めざせ犬又➁

「あら、咲ちゃん。かわいい赤ちゃんね。お名前は?」

「ありがとう、おばさん。うちの子は蒼汰っていうの。」

「いつ帰ったのさ、咲子ちゃん。」

「ダンナがこっちに転勤になったので、先週、隣町に越してきたのよ。」

咲子は近所に住む周太郎の幼馴染。咲子が微笑むと肩までのサラサラのストレートの髪が揺れ、大きな瞳が優しく細められた。初恋の君の面差しに周太郎はキュンとした。


「近くになったのね。じゃあちょっとうちに来ない?蒼汰ちゃん、抱っこさせてよ。」

重子は蒼汰のプニプニのほっぺをツンツンしていた。

「いいの?ちょっとお邪魔しよっかな?」

咲子がベビーカーの向きを変えようとしたところで甲高い声がかけられた。



「あーら!鶴丸さんちの奥さんと周太郎君じゃない。」

周太郎と重子が声の方を見ると咲子の母、神野まみこが秋田犬を連れていた。重子はひそめた眉をサッと直した。

「まあ、神野さん。こんにちは。」

「この子、鶴丸さんちの子?あれ?子犬にしてはひねた顔してるわね。」

「子犬じゃないんですよ。保護犬なんです。」

保護犬と聞くと神野は片眉を高く上げ、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

「保護犬?どうしてそんなどこの馬の骨かわからない犬を飼うはめになっちゃったの?うちのバブちゃんみたいに血統書付きの由緒正しい子にすればよかったのに。」

ムッとした重子は神野を睨みつけた。

「お母さん、おばさんに失礼なこと言わないで!」

咲子は慌てて重子と神野の間に入った。


 神野はPTAの委員会で重子と一年間一緒に活動をした。神野の娘、咲子は母と違って可愛らしく人当たりがよいので、PTAのお母さんたちから可愛がられていたが、小金持ちの神野はPTAで奥様風を吹かせるので、みんなから総スカンを食ったのだった。

「かわいそうな保護犬を引き取るのはいいことなのよ。」

「そうよね~。いいのよ無理しなくて。バブみたいな犬は高いもの。鶴丸さんちにはこの子がお似合いよ。バサバサの毛並みて顔は庶民的な犬。あなたにピッタリよ。」

おばさん二人が言い合いを始めたので周太郎はそそくさと逃げていった。


 チーはミルクの匂いがする蒼汰が気になり、伸び上がってベビーカーの中を見ようとした。咲子は慌てて蒼汰のベビーカーを引いた。

「アンタ達犬猫はバイキンだらけ。ウチの子に触らないでよ。」

周太郎がいなくなったので、思いっきり眉をひそめた咲子は小声でチーに言った。


それでもミルクの匂いに惹かれ、蒼汰の方へ行こうとするチーの前に大きな影が割って入った。

「俺様はバブだ。お前は誰だ?」

チーは目の前に立つ秋田犬のオス犬を見上げた。

「アタシはチコリ。家の人はみんなチーって呼ぶわ。」

「ふーん、貧相な名前だな。お前、保護犬だって?野良犬か。由緒正しい俺様とは天と地ほどの差だな。」

「大きなお世話よ。ねえ、あのベビーカーの中に人間の赤ちゃんがいるの?」

「蒼汰って生意気なやつがいるんだ。あとから来たくせにお母さん、アイツが来てから蒼汰、蒼汰って。」

バブは悔しそうに神野を挟んで向かい側に移動したベビーカーを睨んだ。

「アンタ、蒼汰にお母さんを取られそうなの?」

「そんな事、あるわけねえだろ!黙れ、保護犬!」

バブはフンとチーを一瞥するとリードを引っ張った。

「お母さん、行くよ。そんな貧乏臭いのほっとこうよ!」

「あらあら、バブちゃんごめんね。鶴丸さんが足を止めるから。蒼汰、さあお婆ちゃんとお散歩の続き行きましょ。」

神野は「ごきげんよう」と、ひと言いうと重子をバカにしたように微笑んで行ってしまった。咲子は困惑した顔で会釈すると神野の後を追いかけて行ってしまった。


「ホント、あの人いっつも上から目線でムカつく!チーちゃん、行くよ!」

重子はアイに似た猫が塀の上から目を細めて見ているのにも気づかず、プリプリ怒って歩き出した。


 散歩を終え、家に帰って来たチーは重子からたっぷりの水をもらった。重子は買い物袋を持つとチーとアイの頭を撫でた。

「チーちゃん、お母さんは今から買い物に行ってくるからアイちゃんとお留守番しててね。」

「ワン!」

「ニャ~ン。」

「いいお返事ね。」

ニッコリとした重子はチーとアイに手を振って買い物に出かけた。


重子が玄関に鍵をかけて出かけてしまうとチーはアイに今日の散歩の話を始めた。

「今日は野良猫が散歩についてきたんですよ。その猫、ブサイクでね…」

そこまで言うとチーはアイに猫パンチをくらわされた。ビックリしたチーは尻餅をついた。

「ブサイクで悪かったわね。初段にならないと化けられないの!化けられるようになって日が浅いんだから仕方ないでしょ!」

「ええ?あの猫はアイさん?だから匂いがすごく似てたんだ。」

「そうよ!ホント、アンタは鈍いんだから。そんなことより、見回りのタマさんから注意受けたのよ。次はアンタが点数稼ぐようなことなんかしないと。」

アイはそこまで言うと、不敵な笑みを浮かべた。

「今日の散歩でいいカモを見つけたわ。」

「カモ?」

「神野っておばさんとバブよ!猫又になったご挨拶に行った近所の猫の集会で聞いたんだけどあそこの娘は学生の時にね、やってくれたのよ。」

「ん?何をしてくれたんですか?アッ!おやつでしょ!いいなあ~」

チーは羨ましそうな顔でアイをのぞき込んだ。アイは目をカッと大きく見開いた。

「バカ!そういうんじゃないの!アンタってば相変わらずトロいわね。塾帰りに夜の野良猫集会に向かって石を蹴ってきたのよ。試験がうまくいかなかったらしいわ。」

「エエっ!大丈夫でしたか?」

「大丈夫なわけないじゃない。逃げ遅れた身重のメス猫に当たってね、お腹の子猫ごと死んじゃった。いい年だったから、これが最後の出産だったのに。その子はいい子でね。若い子の面倒をよくみてて、みんなに愛されてる子だったらしい。だからみんな激怒よ。それで地域担当猫又のタマさんが代表して上に仕返しを頼んだの。」

猫又の仕返し!ニヤリと笑ったアイのギラギラした目に怯えて、チーはゴクリと生唾を飲み込んだ。

「上級猫又の野分さんが取り憑いて、入学試験の前夜に猫に襲われる悪夢を見せたのよ。おかげで寝不足であの娘、入試に失敗。結局!滑り止めの学校にしか受からなくって文句タラタラ通ってた。本来なら本命に受かってたのにねえ。」

アイはさも愉快とばかりに大笑い。そしてチーに振り返った。

「アンタ、しっかりしなさいよ。そんなんじゃ犬又になれないよ。見回りのタマさんに目をつけられてんのよ、アタシたち。」

「前から思ってたんですけど見回りさんがいたり、審査会があったり猫又の世界ってどうなっているんですか?」

チーの質問にアイはすました顔で答えた。

「そんなことも知らないの。仕方ない、教えてあげる。ちゃんとして!」

アイに叱られてチーは仕方なくお座りをした。


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