだよどうしたんだ!?いきなり」
突然のことに身体がビクッと跳ねた。筆ヶ谷は自嘲を通り越して、呆れたため息を大きく吐いた。
「君は知らないんだな、僕がどうやって死んだのか。その顛末を」
「え、知らないけど」
筆ヶ谷はずっとそれを聞きたかったのだろう。そして俺に、いや最近の人々大勢に知っていてほしかったのだ。筆ヶ谷の死が無駄ではないということを証明してくれるから。しかし、俺はそれを本人の口から聞くことになる。
「僕と恋華は、同じ神明高校出身なんだ。そこで恋華は、社会に殺された」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます