第4話 小説の登場人物の姿

 先日、中山七里の『作家刑事毒島の嘲笑』を読んだ。相変わらずの安定感で最後の章を読んで無駄がないなと思った。毒島刑事が作家でもあることを色々と利用しているけど、こういうのもありだよな。たいへん楽しませてもらった。


で、Amazonのカスタマーレビューに目を通した時に、「表紙の毒島刑事のイメージが違う」と書いているものがあった。これについてはやはり人それぞれだなと思う。

私自身は毒島刑事の姿についてあまり想像していなかったため、割りとすんなり受け入れてしまったからだ。映像のない小説の登場人物は、著者が描いた描写から読者がそれぞれ想像していく。それでも同じ姿を想像するとは限らない。


実は私はその姿の描写はあまり意識せず人物の姿を当てはめてしまう癖もある。その人物の行動に近い行動をとる存在に当てはめてしまっているようなのだ。そのため、挿絵などが後から入った時に自分のイメージする人物と同様の人物を求めない傾向がある。ギャップが大きすぎるので。


一番著者の示す姿とかけ離れた姿を当てはめてしまっているのは、多分『転生したら山の中だった』のレッツェだろう。髭をはやしちょっと老けてるって書いてあるのに、私の想像している姿は髭なしツルッパゲで筋骨隆々な姿だ。どうしてこうなったのか、本人にもわからない。


それから京極夏彦の「百鬼夜行」シリーズの京極堂に関しては「芥川龍之介」似と書かれているのに、全く芥川龍之介に似ていない知り合いの姿だったりするのだ。

レッツェについては、多分どこかの漫画のキャラクターで(元が思い出せないのだが)、そのキャラクターが面倒見の良い人物だったはずだ。京極堂の場合は、あの立て板に水で言葉を畳み掛けるところが、その人物との共通点だ。


どうにもそうやって登場人物の行動からイメージを勝手に作り上げてしまっているようで、最初に挿絵でもないかぎり勝手に自分の中の人物分類名鑑から姿を引いてきているようだ。それで該当人物が居ないし、挿絵もないとそのまま文字として認識している感があり、毒島刑事などがそれにあたる。


多分、小説などの登場人物の姿は全体的に似ている人物像というわけではなく、自分が一番印象に残るモノという部分だけで判断していると感じている。だって私が京極堂のイメージを抱いている人物は、着物を来ているわけでもいつでも本を読んでいるわけでもないからだ。物知りではあるが、妖怪などに造詣が深いわけではない。話し方のイメージのみだ。


 「百鬼夜行」シリーズについてはコミカライズされているが、ある知り合いが「イメージが崩れるから読まない」と言っていた。映像化される、挿絵が新たに入るとした場合はどうしても「イメージが合わない」というのがつきまとう。

先にも書いたが、私はあまり気にしていない。別物として捉えているからかもしれない。


その理由は、多分子供の頃に見た漫画がアニメ化された時に全く別物みたいになっているのをよく見ていたからだろうと思っている。年齢がバレるが『マジンガーZ』の系列や最初の頃の『仮面ライダー』、『デビルマン』なぞ別物ですよ別物。幾つものパターンも存在していたし。例えば桜多吾作の『マジンガーZ』シリーズ、特に『UFOロボグレンダイザー』のラストなぞアニメとは全く別の物語だ。


特に『デビルマン』は最初から最後まで別!アニメが最初で次に漫画を読んだが、あの時の衝撃は忘れられない。私は恐ろしいと思った物語の本は仕舞っちゃう癖があるのだが、その最初の本はデビルマンの最終巻だった。

そういうので鍛えられている?せいなのか、昨今のアニメ化された作品の原作への忠実さをみると感心するばかりだったりする。


 これは半ば諦めているから、自分のイメージとは全く違う人物たちが活躍している漫画もアニメも見れるのではないかと思う。話の筋が全く違っても、よっぽどのことがなければ受け入れられる。

それでも叶うならば、自分がイメージする人物の姿だと嬉しい。

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