第2話 現代の悪役令嬢

 私立聖夢学園の新校舎前を制服姿の美男美女が二人並んで歩いていた。

 周囲を通りかかる生徒たちの視線が自然と二人へと注がれる。


 ――よぉ、ソーヤ。この前は、ありがとなっ! また助っ人頼むぜ!

 ――ほら、見て。トムくんよ。今日もかっこいい〜♡

 ――富瀬先輩……ステキですぅ〜♡♡♡

 ――ちょっと、あんまり大っぴらに言ってると、あんたも〝悪役令嬢〟に目を付けられるわよっ。

 ――ああ……柏崎さん……なんて美しいんだ……っ! 君になら……踏まれても良い!!

 ――いやぁ〜、確かに美人だけど……観賞用って感じだよなぁ。

 ――あの二人って、許嫁らしいよ。柏崎さんって、ほら……理事長の……。

 ――容姿も生まれも恵まれてるなんて、神様は不公平よねー。

 ――まあでも、あれで中身が……ねぇ。

 ――……ひぃっ! ちょ、ちょっと、今の聞こえたんじゃないの?!


 噂していた生徒たちは、一瞬で蛇に睨まれたように固まって動けなくなってしまった。

 ふんっ、と睨んだ張本人は、鼻を鳴らす。


 柏崎 紫。


 またの名を〝現代の悪役令嬢〟と、影で皆から呼ばれていることを本人も自覚している。

 容姿に恵まれたことも、生まれが尊いことも、自分の所為ではない。

 だから、そのことについて他人からとやかく言われることは、どうでもいいのだが、自分自身について何か言われることは、許せないのだ。


「紫、顔こわい」


 にこっ、と隣で悪意のない笑顔を見せる幼馴染を紫は、恨めしげに横目で見返した。


 富瀬 奏也。


 スポーツ万能で、明るく社交的。

 その上、容姿も優れており、誰からも好かれる性格だ。

 そのため性別を問わず人気があるのだが、本人は無自覚なので、それが余計に紫にとっては腹立たしい。

 名前から連想される某名作の主人公からとって、周りからは親しみを込めて〝トム〟とか〝ソーヤ〟という愛称で呼ばれている。

 紫への悪意ある愛称とは真逆だ。


「腹でも痛いのか?」


 紫の表情が変わらないのを見て、奏也が首を傾げる。

 本心から紫を心配しているのが見て分かるから、やはりタチが悪い。


「奏也の所為よ」

「え、なんで? 俺、何かしたかなぁ~……」


 真剣に考え込む奏也を見て、紫は、ため息をついた。

 こんな人だからこそ、紫は、彼から目が離せない。


 二人が並んで正門の前まで来た時、紫は、正門の向こう側の陰からスカートの裾が見え隠れするのを視界に捉え、足を止めた。

 ああ、またか……、と内心で悪態をつく。


「ん、どした?」


 一歩先を進んだ奏也が紫を振り返った。

 紫の位置からは、奏也の後ろに、先程見え隠れしていたスカートの主がこちらの様子を伺っているのが見える。

 制服を着ているが、聖夢学園の制服ではないので、他校の生徒だろう。

 こうしたシチュエーションは、これまでに何度も経験済みなので、彼女たちが何の目的で誰を待っているのかは、一目瞭然だ。


「奏也、キスして」

「えっ、今ここで??」

「今すぐ、ここで。早くしてっ」


 少し語尾を強めて言うと、奏也が引きつった顔で周囲に視線を巡らせた。

 周りには、まだ下校途中の生徒たちや、これから部活動へ向かう生徒たちが行き交っている。

 こんなに大勢が見ている前でキスすることに抵抗があるだろう。

 いつもなら、すぐにキスしてくれるのに、なかなか動こうとしない。

 紫もわざわざ大勢に見られながらキスすることが恥ずかしくないわけではないのだが、こうでもしないと皆に解ってもらえないのだから仕方がない。


(奏也は、私のものなんだから……)


 正門の向こう側から、先程から奏也を見ている女がこちらへ身を乗り出してくるのが見えた。

 紫は、仕方なく、奥の手を使うことにした。


「奏也は、私の〝許嫁〟でしょう」


 まるでそれが魔法の呪文か何かであるように、奏也は、観念したように肩で溜め息を吐いた。

 困ったような、少しむっとしたような顔で紫を見る。

 いつもこの表情を見ると、紫には、奏也が本意ではないことをさせられているのだと言っているようで、胸がちくりと痛む。

 でも、やめることは出来ない。

 奏也は、紫の〝許嫁〟なのだ。


 奏也の整った顔が紫に近づいてきて、紫は、目を閉じた。

 そっと互いの唇と唇が触れ合うだけのキス。

 ほんの一瞬だが、敵を撃退するには充分だった。

 奏也の肩越しに、泣きながら走り去って行く女の背中を確認し、紫は、ほっと胸を撫でおろす。


(奏也は、絶対、誰にも渡さない)


 背後からは、他の女生徒たちの悲痛な叫び声が聞こえていた。

 中には、むせび泣く声まで聞こえてくる。

 これでしばらくは、奏也に近づいてくる女は、いなくなるだろう。


 紫は、離れていく奏也の腕をぐっと掴んだ。

 そのまま引き寄せて、腕を組むと、満足気な笑みをたたえながら正門をくぐった。


 人からどれだけ性格が悪いと言われようとも、〝現代の悪役令嬢〟と罵られても構わない。

 奏也を誰かにとられてしまうことに比べたら、何てことはない。

 それだけ紫にとって奏也は、なくてはならない大事な人なのだ。


 それに、奏也は、紫の言うことなら、どんな我が儘でも必ず聞いてくれる。

 そのことを実感したい、というずるい気持ちもある。


 でも、それは、奏也が自分を愛してくれているからではない、ということを紫は知っていた。




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