満月堂

朝日が夕日に

あつまり

時は平安中期から、詩や物語があちらこちらでよまれていた時にある豪商が友人達にこう言った。

『物語や詩は景色を描いた美しいものもあれば、人の醜さをそのまま綴ったあまり聞いて心地よいとは言えない物もある。中身は色んなもので溢れているだろう詩や物語を集めてよみたいと思ったことは無いかい?私はある。だから集めてみようと思うんだ、多くの人生や多くの景色を。そして君達と話したい。そこから見えるものについて。私は欲深く、欲しい者や欲しい品はもう手に入れたが生憎他の人から見える景色などを手に入れることは出来ていない。どうだろうか、手伝ってはくれまいか。』と。その彼の話に友人たちは賛同し、各々で多くの景色を集めてきた。かなや漢字が通じるところから、何が書いてあるのか分からない海外の童話もあったらしい。そして満月の夜に篝に火をつけあれはこうだ、それはこうだろうと詩や物語からみえる景色について意見を交えていたらしい。それはとてもとても楽しく、『死してもこれは続けよう』とまで言っていたらしい。

そこから時代は流れ時は令和、私は今世界各国の物語や詩などが集まった所の本屋の店長の仕事を親から引き継いでやっている。地元の人や学生はここだと物語に困らないからとよく利用してくれている。色んな知識を得られる場所として利益が出続けているから飢え死にはしそうにないのはとても嬉しい事だ。まぁ夜にうるさい声がなければだが。 もし本屋のうるさい声が面倒臭く感じたなら《満月堂の生まれた歴史》を読めと両親に言われ読んだが、読んだからと言って面倒臭いのに変わりはない、まぁ知識を求めるだけなら可愛いものか。そう思いふとカレンダーを見るとどうやら今日は中秋の名月、そう十五夜らしい。あぁ、カクヨムを開かなければ。最近はウェブ小説で投稿されている話で盛り上がっているらしく、スマホやPCをずっと使われている。有名なものから新人が書いたものまで沢山読み漁っている。誰にも読まれないだろうと思って新人がすぐに連載をやめるのをとても悲しんでいた。『私たちは見ているのに』。ああそう言えば彼らから伝言がある、『あなたの作品を楽しみにしているのは、人間だけではないのかもしれない。』と。死んでまで話し合える友がいるのを私は羨ましいと思う。まぁ、うるさいので本屋に集合して欲しくはないのだけれど。

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満月堂 朝日が夕日に @MelonwaAmai

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