春夏秋冬短編集
閏月かむり
[夏]青嵐
ミンミンとうるさいくらいに蝉が鳴いている。青い空には真っ白な入道雲が高く積み上げられていて、空気は肌に貼り付くほど蒸している。
(夏だ)
”夏”という言葉を写真や絵で表したら、こんな風景になるのではないかと思うくらい、ここは夏の空気で満ちている。
【青嵐】
バッシャンと水音がしたと思ったら、頭から雫が垂れていた。肌に汗だけではない水分で張り付くTシャツ。どうやら水を被ったようだ。
「おい、はるっ。なんでこんなクソ暑いのに足湯のごとくプールに浸かってんだ。おまえも入れ!」
カラカラと笑いながら僕を揶揄するように誘うなつは、心底楽しそうだ。
僕が水を被ったのは、さっきまでプールで泳いでいたはずの彼の仕業らしい。水面から肩の上半分をだしているなつは、まるで見上げるような形で僕をみつめる。____キラキラとしたその瞳が、酷く眩しい。だから責める気にもなれない。まあ、いいか。全身被ったわけでもないのだし。この暑さだったら、そのうち乾くだろう。
「いいよ、僕は。なつ一人で楽しんで。そもそも水着、持ってきてないし」
「寂しいこと言うなよ、一人で遊んでもつまんねーだろ。だいたい、そのTシャツも濡れてんだし、そのままプールに入ってもいいだろ。どうせすぐ乾くって」
「いや、僕のTシャツを濡らしたのは君なんだけどね?」
反省の色がまったく感じられない。
「だってさーはるもつまんないだろ、俺が泳いでいるのずっと眺めるのも」
「そうでもないよ」
今日夏休み中盤のこの日____僕はなつと学校のプールに来ていた。もちろん僕は泳がないので、幼馴染のなつの付き添いという形で。僕はかれこれ30分近く、足首まで塩素除菌剤で満たされた水に浸かりながら泳いでいるはるを眺めている。けれどつまらないわけではなかった。泳いでいるはるを見るのは好きだった。ひょろひょろなだけの僕とは違って、細身だがしっかりとついている筋肉。塩素で脱色された薄い茶髪の髪は水滴が跳ね、日光を浴びるたび輝く。泳いでいるときの洗練された綺麗なフォーム。しなやかな腕、足。たとえ僕がどう体を動かしても彼の美しい動作は再現できないだろう。バッタのよう。それか、跳魚。何時間でも、いやたとえ一日中見ていたって飽きないよと彼に言ったら、どんな反応を返すのだろう。
「それに僕、泳げないし」
僕のこの一言をどう受け取ったのか、ますます彼は顔を輝かせ____
「よしっ。なら俺が教えてやる。だいじょぶだって!泳ぐのなんて意外と簡単だ」
「えっ、いや、いいって。べつに僕は泳ぎたいわけじゃあ____」
ない、と言い切る前になつにプールに引き摺りこまれた。
アオイ世界。揺れる水の空間。コポコポと空気の泡が浮かんでいく。彼の金髪に近いほどの薄い茶髪が目の前で漂う。にこりと笑う口元。細められる栗色の瞳は、光が届かない水中でも変わらず煌めいていた。わずか数十秒のその時間が、永遠みたいに思えた。
「ぷはっ」
「はあー」
息が続かなくなり、二人して水面に顔を出し、慌てたように呼吸を取り戻す。
「もうっなんだよ」
何かを誤魔化すように僕はなつに毒づいた。
「はは、ごめんごめん。つい。」
「ついじゃないって。ああーもう、ぐしょぐしょに濡れちゃったじゃん、僕の服」
「だいじょうぶだって、すぐに乾くよ」
「ええー」
疑いと不信の目でなつを見る。
「それに、なんだって僕を引きずり込んだの。いいって言ったじゃん」
なつは笑った。はにかんで、大事そうに。
「いや、だって、嬉しかったんだよ」
「?」
「俺がはるに教えられることなんて、滅多に無いだろ?はる頭いいし、器用だし。だから、嬉しかったんだよ。俺でもはるの力になれるんだって。・・・ああーなんかこれ、恥ずかしいな、結構」
「・・・・・」
そんなふうに屈託なく笑うから。太陽みたいに、みつめるから。焼かれてしまう。焦がれてしまう。眩しくて、眩しくて。
(あーあ)
いつからだったろう。なつの笑顔見るたび、こんなふうに心臓が騒ぐようになったのは。いつからだろう。彼の声を聞くのが、待ち遠しくて眠れなくなったのは。____どうして、なつだったんだろう。同い年の同性相手だなんて、しかも幼馴染なんて_____不毛すぎる。僕もなつも男なのに。友達なのに。それ以外にはなりえないのに。
でもきっと、理由なんてなかったんだろう。なつがなつである限り。僕が僕でいる限り。
(言えないよなぁ)
言えないよな、好きだなんて____口が裂けても、言えないよ。言ったら、ドン引きするだろうか。でも、なつは優しいから。気まずげに断って、そんな自分を、責めるのだろう。この関係が終わることに、傷つくのだろう。
(そんなことになるくらいなら)
「?____はる?」
「・・・えいっ」
バシャッ。不安げにこちらを見てきたなつに水をかける。
「わっ。・・・やったな!」
バッシャッ。なつからも水をかけられ、そこからは水のかけあいっこみたいになった。子供みたいだ、僕らは。
(それなら___ずっと)
ずっと、このままの関係で。おひさまみたいな彼を眺めて、それで満足していよう。永遠にこの想いを告げないまま、過ごしていこう、蒼く輝く青春を。そして離れていこう、ゆっくりと、少しずつ。いつか来るお別れの日のために。きっとこれから晩夏が来て、秋が来て、冬が来て、春が来て、そうしてまた巡っていくんだろう。それでもなつには、ずっとキラキラしていてほしい。手が届かないと思わせてほしい。これから君はぐんと成長して、夢を叶えるために懸命に走っていく。命が始まる季節みたいに。君は、荒々しくも清々しく翔ける風。僕は片隅の観客席でいい。ただ、見ていたいんだ。
____なつ。僕の永遠の新緑。笑っていて、どうか。泣いてもいいから、最後には笑える君でいて。
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