古書店で買える惚れ薬

下等練入

第1話

 私の家は代々続く古書店で中学生の頃から店に出ることを親に求められていた。

 ただ遊び盛りの年齢の子供が店番なんか楽しめるわけがない。

 少しでも何か面白いことが起こればいいと、私は古書店で惚れ薬を売っているという情報を流した。


 ◇


「いらっしゃいませ~」


 大学生になった私はあいも変わらず実家で店番をしていた。

 ただ今時こんなさびれた店で中古の本を買うのは常連ぐらいだ。

 店番と言ってもそこにいて 積み上げられた本と同じぐらい湿気った挨拶をするだけのもの。

 それで1時間が1000円に化けるんだから文句はない。


 その日明らかに初見と思われる客が入ってきた。

 肩辺りまで伸びた茶髪に、最近流行のセットアップ。

 私は辛気臭い挨拶をしながら「女子大生かな?」などと考える。

 ただ段々とレジに近づいて来るその顔にはどこか見覚えがあった。


 ああ思い出した。

 同じ学部で一番かわいいって有名になってた人だ。

 間違いない。

 確か橋本はしもとさんとか言ったっけ。


 (そんな人が買う本なんかここにはないだろ)


 心の中で苦笑しながら彼女を見る。

 彼女は注意深くあたりを見回した後、聞こえるかどうかギリギリのささやき声で話しかけてきた。


「あのすみません、ヴィクトル・シャルトルの『孤独な心の秘密の庭』を一つ」


 その言葉を聞いた時、中学生の頃の記憶が一気に頭の中にあふれ出てくる。


(まだ惚れ薬の噂って続いてるんだな)


「少々お待ちください」


 それだけ言って店の裏に併設されている、自宅のキッチンに戻る。

 なにかいいものがないか探すと、いい所に試験毎によくお世話になっている胃腸薬を見つけた。

 それをそこら辺にあったチャック付の小物入れに入れる。


「お探しの物はこれですか?」


 そう言ってさっきのやつとそこら辺にあった小説を一緒に手渡す。

 確か薬を飲ませから一週間以内に一緒に本を読めば仲が深まるとかだった気がする。

 まあ大人になった今考えると、一緒に本を読めるような関係の時点で随分仲がいいとは思うけど。


 「は、はいこれです」

 「500円です」


 今更ながら適当に取った小説のタイトルを見るが、確かベストセラーか何かに選ばれたやつだ。

 これならまあ少なくともほどほどに面白いだろうし、500円でその本を買ったと思えば腹も立たないと思う。

 彼女は手渡された商品をまじまじと見た後、一瞬だけ顔をほころばせすぐバッグにしまった。


「読み方わかります?」

「はい、大丈夫です!」


 彼女はよっぽど嬉しかったのか、支払いを終えると軽い足取りで帰っていった。


 ◇


 (やっぱ飲み会なんて来るんじゃなかったな。もう少ししたら適当に抜け出そうかな)


 氷の溶けかけたハイボールを眺めながらそんなことを考える。

 付き合いで来た飲み会。

 楽しくなんかまったくなく、ただ無為な時間だけが過ぎていく。


「あの新田にったさん?」


 マドラーで氷を弄んでいると、背後から誰かに話しかけられた。


(誰だ?)


 振り返るとそこには、この間惚れ薬を買った橋本さんがいた。


「なんですか?」


 私はなるべく嫌な感じを与えないように丁寧に返事をする。


「もしかしてお酒苦手ですか?」

「まあそんなに……」


 私は溶けかけのハイボールを見せながら彼女にそう言った。


「ならよければこれ飲んでください。二日酔いしにくくなるサプリです」


 彼女は小さなチャック付きの袋を渡してきた。

 間違いない、これは私があげた惚れ薬だ。

 中にはよく見たことがある錠剤が数粒入っている。

 なんでそれを私に? と思ったが理由なんか一つだろう。


「ありがとうございます」


 そう言って私が彼女からもらった薬を目の前で飲んで見せた。

 どうせ偽薬なんだ、飲んだところでデメリットなんかない。

 

 空になった袋を見せた時、彼女の瞳には恍惚こうこつな光が宿ったように見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

古書店で買える惚れ薬 下等練入 @katourennyuu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ