4章 異人の子
「いやぁ流石山菱君ですねぇ。誠に感服致しました」
俺が昨日長屋で聞いた噂話と昨日の顛末を告げると、土御門は満面の笑みを隠そうともせずにやにやと口角をだらしなくさせた。親しみやすさを超えて何か異界をかんじる。よくわからないもの、鬼。
昨夜、というかつい今しがたの話だが、顔でも洗おうと障子をガラリと開けて心の臓が飛び出すかと思った。向かいの長屋の壁を背に土御門が期待に満ちた目でこちらを見つめ、爽やかに『おはようございます』と言い放ったのだ。
「脅かすなよ」
「いかがでした? いえ、それより朝食に参りましょう」
「行くってどこに」
「居留区です」
この長屋から築地
しばらくすると妙な
「おはようございます、アディソンさん。朝の初めに失礼いたします。ご依頼いただいた件につきまして途中経過の報告に参りました」
その言葉にアディソンと呼ばれた異人は一瞬眉と眉の間に皺を作った。
「おう、待ってろ。アレクサンドラ様はご在邸だ。飯は食ってくか? そっちのも」
「宜しければ」
予想外の流暢な江戸言葉に驚き固まっていると、かわりに土御門が返事を返す。そして返事も待たずに扉はパタリと閉められた。
「今のは何なんだ?」
「あの方はこのレグゲート商会の用心棒のアディソンさんです。皆さんアディソン嬢と呼んでいますね。それからここの会頭のアレクサンドラさんが失せ物の方の依頼主です」
「そのアレクサンドラという人がいなくなった子どもの母親が何かなのか?」
そうすると土御門は急にぱたりと動きを止め、なんともいえない感情を乗せてふわりと俺を見た。妙ことでも言っただろうか。異人は名前の最後がアの場合は女性だと聞いた覚えがあるのだが。
「その子どもはアレクサンドラさんの養子のようなものです」
「ふうん」
しばらくして再び扉が開かれ、アディソン嬢のついてこいと言う声に続く。声は低く男としか思えない、な。
ともあれひょこひょこと奇妙にバランスをとるアディソン嬢の後ろをついて、木床に赤い絨毯が敷かれた廊下をおっかなびっくり歩く。左右を見ればよくわからぬ高そうな絵と壺が定期的に並び、しばらくその廊下をくねくねと曲がり、一つの扉にたどり着く。
カンカンというノックの音に続いて室に入ると1人の着飾ったご婦人がソファに座っていた。こちらは異人がよく着ているドレスという服装だ。アレクサンドラは優雅な女性にしか見えないが、アディソン嬢よりおそらく身長が高いだろう。アディソン嬢が婦人の側に立てばアディソン嬢の小柄さがますます目につく。
土御門が頭を下げたのに気づいて慌てて下げる。
「サンドラさん、本日は突然の訪問失礼致しました」
「イえ、私ハこの時間ニしかおりません。あの子ハ見つかりましたカ」
「見つかる可能性があります。そこで今夜、道具とアディソンさんをお借りしたい」
「宜しいデしょう」
「それから念の為申し上げておきますが、回収しても同じ効果を得られるかはわかりません」
「結構です」
「それでは失礼いたします」
「えェ、ご機嫌よう」
それできっぱり面談は終わってしまった。アレクサンドラという女性は年齢がよくわからん。顔にずっと笑みを貼り付けていたが、なんだか酷く事務的で冷たい印象を受けた。
心配したり、しないのか?
何やら心のうちのモヤモヤが積み重なったまま退室し、そのままくねくねとした廊下をアディソン嬢の後を着いていき、食堂にたどり着く。
布の敷かれた長机の端に3人で座ると給仕が皿を運んでくる。ふわふわと焼き上げた四角いパンと、柔らかく丸まった卵焼き、それから葉野菜の酢漬け。
土御門とアディソン嬢はいただきますとは異なる何かをもごもごと唱えてからフォークとナイフを取る。
どれもどことなく甘い食事にさらに甘い蜜柑の砂糖漬けを塗る。食べでがないのになんだか朝から胃がもたれる妙な気分。
「そんであいつはやっぱ死んでんのか」
「まあ、そうですね」
「そうかよ」
ガラスの窓から差し込む透明な光を反射するような、どこか鎮痛な声。その異人の子どもはこのアディソン嬢と仲が良かったんだろうか。その問いは先に土御門から発せられた。
「仲がよろしかったのですか?」
「まぁいいってわけでもねぇけどよ。たまに話をしてたんだよ。あいつは部屋から出らんないからな。色々外の事を聞かれてよぉ」
しみじみとした声音に、このアディソン嬢はその子どものことを心配していたのだろうとほっとした。
それにしても、部屋から出られない、か。
体が悪いんだったな。そんな中で火事で焼け出されてどれほど恐ろしかったんだろうなぁ。
「そんでそいつが見つけたのか? 初めて見る顔だな」
フォークの先を向けられた。
「ああ、山菱
「おい」
「ふうん? あいつみたいにか」
突然のあまりな紹介に抗議しようとしたら妙な反応が返ってきた。
「方向性が少し違いますが効果が自動で発動する部分は似てはいますね」
「自動? 土御門、その子どもはその、俺みたいな、霊媒? みたいなもんなのか?」
「なんだよてめぇ。話してねぇのかよ」
アディソン嬢の少し咎めるような声音にも、土御門は平然としたままだった。
「必要ありません。身の上話など知っても困るだけです」
「……まぁ、な。でも今晩箱持ってっから簡単には話しは通しといてもらわねぇとイザっつう時困るぞ」
「そうですね。後ほど話をしておきましょう」
なんだか除け者にされている気分だが、身の上話をされても困る、というのはなんとなくわかる。その子どもはアレクサンドラという婦人の養子だそうだが、あんまり心配されているような感じでもなかった。微妙な立場にあったのかもしれない。
俺も今は大学に潜り込んではいるが、もともとは大名に仕える武士の家の出で、何故ここにいるのかとたまに尋ねられても、それは時代のせいだという以上にはうまく答えられはしない。
とくにこの嵐のように移り変わる複雑な世情では、身の上というものはくるくる風に舞う木の葉のようでどこに向かうかわからない。畢竟、それぞれに色々有るものなのだ。
それで長屋を騒がせぬよう
外国人居留区を抜けて漁船が係留する築地から石造りの銀座を通り抜けて日比谷へ向けた軍用地の隙間を縫い、江戸城のお堀ばたを進んで大学に向かう。
見上げた明るい夏の空には入道雲がもくもくと立ち上っていた。なんとなく、あの鬼を思わせる。北に向かって進んでいるからまだいいものの、その焼け付くような日光は俺の背を温め、所々に反射する光が俺の目を閉じさせる。
眠い。よく考えればここ5日ほどまともに寝てねぇな。もとより俺は体は丈夫なほうではあるが、そろそろまぶたがどんよりと重くなっている。
今日はなんだっただろうか。大抵の講義が丁々発止の演説の場になる。学生以外も聴講者が自由に喋れるもんだから面白いといえば面白いのだがたまによくわからん。
そんなことをぼんやりと考えていると隣を歩く土御門と目があった。
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