それぞれの欲しい物
しばらく待つとアディソン嬢と手下の異人が台車のついた1メートル四方の大きなガラス容器を持ち込んだ。でかかったから木戸から入れるのにひと悶着あったが、なんとか部屋の中に持ち込み、入り口の土間に窮屈に少し斜めに置かれた。
手下は
あれが出る丑三ツまでにはまだ時間がある。土御門がいるとアレが出ないらしい。だから俺と土御門とアディソン嬢で井戸端に陣取って会議する。
さすがに夜四ツを過ぎると長屋入口の木戸が閉まるから外からの出入りもできねぇし、わざわざ長屋から出るやつもほとんどいねぇ。だがたまに便所に出てくる住人にヒェと化け物にでも会ったような顔で悲鳴を上げられた。なんだかな。
俺だけは見た目は普通だと思うんだがな、多分。
「頼まれてたもんだ」
「ありがとうございます。山菱君にお渡しください」
「ほらよ」
そう言って手の中に投げ入れられたものは20センチほどの高さの武者人形だった。精緻な作りで丁寧に整えられている。よほど高級なものなのだろう。
そしてその子の気に入りの人形だったそうだ。何不自由なく幸せ、だったのか。
「山菱君。その子どもと話をつけてこの人形に乗り移るよう説得してください」
「ちょっと待て、聞いちゃいねぇぞ。子どもについちゃこちらで貰い受けるってぇ話じゃなかったのかよ」
「いいえ、アレクサンドラさんにはご納得いただいています。あなた方が欲しいのは魄で私が欲しいのは魂なのですから」
「ハク? コン?」
人が死ぬと魂魄となると聞く。だが魂と魄?
それは異なるものなのか?
「アディソンさんと私と山菱君の利害は一致します。アディソンさんもその子がどのような存在か薄々気がついているのでしょう」
「何が言いてぇ」
「レグゲート商会が欲しいものは『鏡』という性質です。そしてその性質はその子どもの魂ではなく魄に宿るものです。だからレグゲート商会は魄の溶ける遺骸が欲しい。道具とするには魂なんてファジィな器官は無いほうがよい。だから魂は私が頂きます。アディソンさんは気になるのでしたらたまに遊びに来てください」
「ふん」
「ちょっと待て。お前ら何の話をしてるんだ。どういうことだかさっぱりわからねぇ」
土御門は少し考えるようにあたりを見渡す。
「そうですねぇ。魂魄と一纏めにされることも多いですが、魂と魄は異なる概念です。この場合の魂とは精神を司るもので死ねば天を舞い、世界を巡って霧消する。魄とは体を司るもので、埋葬されると地に溶ける。そして魄がうまく解けきらぬと鬼となる」
「鬼ぃ?」
アディソン嬢が頓狂な声を上げた。
「アディソンさんはオカルトがご趣味でしょう?
「ふん? だからあいつらは人語を解さねぇで人を襲うのか?」
人を襲う動く死体?
そんな穢れたものが存在するのだろうか?
穢れ。黄泉平坂を追う
「山菱君は今の話を忘れてください。必ずです」
「うん? なんでだ」
「今のは殭屍や屍食鬼といった一般化された化け物の話です。殭屍や屍食鬼は魂を失ったから彷徨い歩くもの。けれどもその子はまだ魂も魄もそこにいるのですから」
そうだ。その子はそんな化け物なんかじゃあなくて、病がちな人間の子ども。なんだかピンとこないな。そうか。
「その子の名前はなんていうんだ」
土御門とアディソン嬢は顔を見合わせた。
「『幸せの子ども』だ」
「いや、そういうんじゃなくてよ」
「山菱君。その子は『幸せの子ども』でなくてはならなかったのです。『幸せの子ども』だから幸せを振りまく。他の名前などあってはならない。他に名前があればその名の示す存在になるのですから」
「……ねえのか。名前」
なんだかそれは、酷く可哀想だな。
じゃあ周りはその子になんて話しかけたんだ? けれども俺はその何だかわからない妖怪のようなものではなくその子と話をするわけだ。なら、名前がないとなんて呼びかけていいのかわからねぇな。
ふと目を上げると、土御門がじっと見つめる先には、妙に落ち着かなさそうな表情を浮かべて目を泳がせるアディソン嬢がいた。
「付けたんですね。名前」
「いやなんつかよ、呼びづれぇじゃん」
「まあ、あなたは何でもかんでも名前をつける人ですからねぇ。それで何というんです?」
「……」
「……怒ったりしませんよ。誰にも言いませんし。おそらくその名前を呼ぶのも今後この三人だけです」
「……
「またそんな大雑把な。そんなわけで山菱君。子どもの名前はシュです」
シュ?
変わった名前だな。だがそもそも異人だ。異人の名前なぞよくわからん。そんなものなのかも知れぬ。
「それで俺はそのシュと話してこの人形に乗り移るように言えばいいんだな」
「ええ。それからシュの魂とは別に亡骸に宿ったシュの魄がいる。そちらに意識はありませんが、それは確かに存在する。だから山菱君はシュの魂と魄を間違えないで下さい。魂を人形に、魄を檻に。よろしいですね」
「お、おう」
「そろそろ陰気が満ちてまいります。シュの魄が動き出すでしょう。アディソンさんは守りは必要ですか?」
「いらねぇ」
「わかりました。では山菱君にだけ」
土御門はそう言って口の中で何かモゴモゴと唱えて妙にフラフラとした動きで地面を踏む。そうした後に手を妙な形に動かしながら呪文を唱える。
せつ様。山菱君をお守り下さい。
「さて、一応山菱君にお守りはつけましたが、アディソンさんもできれば山菱君をお守り頂きたい」
「あ゛? 何で俺が」
「山菱君じゃないと恐らくシュを呼び出せません。なにせ特殊体質ですから。そして私は基本的には中に入れませんから、何かあればご判断で山菱君を守って下さい。それが恐らくアディソンさんのご希望にも叶うでしょう」
「だから何なんだよその特殊ってのはよ」
「今回の仕事が無事終わって引き続きお手伝いして頂けるようでしたら、お答えしますよ。それからアディソンさんは遺骸を回収したら一旦外に出てください」
「あ゛? 何でだよ」
「おそらくシュの魂をそのまま回収できるのは山菱君だけです。山菱君が駄目なら諦めてください。普通、死んだ人は戻ったりしません」
「……そうだな」
俺は何なんだ?
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