しおり

汐留ライス

第1話

 「つづみ書店」と看板が出ているものの、言われなければそこが本屋だとは気付かない。


 何しろ、店の中に本が一冊もないのだ。


 代わりにランドセルくらいの木箱が、ロッカールームみたいにいくつも縦横に積み上げられている。


 腹の突き出た店主に聞くと、「店を訪れるお客様の記憶ひとつひとつが書物なのです」などと言う。


 ピンと来ていない私の様子を察したのだろう、「試し読みしてみますか」と尋ねてきた。


 店主が手近な木箱に触れると、中から淡い緑色をした光の塊がふわふわと漂い出てくる。


 拡散した光に包まれて、視界が消失する。


 かと思ったらそれはフラッシュのように一瞬で、見えてきたのは暖かい日差しの下、桜の花びらが舞い散る小学校の校門。


 どうやらこれは知らない誰かが体験した、入学式の記憶のようだ。


 両手をつなぐ男女の姿に見覚えはないけれど、体験した人の両親なのだと直感でわかる。


 父と母に手を引かれて、体育館へ足を進め


 気がつくと私はつづみ書店の、木箱が積まれた店内に戻っていた。


「いかがでしたか」


 店主が言う。なるほど試し読みではここまでのようだ。


「買えば続きが読めるのですか」


「あなたの記憶を提供してくれたら、自由に読めますよ。記憶はコピーさせていただきますから、あなたは何も失いません」


 私の記憶なんて読みたがる人がいるとは思えないけれど、私にとっては大事な財産だ。失わずにすむのはありがたい。


 こうして記憶のコピーを売り払った私は、同じように売られたいくつもの記憶を読み漁った。


 会場に詰めかけたファンの前で歌うアイドル、前人未到の地を突き進む冒険家、身の毛もよだつ罪を犯した犯罪者、他にも色々。


 何百人、何千人の人生を追体験した私は、そこから世界の心理を悟って神の領域に達し


 目が覚めると朝。


 つづみ書店のあった場所は稲刈りの終わった田んぼになっていて、あんなに読んだはずの記憶はひとつも思い出せない。


 化かされたのかなあ、思って身を起こすと頭から、ひらりと落ちた木の葉が一枚。


 まるで記憶の書物に挟んでおいたしおりのように。

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