激闘、彼女は獣のごとく

 月明りしかないこの裏庭で、木々のざわめきと一人の女の子の叫び声だけが響いていた。悲しく怒りに満ちた声音は、ノイズなく周囲の人間をひるませた。


 その威圧に負けじと、気合を入れなおす男が二人。


「カゲロー!彼女の動きを封じてくれ!」


 オウグの叫びに反応し、オウグの後ろにいたカゲローが、カエルの被り物に似合わず真剣な顔で、緑山優に飛び掛かる。


「承知!魔術忍法!鈍泥重々どんどろじゅうじゅう!」


 三メートルくらいだろうか、そんな上空から泥の塊を数個優に向かって放った。


 優は、視界の妨げになるのか、自身の帽子をゆっくりと外した。ポスっと帽子が地面に落ちる。そして発射された泥に顔を向けると、獣のような反射神経で、紙一重でそれらを回避した。


 そして着地しようとしているカゲローに視線を向ける。自身に攻撃をした敵に対する視線だった。キッと目じりを釣り上げて、踏み込んだ地面を力強く蹴った。


 ドォォォォォォォー------ン!!!


 走り出しただけなのに、地面に隕石が落ちたような衝撃が走った!その力の主が、地面に着地しようとするカゲローとの距離を一気に縮めた。


「なっ!!?」


 振り上げた拳が、乱暴にカゲローの腹目がけてストレート。回避できないと判断したのか、両手で印を組んでたものの迎撃に間に合わず、クリーンヒットしてしまった。


「がはぁっ......」


 飛ばされて泥の壁に激突したカゲロー。だが泥の柔軟性のお陰でダメージは拳の攻撃のみである。それでもとてもじゃないが食らいたくない威力だ。人を一人、壁にまで吹っ飛ばすのだから。五メートルはあるぞ。


「カゲローー!!」


 心配して駆け寄ったオウグ。だが弱弱しく片手を出しそれを止めた。


「だ、大丈夫です、急所は守りました」


 苦し気なカゲローの腹には、砕けた砂の塊がぱらぱらと落ちている。食らう瞬間に腹に鎧を形成し威力を殺したのだ。抜かりがない奴だ。


 だがどうする、優を止めるには記憶を奪うしかないのか...。


 いや違う、ある!優は記憶を取り戻した。つまり、森を破壊しようと目論む人間への怒りが蘇っているということだ。だが彼女は、自身の行動が結果的に森を守ることに繋がったことを知る前にその命を終えてしまった。だから知らないんだ、彼女の森は、彼女の意思を継いだ保護者によって守ることができたことを。


 ならそのことを話せば、優はきっと怒りを鎮めてくれるはずだ。そもそも怒りの理由がなくなるのだから。



「ぐうううおおおおおおおお!!!!!!!!!」



 優は胸を張り、空を仰いで猛る咆哮が周囲の空気を轟かせる。こんな声量を人間が出したら喉がすぐに枯れて後遺症を残しかねないだろうに。だがここまで凶暴な人に話をしろってのが無理だ。路上にいる狂人がいたとしても触らぬ神として祟られぬよう近づかないのが俺だ。つーか一般の人なら普通はそうする。


 そんな人間に話を聞いてもらう方法は、一体なんだ?やっべ全然思いつかねぇ。


 優の顔をじっと見つめながら考えていると、睨んでいると思われてしまったのか、彼女の矛先がとうとう俺に向かってしまった!


「マジかっ!」


「ぐうぅぅぅぅぅぅっ!!」


 地面をえぐるほどの踏み込みで、俺に突っ込んでくる!


 こんな時はぁぁぁぁぁ......ん~~~~......。これだ!ひらめいたぜ!


 ────────────────────


 俺の町ではかつて、動物園から脱走したライオンが徘徊することがあった。名前はライちゃん。メスだ。ライちゃんは生まれて三歳。結構お盛んで餌の狩りを本能的にしてしまう年頃だ。目の前に餌(と書いて人間)がいたらそんなの狩りってしまうに決まっている。


 そう、俺は高校の登校中に、そのライオンに数回遭遇したのである。路上でだ。住宅街だ。ほのぼのした小春日和に遭遇すべきものではない。はじめは変な気配がして身を隠していたので気づかれずに済んだのだが、二回目からは匂いを嗅ぎつけてか、身を隠している俺に迷いなく近づいて襲ってくるようになった。ダッシュで逃げたね。


 それでも逃げられない状況に陥ったのが三回目。隠れるところなし、遮蔽なしの一本道だ。なんかもう運命すら感じた。こいつは俺を食うためだけに動物園から脱走してきたんじゃないかってくらい。だから、俺は動物に追いかけられた時の対策を予め講じていたのである。


 それが、このガジェットである。


 ────────────────────


「サツキ君!早く逃げるんだ!」


「いや逃げない!俺はこいつと向き合わなくちゃいけないんだ」


 右手が光り、ある物質を創造させた。

 俺が持っていたのは、なんかべっちょりと濡れ濡れな、洗濯物叩きのような、大きい穴が三個空いた棒だった。


 物質創造。


 より詳細なイメージをすることで、魔法を顕現したように物質を創造することができる。この世界の魔法の応用編である。その技術を使い、この棒を作成することにしたのである。


「ぐぅぅぅぅ!!!!!」


 ダッダッダッダッ!

 凶暴な顔の優は、ギロっとしたまなざしをこちらに向けながら突っ込んでくる。


 来いよ、猛獣に襲われるなんて慣れっこなんだ。そして、そんな時の対策も織り込み済みだ!


「不幸対策七つ道具その五、シャボンミラージュ!」


 俺は棒を縦横無尽に振りまく。すると、その棒から虹色の大きいシャボン玉が数多く出現した。それを繰り返すことで、さらに数を増やしていく。


 獣は動くものに反応する性質がある。マタドールがヒラヒラ振りまく布の動きに反応して闘牛が突っ込むように。その性質を利用して、周囲に動くものを複数出現させることで、シャボン玉をデコイにしたのだ。これぞシャボンミラージュである。


 だがそれはただのシャボン玉ではない。俺が生前編みに編み出したオリジナルブレンド。砂糖を加えることでただ割れにくくなっているシャボン玉とは訳が違う。


 そのシャボン玉は、周囲の景色を反射させる、鏡のような表面だった。作り出されたシャボン玉には、俺や背後にいるオウグ、カゲローをも写し出している。人間のような知的な生き物ならなんてことは無いだろうが、野性動物だったならば、注意を引くには十分だろう。


 それを見て優の動きが止まった。周囲に漂っているシャボン玉が、その鏡面に写る歪んだ自分が気になって仕方がないのだろう。


「おらおらおらおらー--!!」


 想像するだけで創造できる世界。ならばシャボン玉の液の容量は無限である。ブンブンと振り回していくうちに、泥のステージには大きなシャボン玉だらけとなり、その透明なシャボン玉が月の光を乱反射させて俺の居場所をわかりづらくした。


「うう!ううう!!!」


 優も負けじとシャボン玉をひっかくことでその数を着々と減らしていくが、俺のシャボン玉生成のほうが早いせいか、なかなか数を減らせずにいた。


「うう...はぁはぁ...」


 しばらそうしていると、だんだん腕を振り回すのに疲れてきたのか、動きが鈍くなってきていた。そろそろ語り掛けてもいいかもしれない。


「なぁ優、聞いてくれ」


「うううう!!!」


 俺の声に反応したのか、ぴったりな方角に腕を伸ばして突っ込んできた!危うくシャボン玉のように華麗で儚く散ってしまうところを何とか紙一重で外してくれた。


「俺は君の森のことをテレビで見たんだ!」


「がぁぁぁぁぁ!!」


 またしても声に反応して襲い掛かってくる!その動きで周りのシャボン玉が大きく靡いた!


「君の森は無事だ!君のおじいさんの緑山隆二が、守ったんだよ!」


 緑山隆二。その名前を聞いた瞬間だったのかは定かではない。だが声を発しても襲ってくることはなくなった。とうとう大人しく話を聞く気になったらしい。


「君のおじいさんは、君が死んだことで、何が何でも森を守ろうって考え直したんだ。周りの人を巻き込んで、一丸となって金持ちに対抗して、森は守られたんだよ!優、君の死は無駄じゃなかったんだ!」


 そういうと、女の子らしい声が喉から絞り出されるように出てきた。


「ほん......とう?」


 先ほどまで視線で人を射止めんとするような怒りがはらんでいた目には、優しさが滲んでいるように見えた。両腕がダランと垂れて、その様子からは敵意は感じられない。


「ああ、本当だ。だから──」



「ありがとうサツキ君、いい時間稼ぎだった」



 そういったのは、優の背後に潜んだオウグだった。開いた本を左手に抱え、右手は優のうなじをわしづかみにした。


「うぐっ」


「今その苦しみから解放してあげるから、簒奪スナッチ!!」


 右手が光る。その光は物質創造のそれと似ていた。そうか、彼はそうやって相手の記憶を奪っていたのだ。記憶は情報であり、創造するための根幹である。それを創造力に逆変換することで、本に記録して奪っていたのだ。


 それがオウグの能力。簒奪スナッチ


「やめろぉ!」


 もう少しで優が心を開きそうになったのに、そんなことしたらまた心を閉ざしてしまう!


 オウグはうなじをつかみながら俺に向かって説教を垂れた。


「ダメだ!人間はそうやって強さにあこがれる。だけどそんなに強くないんだよ!」


「うぐぐぅ...」


 まずい、早く止めないと!


 ずぶ。


 だが、足を動かすことができない。足元を見やると、泥の中に埋もれて足首から下が見えなくなっていた。


「へっ、魔術忍法、地未朦朧ちみもうろう


 泥の壁にもたれかかりつつも、印をしっかりと組んでいるカゲロー。こいつ、優の次は俺からも記憶を奪う算段で動きを止めてやがる!!


「────くっ......そう!」


 動かない、、、ダメだ、こんなの認めちゃだめだ。彼女は本当は、真実を知ればこんなにも苦しまずに済んだんだ。なのに、こんな恩着せがましいことで、記憶を奪われるなんて!!


「終わりにしよう、もう苦しまなくていい。」


 優しくも生暖かい口調で言い添える。だがそれをカゲローが遮った。


「王!上です!」


 ピュ~~~~~~!パァン!


 その言葉で空を見る。そこには大きな花火が打ち上げられていた。


 だがそんなことよりも、


 夜空に咲く明るい空に出現する、多くの鳥の群れが、王に向かって襲いかかってきていた!!!


「ぴいいいいいいい!!!!!!!」


「くっ」


 鳥たちは王に一斉攻撃を仕掛ける。たまらず王は優の首から手を放し、その場から離れる。



「やっぱり、嘘なんだ。そうやって騙して、私からすべて奪うんだ。みんな、みんな」



 優の口から諦観の声がつぶやかれる。

 そして、今まで発したことのない邪気が、彼女から発せられた。


「ね、みんなもそう思うよね、人間なんて、滅べばいいって、そう思うよね」


 その邪気に呼応する周囲の動物たち。


 ドォォォォォォォー------ン!!!


 泥の壁が破られ、そこからオオカミや熊、オオツノジカ、いのしし、他にも様々な動物たちが、優と同じ敵意を剝き出しにしてやってきていた。


 その中でも一際大きな熊が優に近づく。熊は四足歩行しているのに、その高さは直立している優よりも大きい。


 優はその熊の頭を優しくなでる。そして、熊は優と共に光り出した。


「人間、やめよっか」


 ──動物変化アニマライズ──


 大きな熊と優は一つの生命となり、巨大な熊のような存在となって、人間をやめた。俺たち人間を滅ぼすために。

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