死人に口も耳もなし。ただあるのは憎しみのみ。

「自らを傷つけるイメージによって死ぬなんて、そんなのお前らの妄言かもしれないだろ!そうやって適当な理屈並べて自分の思いのまま支配しようなんて、そうはいかない!」


 睨む。見つめる。見定める。目を離してはいけない。何をされるか分からないのだ。絶対に油断はするな。


 オウグは呆れたようにため息をついた。


「そっか、だろうね、君みたいに全てを信用せずに抵抗した転移者を何人も見てきたよ」


 オウグは肩を落とす。それを見てカゲローは何も言わない。膝をついて、悲しい顔をして、ただ少しばかりへりくだるだけだ。


 あ、っと思いついたように、オウグは視線後ろへと向けた。


「信じてはくれないなら、信じてもらうために、証拠を見せる他にない」


 言葉を溜める。オウグは左手に持つ大きな本をぐっと持ち直し、右手親指で後ろの泥団子を指し示し、「ちょっと寄ってく?」みたいは所作で言った。


「彼女の記憶を戻せば、嫌でも信じてしまうだろうさ」


 オウグは、本のあるページを開く。すると中身が光り輝き、オウグの複雑な表情が照らされた。何を思っているのか分からないけれど、少なくとも、笑ってはいなかった。


 そしてその本から、変な、野球ボールサイズの玉を取り出す。それを泥団子の中に突っ込んだ!


「なっ何をしてるんだ!」

 

「記憶を戻したいんだろう?そして記憶を持った状態で転移者を救いたいんだろう?なら、やって見せろ」


 引っこ抜かれた泥団子の穴から、光が漏れる。


 するとその光は泥団子から一つ、二つと漏れだし、ひび割れ、砕ける。そして一人の少女が姿を現した。


 深緑色一色の服装と帽子は、飼育員ちゃんという呼び名たる所以を物語っている。


「飼育員ちゃん!」


 砕けた泥と共に崩れ倒れるんじゃないかって心配したが、少しよろめきつつも、静かに芝生を踏みしめていた。その視線は地面を見るばかりで、虚空を眺めているようだった。


 何だよ、特に何もないじゃないか。記憶を取り戻したら、嫌な思い出によって自らを殺すなんて、そんなのはやはり妄言だ。


 彼女はきっとあっけらかんとしたように、また周りの動物と戯れるのだろう。時には食事に顔を突っ込むのかもしれないが、そんなの少しずつ直せばいい。


 だから、昨日までの彼女が、そこにいるはずだ。


 そうに、決まっているんだ。


 ────ゾワッ!


 足を止める。これ以上進んではいけないと、俺の『嫌な予感』は、そう告げている。あんなにも天真爛漫な、人畜無害そうな女の子だった筈なのに、近づくことさえも躊躇われた。あんなに無邪気な子だった筈なのに。今にも噛みついてきそうな、野性動物を前にするような緊迫感を張り詰めていた。


 見開く目は、憎しみに満ちていた。



「.....るさない!」



 声にもならない叫び。背筋を凍らせるほどの悪意が、あの飼育員ちゃんから発せられていた。その事実が全く信じられなかった。


「ううヴヴヴぅぅ......。」


 彼女の拳に、脚に、全身に力が込められる。


 そういえば、と言うように、オウグが俺の言葉の揚げ足を取った。


「君は飼育員ちゃんって呼んでるけどね、自己紹介できるようなメンタルじゃなさそうだから、余が代わりに紹介してあげよう。彼女の名前は緑山優。動物をこよなく愛し、人間を憎む人間だ」


 緑山、優。


 その名前を聞いて、合点がいった。彼女は人間を憎んでも仕方がない、と。ここまでの闇に囚われても不思議ではないと。そう思えてしまうのだ。


 そうだ、彼女は、優は人間を憎むに相応しい理由を抱いている。その理由を、俺はテレビで見たことがあった。


 ────────────────────


 俺が見たドキュメンタリー番組『世界ビックリ驚天動地ニュース!』では、全世界の面白いエピソードや泣けるエピソードを取り上げることで有名な番組である。10年は続いている長寿番組だ。


 その番組を俺はよく見ていた。その見ていたエピソードの中でも、視聴していた日時と近いエピソードがあったので、「この事件が起こったのはとても最近なんだな」という感想を抱いており印象に残っている。


 題して『故郷を守るため命をかけた少女とおじいさん』。


 少女は赤ん坊の頃、親に捨てられた。木々が生い茂り、自然豊かな森の中でだ。


 そんな少女を偶然見つけたのが、おじいさんだった。緑山隆二。彼女の親となる人である。


 森は隆二の私有地だった。林業を生業としており、その森の木々を育て、伐採して売ることで生計を立てている。そんな所に赤ん坊を捨てるとはけしからんと思っていた。とても厄介な物を押し付けてくれたものだと。


 しかし警察に渡すことも憚られた。おじいさんは昔戦争で両親を無くし、その後は児童養護施設で育った。だから警察に引き渡したなら、そんな環境が酷く、食事は少なく、自由に外に出ることもできなかったような場所にこの子を渡したくない。今の時代はどうなのか分からないけれど、信用することができなかった。そんな所に、罪もないこの子を持ち込むなんてできなかったのだ。


 かくして、隆二はその子を育てることになるのである。


 社会は優しくないけれど、優しく育ってほしいという意味を込めて、「優」と名付けた。


 森の真ん中にポツンと建てられた家が、隆二と優の住む家となった。


 四~五歳くらいになると、森によく遊びに出掛けるようになった。しかも森の動物達とかけっこしたりじゃれあったり。全ての動物が優に心を許していた。警戒心なんてあったものではない。


 おそらく隆二の家で飼っていた老犬のペロと仲良くしていたせいだろう。よく森の中でかけっこしたりボールで遊んだりと楽しそうにしていると、他の生き物も寄ってきて遊ぶようになった。


 優は小学校に行くようになっても、ペロを含めて森の動物達とよく遊んでいた。人間よりも動物と遊ぶ方が面白いから、だそうである。


 その生活は中学生になっても変わることはなく、一度友達を連れてきたことがあったが、それでも彼女の動物好きについていける人は一人も居なかった。


 優が幸せならばそれでよかったのだが、人間と動物の寿命は異なる。だからいつかは、大好きな動物達とお別れする時がやって来る。


 その時、優はひとりぼっちになる。そう考えれば、早い内に人間の友だちとも仲良くさせるべきだろう。


 どうしたものかと考えていると、ジリリリリと電話が鳴った。


 古びた黒電話を耳に当てて話を聞くと、大手ゴルフ企業から、土地を売ってほしいという旨の電話だった。昔森に訪れたことがあり、前々から良い土地だと思っていたようであった。


 隆二が生業としているのは、木々を伐採して販売する林業である。だが森を売ってしまえばそこはゴルフ場となり、仕事をすることができない。その代わりに、遊んで暮らせる大金を大手ゴルフ企業は用意してくれるというのだ。


 隆二は迷った。優がこれから人間らしい生活を送るためには、この森はもしかしたら足かせになっているのかもしれない。森から離れられないから、動物と離れられないから、一向に人間として前に進むことができないのかもしれないと。


 その話を優にすると、真っ向から反対した。


「絶対にやだ!皆と離れるなんてやだ!」


 だそうだ。その言葉に絆されて、隆二は断りの電話をいれた。


「済まないが無かったことにしてくれ」と。


 だが、相手は引き下がらなかった。


「困るよ、もう工事の予約は入れてしまっているし、動物なんて動物園に引き取らせれば生きていけるでしょ?それに、断っても良いけれど、緑山さんの木、もう売れなくなっちゃうかもしれないよ?そうなったら娘さんも生活苦しいだろうね」


 脅しだった。応じなければ林業を滞らせると。電話を握る手に汗が滲む。


 汚い手口だったが、応じることもやぶさかでない自分がいる。その事実に、葛藤した。だから電話口で、渋々と承諾してしまったのである。


 その電話を偶然聞いてしまった優。


「おじいさんはお金が大事なんだ!私や友達のことなんてどうだって良いんだ!」


 と、家を飛び出してしまった。隆二は止めようとしたが、野生の運動神経を持つ優に追い付けるはずもなく。




 パパパパパパパパパン!


 鳴り響く、爆発のような銃声が森に木霊した。鳥達がビックリしてガサガサと飛び回る。


 急いでその音の場所に訪れると、隆二が見たのは、身体中を散弾銃で撃たれ、森の中で血まみれとなった優の姿だった。周りには優の友達だった熊や猪、鹿などが、血まみれになって倒れていた。


 優は動物達を引き連れて、ゴルフ場を作ろうとしたお金持ちを追っ払おうとしたのだ。工事のためのプレハブをすでに近くに建てていたようで、そこを襲ったのである。


 だが安全に伐採するために、企業側は猟師を何人か雇っていた。そいつらが優達を撃ち抜いたのだ。


 隆二は崩れ落ちた。膝をその森の地面に着け、血の味がするまで口を噛み続けた。


 馬鹿だった。命よりも大切な物がある。それを優は幼くして理解していた。なのに、自分は何一つ分かってはいなかったのだ。


 優こそが、自分の命を賭けてでも守るべきものだっていうことを、失ってから初めて気づいた。


 そして悔いた。実は自分は本当は大金が欲しくて承諾してしまったのではないかと。人の命よりも、目先の金を優先してしまっていたのではないかと。その可能性を拭えないことに、心底後悔したのである。


 だから、優達の死を無駄にしてはいけないと、思った。これは贖罪である。償うべき己の罪。それを償うためには、優の命が示した答えを、森を守るという答えを、現実にしてやることだけだった。


 優の亡骸に誓い、優の友達に誓った。お前たちの命は無駄にしないと。例え自身の人生が金持ちに翻弄されようとも、守り抜いて見せると。


「優を殺害したこと」の訴えを行い、そして企業側が森を売ることを強要したことを言及した。昨今ではネットがより普及しており、配信することでより広く知られることとなった。


「優ちゃんが可哀想だ」

「動物虐待じゃなくてただの殺人」

「脅して儲けようとしている守銭奴は許せない」


 等々、賛同してくれる人達が名乗りを上げ、隆二の味方になってくれた。


 そして一部の賛同してくれた人達と共に、隆二は損害賠償を求める裁判を起こした。企業を相手取るためかなりの時間を要したが、隆二達は見事勝訴を勝ち取ることができ、森の売却は白紙となった。


 隆二は賠償金の全てを使い、優の慰霊碑を森に建てた。彼は今でもその碑に手を合わせ続けているという。


「優、お前の守りたかった森は守ったよ。だから、これで許してくれるよな。俺はお前の思いを叶えたよ。だから、ごめん。守ってやれなくてごめん」


 ────────────────────


 だがそんなこと、優本人は知る由もないのである。だって、死人には口も耳もないのだから。


「許さないぃぃぃーーーーー!!!」


 激しい悪意が、優の怒号と共に溢れだしてくる。その圧に押されて、思わず踵を返しそうになってしまった。


 その様子を見て、オウグとカゲローは臨戦態勢に入る。


「気を引き締めろカゲロー、以前よりも悪意の純度が強くなってる。早めに記憶を完全に取り除かないと存在が壊れるぞ!」


「承知!まずは場所を囲います!」


 印を素早く組み、カゲローは地面に手をついた。


「魔術忍法!我泥引水がでいいんすい!!」


 途端に、周囲の地面が歪み始めた!周囲には泥の壁が高く聳える。俺と優は泥の壁に閉じ込められてしまったようだ。壁はドロドロヌルヌルで、とうてい登ることはできない。やられた。


「これで分かっただろう、転移者は呪いには抗えない」


 背中で語るオウグの言葉が、いやでも胸に突き刺さった。足がすくみ、動くことができない。


「これで邪魔な動物たちも入らない。やるぞカゲロー」


 オウグの本と右手が怪しく光る。その声音には、正義と覚悟が籠っていた。

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