4、セドリック、アメリアの境遇を知る②
「仕方ありません。弟はまだ十三歳ですから、物事がうまくいかないと癇癪を起こすのでしょう」
セドリックを机の上に離し、アメリアは先ほど見てきた材料をメモした。
「うーん……。やや面倒くさい材料ばかりですね。薄荷水に漬け込んだシナモン、月光に三日さらしたサンザシ、乾燥させた牡丹とシャクヤクの花弁は赤色が望ましく……他の色ではダメなのでしょうかね? ずいぶんとおまじないっぽいというか、意味があるのかないのかわからない調薬です」
「お前はなぜそんなに平然としているんだ! 暴力をふるわれ、脅されているんだぞ! くそっ、キースめ……、あんな性根の曲がった奴だとは知らなかった……」
セドリックのふかふかの毛は逆立ち、愛らしく丸まっていたしっぽは猫のようにぴんと直立していた。
「リスって、怒るとそんなふうになるんですね」
「どうでもいいことに感心している場合か⁉ お前が文句を言わないから、キースを図に乗らせているのではないのか!」
「今にはじまったことではありませんから」
キースはパーシバル家唯一の男子だ。
幼い頃から成績優秀でなんでもそつなくこなす弟が、決して「天才」ではないことをアメリアは知っている。
周囲の期待に応えなくてはならないというプレッシャーもあるだろうし、当たり散らしやすいアメリアに矛先が向くのだろう。
「研究を盗られているんだぞ! なぜ平然としていられるんだ。腹が立たないのか!」
「……立ちますよ」
書き物の手を止める。
むかつくに決まっているじゃないか。自分がこつこつやってきた成果を掠め取られるのだ、腹が立たないわけがない。未完成の、まだ不十分と言っていい結果すら勝手に発表されたことがあり、その度に何度悔しい思いをしたことか。数えきれないほどだ。
だけど、キースの名で発表されてしまったそれらを奪い返すことはできない。仮に訴えたところで、アメリアは共同研究者として名を連ねるくらいで我慢して、名誉はパーシバルの名を継ぐ弟に譲ってやったらどうかね、という話になるだけだ。
「やりかえしたいのなら簡単です。私が、キースを超える発表をすればいいだけの話ですよ」
うっすらと笑って凄んだアメリアに、リスは不安そうに小さなお手手を動かした。
「き、きみも、怒るのだな……」
「そりゃあ怒りますよ。嫌なことをされているのに許せるほど、私は心が広くありませんから」
「……お、俺のこともか」
「え?」
「俺も……、その、お前に嫌なことをずいぶんと言った。悪かったと反省している」
「ああ……」
セドリックも「やりかえされる」と不安になったのだろうか。
リス姿の現状、生殺与奪権を握っているのはアメリアだと言っても過言ではない。
「別に、毒薬を作って飲ませてやろうとか考えていませんから安心してください」
「し、しかしだな」
「……そうですね、悪いと思ってくださっているのなら――もしも元の姿に戻れた場合、このリス化に伴う謎の毒薬と解毒法についてのレポートを発表させてくださいますか? 私一人では『頭がおかしい』と笑われて終わりそうなので、セドリック様の証言をいただければ非常に助かります」
「……そんなことでいいのか。婚約破棄したいとか、そういうことは……」
「婚約破棄されてもパーシバル家に縛られるだけです。他に良い縁談も来そうにありませんし」
他の縁談が来たところでリンジーとキースが叩きつぶすだろう。
セドリックの家は格上だから断れなかっただけだし、さっさと離縁して捨てられるようにせっせとアメリアの悪口を吹聴しているのだから。
「お喋りはここまでです。私は少し集中させていただきますね」
◇
夕食だけは家族とともに食べることを許可されているアメリアは、いつもならば淡々と食事を胃に詰め込む作業をして帰るのだが、今夜は落ち着かなかった。
セドリックがどうしても自分も一緒に行くと言い張って聞かなかったのだ。
かといって、ポケットのある白衣を着ていくと家族に怒られる。苦肉の策として、肩にショールを巻き、セドリックには布の内側に隠れてもらうことにした。アメリアがセドリックの分の食事を持ち帰ってくるのを忘れるのではないかと危惧しているのかもしれない。
「姉さん、なぜショールなんか巻いているの?」
キースは目ざとく声をかけてきた。
「えと、少し……寒気がして」
「やだぁ、風邪? うつさないでくださる?」
リンジーは迷惑そうな顔をした。
妹といえど、アメリアとリンジーは八か月ほどしか年が変わらない。家族の中でアメリアに最も辛辣に当たるのはリンジーだった。
「……そういえば、セスティナ公爵から連絡が来た」
口数の少ない父が珍しく口を開く。「セスティナ公爵」の単語に、ショールで隠れた内肘にいるセドリックがぎくりと震えていた。
「ご子息のセドリック殿が帰ってきていないそうだが、お前たち、何か心当たりはないか?」
「ええっ、セドリック様が?」
リンジーは大きな声を出す。
驚いて目を見開き、本気で心配しているように見えた。
「そんな、帰っていらっしゃらないなんて……」
「――夜会でお会いしましたが、別段変わったことはなさそうに見えましたよ」
キースは冷静に答え、「ね? リンジーお姉さま」とリンジーの同意を求めた。リンジーは慌てたように頷く。
「え、ええそうね。強いて言うのならお姉さまに苛立っていらっしゃいましたけど……まあ、それもいつものことですわね」
「ついにお姉さまに愛想を尽かしてしまわれたのでは?」
くすっ、とリンジーとキースは笑い合う。
「でも心配ですわ……」
「……まあ、若いのだし、二、三日家を空けることもあるだろう。もしも何か気づいたことがあれば私に報告するように」
「はい、お父様」
父の話はそれで終わった。一応婚約者であるはずのアメリアには何も聞かれない。
父はいつもアメリアをいないものとして扱う。
詮索されないことをいいことにてきぱきと食事を進め、手つかずのまま残しておいたパンをナプキンに包んだ。
「……すみません。夜食用にパンとブドウをいただいていきます」
いつもなら無視されるアメリアの発言だ。
だが、席を立ったアメリアに継母が声をかけた。
「お前、まさかペットに餌やりをしているんじゃないでしょうね?」
「ペット?」
妹弟が聞き咎める。
「お母様、ペットって何のことです?」
「アメリアは汚らしいリスを拾って飼っているのよ。薬品に毛でも落ちたらどうする気なのかしら」
「あはっ、友達がいないから動物を飼い始めたの? みじめねぇ」
「ああ、そういうことですか。書庫で会った時にぶつくさ喋っていると思ったら、もしかしてポケットにでも入れて連れまわしていたんですか?」
まずい。
セドリックの存在がバレたら何をされるかわかったものではない。
屋敷の外に捨てられるならまだしも、実験動物にされたりしたら……。アメリアは咄嗟に謝った。
「申し訳ありません。すぐに捨ててまいります」
「やだなあ。姉さまのお友達、僕たちにも紹介してくださいよ」
「本当。ここへ連れてきてくださいな」
「いえ、すぐに追い出しますので……」
失礼します、と頭を下げたアメリアは足早に退席しようとした。だが、顎をしゃくったキースの指示を受けたメイドがアメリアの腕を掴む。
はずみでパンとブドウは落ちた。パンはナプキンに包んであったからよかったものの、ブドウは房から外れコロコロ転がる。散らばった実のひとつは食事中のリンジーの足元に止まった。
「そのリスちゃん、追い出すのなら餌は必要ないんじゃなーい?」
ぐちゃっ。
ブドウの実はヒールのかかとで踏みつけられた。
「……これはリスの餌ではなく、私の夜食です」
「あら、そうだったっけ? あははっ、ごめんなさーい」
リンジーは悪びれずに笑う。
ブドウの実を拾う気力を奪われたアメリアは逃げるように部屋を出た。
「……ごめんなさい、セドリック様。パンしか手に入りませんでした」
きゅう、と肩の上から弱々しい鳴き声が聞こえる。
いつもの悪態が聞こえないのは……、サンザシの薬が切れたに違いない。
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