結局、紙の本。
延暦寺
ふらりと吸い込まれた本屋にて。
「この世界にも本屋があるんですね」
と話しかけると、書店員はにっこりと笑った。
「ええ、結構お客さんも入るんですよ。やっぱり人たるもの紙の本が読みたいんですね」
彼女の言う通り、平日にもかかわらず書架の前には客が立ち並んでいた。この世界でも雑誌の棚の前が一番混んでいることに失笑する。別に文章に貴賤をつけようという気はないけれど、どんな情報も立ちどころに手に入れられる電脳世界で、わざわざ週刊誌を読みに来る客がいるというのは可笑しかった。
情報は変質した。
この世に存在する情報は、万事の電子化という強引な手段を以て均質化された。すなわち、誰もがすべての情報にアクセスし、利用することが可能となった。もちろん人間の脳には限界があるからすべての情報を記憶しようという阿呆はいないが、しかし知りたいと望むならば、例えば先ほどの店員の名前、住所、年齢身長体重スリーサイズ出身大学昨日の夕食今日歩いた歩数その時考えていること、なんだって簡単に知ることができる。この世界に生きる限り、全ての事象は情報として記録されているからだ。
だから本当は、本屋なんて必要がない。そもそも新刊だって出ることはない。対価を払わずに情報を手に入れられる以上、出版業が成り立つわけがないからだ。週刊誌だって、この世界が始まって以来発行されていないのだから彼らが読んでいるのはずっと過去のゴシックなのだ。
それでもこの本屋には人がいる。それは全くの不思議だった。
物珍しさに立ち寄っただけだったが、どうせなら何か読もうと思って近くのハードカバーを手に取った。見た目よりも重たい感触に懐かしさがこみ上げる。本の腹を割ると、インクと紙の匂いが立ち上った。ああ、本だ。これこそ本だ。
その確信に至ってからふと、しかしこれは本ではないという事実が頭をよぎった。これは本を情報として再現しただけの偽物だ、頭ではそう思っているにもかかわらず、しかし衝動がこれは本だと叫んでいる。その乖離はやがて、本の意義、価値の在り処へと思考を導いた。
若かりし頃、紙の本に拘っていたのはなぜだったのだろうか。もうすっかり情報の氾濫に飲み込まれてしまった自分には、紙の本と電子書籍の対立の骨子を思い出すことはできなかった。結局、ペラペラとページを捲るあの感触が大事だったのだろうか。違ったような気がする、そんなことではなかったはずなのに、自らの衝動がその対立に深い理由がなかったことを証明してしまったように感じた。私は深く恥じた。しかしその羞恥の源すら、私にはもう分からなかった。
結局、紙の本。 延暦寺 @ennryakuzi
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