第14話 探索者に憧れる少年

 今日は実家を出て、美容師として働いている玲央兄ちゃんが家に来る日だ。電話で兄ちゃんは、仕事でダンジョンのボスモンスターの髪を切ったって言っていた。その話を聞きたくて今うずうずしている。


「太陽ー! お兄ちゃん帰って来たよ」


 お母さんが呼ぶ声が聞こえた。俺はすぐに部屋を飛び出て、兄ちゃんに会いに行った。


「兄ちゃん!」


「おお、どうした。太陽。少しみない間にでっかくなりやがって」


 兄ちゃんは俺の頭をわしゃわしゃと撫でる。俺は「やめろよ」と兄ちゃんの手を払いのけた。


「ははは。悪い悪い」


「もう、兄ちゃん。それより、ダンジョンに行ったんでしょ。話聞かせてよ!」


 俺は兄ちゃんの目を真っすぐ見て真剣さをアピールした。


「やれやれ。お前、まだ探索者になりたいって言ってるのか? やめとけ。命の危険がある仕事なんだぞ」


「そんなの探索者に限らないじゃないか。工事現場や工場でも仕事中に亡くなる人はいる。でも、誰かがその仕事に従事しなかったら社会は回らない。今やダンジョンでしか採取できない素材が生活の基盤になっている。今更、探索者がいない生活なんて無理だよ」


 ダンジョンが出来始めた頃は、まだ俺が生まれるか物心がつく前か、そんな時代だった。だから、ダンジョンがない時代の生活なんて俺は考えられない。だけど、周りの大人が言うには、生活はかなり豊かになったという話だ。


「まあ。話だけでも聞かせてやるか。俺が言ったダンジョンは深緑のダンジョンだ。自然が溢れる良い所だ」


「深緑のダンジョン? 聞いたことないな」


 今や人気のダンジョンはネットを調べればすぐに出てくる。ダンジョン名鑑なんて本も売っているくらいだ。そのダンジョンの攻略情報や採取できる素材もそれに載っているみたい。俺も探索者を目指しているから、踏破されてない目ぼしいダンジョンは一通り調べてある。


「まあ、あんまり不人気のダンジョンみたいだしな。太陽が知らなくても無理はないか」


「ねえ、そこのボスモンスターってどんなモンスターなの? かっこいい?」


 新緑のダンジョンのボスモンスターどんなんだろう。きっと、かっこいいドラゴンとか虎とか狼とか、ボスって言うくらいだからそういう感じなのかもしれない。


「かっこいいというよりかは……まあ、かわいい系かな? 見た目は人間の女性とそんなに変わらない。ただ、肌の色がちょっと緑色っぽいけど」


「なにそれ……がっかり」


 あんまり強くなさそう。そんなモンスター倒したところで何の自慢にもなりやしない。


「アルラウネって種族みたいで、名前はルネって言うんだってさ。まあ、討伐されずに生きていれば、また俺を指名してくれるかもしれないし、彼女の今後の活躍とご盛栄をお祈り申し上げる気分さ」


 活躍とご盛栄をお祈り……? 小学生の俺にはわからないけれど、祈るってくらいだからきっと良い意味なんだな!


「そうだ。ボスモンスターはいいけど、素材? なにか取ってきた?」


「おいおい。俺は探索者としてダンジョンに入ったわけではない。それでダンジョン内の素材を持って帰ったら捕まるっての」


「そうなんだ。お土産はなしなんだ」


 なんかガッカリ。本当にただダンジョンに行っただけって感じか。


「まあ、素材の情報は手に入れたけどな。怪我に効く緑色のハーブ。魔界のハーブがどれだけ効くかは知らないけど、基本的に魔界のものは人智を超えた力がある。きっとどんな怪我でも治してくれるんだろう」


「ほへー。まあ、別に俺は怪我なんかしてないし、興味ないかな」


 兄ちゃんとのダンジョン談義はそこで終わった。その後は一緒にゲームをしたり夕飯を食べたりして、楽しい時間を過ごした。そして、兄ちゃんが今住んでいるところに戻ったんだ。


「太陽!」


 兄ちゃんが帰ってからしばらくしてからお母さんが急に俺の部屋にやってきた。


「どうしたの? お母さん」


「いい? 落ち着いて聞いて……お兄ちゃんが……! お兄ちゃんが……交通事故で意識不明の重体なんだって」


「え、ええ!?」


 嘘……だろ。


「な、なに言ってるんだよ。お母さん。兄ちゃんはさっきまであんなに元気だったじゃないか。それが意識不明の重体だなんて……冗談キツいって」


「タクシーを呼んだから病院行くよ……それまで心を落ち着かせて準備して」


 俺はお母さんが何を言っているのか理解できなかった。俺はしばらく時間が止まったかのように、ただ部屋でぼーっとしていた。でも、それでも世界の時間は止まってはくれなくて、タクシーが来て、俺とお母さんはタクシーに乗り込んだ。


 俺の隣に座っているお母さんは落ち着かない様子で貧乏ゆすりをしていた。車内での会話は無言。お母さんは俺に落ち着けって言ったけれど、お母さんも落ち着いてないと思う。だから、自分で運転をしなくてタクシーを呼んだんだ。もし、自分で運転したら……はやる気持ちで事故を起こしかねない。


 それからのことはよく覚えていない。病院につくなり、お母さんと病院の人がなにやら話している。子供の俺には大人の会話は難しくて理解できない。ただ、時間だけが過ぎていった。


 結論から言うと兄ちゃんは無事に意識を取り戻した。でも、ダメだった。右手の骨が粉々に砕けて、2度と物を持つことができない……僕がお母さんから聞かされた事実はそれだった。つまり、兄ちゃんは……2度と商売道具であるハサミを持つことができない。


 兄ちゃんはまだそのことを知らない。美容師になる夢を追いかけて、努力をしてきた兄ちゃんが……どうして!


 病院から家に戻って来た俺は泣いた。涙が溢れて止まらなかった。本当に辛いのは兄ちゃんなのに。そうは思っても、泣くのをやめられない。


 兄ちゃんとの思い出が頭の中に駆け巡る。別に死んだわけでもないのに、なぜか思い出がよみがえってくる。小さいころの記憶から順番に流れていき、そして最後。直近の思い出が再生される。


『怪我に効く緑色のハーブ』

『魔界のものは人智を超えた力がある』

『どんな怪我でも治してくれるんだろう』


「ハッ……! 深緑のダンジョン!」


 俺は気づいたらパソコンを立ち上げて、深緑のダンジョンの場所を調べていた。幸いにもここからそんなに遠くにある場所じゃない。アクセス手段はそんなにないから、タクシーで行くのが無難か。俺のお年玉貯金を使えば、タクシーの往復分は出せると思う。


「ハーブ……取ってくるしかない」


 俺の目に映る絶望的なランク情報。Dランクダンジョン。今まで、探索者としての経験がない俺が挑むには辛すぎる。


「でも……行くしかないだろ!」


 俺は震える手をぎゅっと握りしめた。あれだけ探索者になりたいと息巻いていたのに、いざ自分がダンジョンに潜り込むことを想像すると怖くて震えが止まらない。


「兄ちゃんは……夢だった美容師の道を諦めざるを得なくなった。その兄ちゃんを救える可能性がある……あるんだったら! 俺の命くらいくれてやる!」


 新緑のダンジョン。探索者が滅多に足を踏み入れない場所だから情報が何にもない。なるほど。確かにそれは探索者視点だと厄介だ。命がかかっているから攻略情報が充実している方が立ち入りやすい。


「でも……なにかもう少し情報が欲しい」


 俺は『深緑のダンジョン 攻略』で検索してみた。多分、出ないだろうと思うけどダメ元で。その結果、ある動画ヒットした。


「はーい、みんな。こんにちは。新緑のダンジョンのボスモンスターのルネだよー。今日も深緑のダンジョンの攻略情報をお届けするから遊びに来てね」


 ボスモンスターが自ら、攻略情報を発信する……もしかして、このボスモンスター。バカなのか?

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