第14話 物語のハジマリ


 聖夜の息が微かに喉に引っかかったような音を立て始めて、もうすぐだと息を飲んだ。左に視線をやると、聖夜の頭を撫で続けている会長の顔にも緊張の色が浮かんでいて、なんだかほっとした。



「3人で、一緒に、いたい」



 呼吸音の中に小さく混じるように聞こえた声に、俺は手を止めた。


 分からない。3人で、ってどういう意味? 本当のところは分からないわけじゃないけど、予想していた回答の範疇を超えすぎていてよく分からない。


 聖夜がそれを望むなら、と思う気持ちと独占欲がせめぎ合って口が開かない。



「僕は構わないよ。聖夜くんの傍にいられて、聖夜くんがそれを望んでくれるなら」



 会長が穏やかな声ですぐに切り返したことに驚いてゆっくり聖夜から離れた。会長の堂々とした大人びた微笑み。本当になんの葛藤も困惑もなさそうだ。チラリと俺に視線を移した会長は、ピクリと口角を上げて微笑んだ。



「聖夜くんは素直に話してくれたし、武蔵くんには背中を押されたからね。僕も素直に話そうか」



 恥ずかしそうに、そして困ったように笑った会長は俺たちから視線を外した。



「武蔵くんにはさっき少しだけ昔の僕の話をしたけど、僕は中学まで来る者拒まず、去る者追わずっていう人付き合いをしていた。途切れることなく付き合っている人がいたし、関係を持つことも多かった」


「マセガキっすね」


「こらこら。まあ、反論はできないけど」



 俺の言葉に少しだけこっちを見た会長は苦笑いを浮かべていた。すぐにそっぽを向いた会長は頬を掻きながら呆れた様子でため息を吐いた。折角の綺麗な漆黒の瞳が濁っていたのは気のせいではないだろう。



「そんなマセガキが相手を1人に絞るわけもなく、2人だったり3人だったり。かなり奔放なことをしていたんだよ。それも、聖夜くんと違って相手の気持ちなんて完全に無視してね」



 俺にはかぶりを振る会長が消せない過去と向き合おうと苦しんでいるように見えて、それ以上に口を挟むことはできなかった。会長は聖夜と目を合わせて、じっと聖夜を見つめた。



「僕とは違って、聖夜くんは考えた末に結論を出したんだろうし、周さんと柊さんが背中を押したってことは、ずっと近くにいて聖夜くんを見てきた友人としてそれが聖夜くんにとっての最善策だと思ったってことだろうしね。もう少し詳しい説明は欲しいけど、それを聞かなかったとしても、僕は聖夜くんの傍にいると決めた」



 聖夜に言い聞かせるように話していた会長が急に視線を移して俺をじっと見つめてくる。覚悟を決めたまっすぐな瞳に濁りはない。しっかり考えた上で俺の方が先に覚悟を決めたはずだったのに、こういう混乱するような場面では会長の方が先に決意表明をしてしまうのはずるい。


 会長に負けたくない気持ちが、聖夜の傍で一緒に感情や景色を共有したいと願う気持ちにエンジンをかけた。


 聖夜の手を握り直して、俺だけが写ったその瞳をまっすぐに見据えた。



「俺はこれから先、聖夜と、聖夜が望むなら会長とも、同じ景色を見たり、感情を共有したりしたいと思ってる。離す気はないから、もし俺のことを嫌いになっても離してあげられないかも」


「望むところだよ」



 目元をくしくしと擦りながら少し嬉しそうに笑った聖夜は、俺と会長と繋いでいた手を恋人つなぎに繋ぎ直した。それが可愛くて破顔しそうになるのをギリギリのところで耐えて咳払いした。会長にニヤニヤ笑われてちょっとむかつく。子どもっぽくて悪かったな。



「顔が怖いって喧嘩吹っ掛けられることも多くて、周りにも怖がられてる。それに、爺さんとおじさんが県議とか市議をやっていることもあって厳しいことを言われることもある。きっと俺と一緒にいることで聖夜にも、会長にも嫌な思いをさせることはある。そんな俺でも一緒にいてくれますか?」



 俺の言葉に2人とも深く頷いてくれて、俺の涙腺も緩んだ。2人から顔を背けて目を何度か瞬かせながら息を長く吐いた。



「ありがとう」


「いいえ」


「こちらこそ、ありがとう。鬼頭くん」



 2人に肩を叩かれて、ポロッと零れてしまった雫を隠そうと指で拭った。



「ボクも、ちゃんと説明しますね」



 聖夜は答えを得て安心したのか、目は赤いままだけど口元には微笑みを湛えている。



「今日1日、2人のことをもっと知りたいって思いながら過ごしていたんですけど、昨日の2人の言葉とか、真剣な顔を思い出しちゃって。2人といるとドキドキしかしないのに、2人ともぐいぐい来るから、どっちも同じくらい好きになっちゃって。もう少し長く一緒にいれば分かるかもって言い訳ができないくらい2人のことが気になってきたとき、夢を見たんです」



 夢。それはきっと倒れていたとき、魘されながら見たものだろう。思い出して何か身体に障るんじゃないかと不安になったけど、聖夜は幸せそうに笑った。



「嫌な夢だったけど、怖がっていたボクの背中を押してくれた2人と、温かい声で包み込みながら手を握ってくれた2人がいたんです。背中を押してくれたのは星ちゃんと月ちゃんでした。温かい声は、鬼頭くんと粋先輩でした」



 温かい声、そう感じてくれていることに喜んだけど聖夜の微妙な表情に不安になる。少し強く手を握ると聖夜は握り返してくれた。



「鬼頭くんの声が聞こえてほっとしたけどもっと抱きしめて欲しくて、粋先輩の声が重なったら安心できました。きっと順番が逆でも同じことで、きっと無意識に2人を求めていたんだって気が付きました。だから、そんな不純な気持ちで2人の傍にはいられないって思って、遠ざけようとしたんです。本当に、ごめんなさい」



 伏し目がちに謝る聖夜にどう声を掛けようか考えていると、会長が聖夜の顎を掴んで軽く持ち上げた。手をゆるりと繋ぎ直した会長は聖夜に顔をグッと近づけてニヤリと笑った。



「はい、そこまで」



 どんどん近づく会長を止めようとおでこを押し返して元々いた位置に押し戻した。



「手を出すには早いっすよ。元プレイボーイ」


「しょうがないだろ? 好きな子の困り顔、大好きなんだよ」


「サド」


「自覚は……あるな」



 会長が苦笑いで頬を掻くと、聖夜は隣で顔を真っ赤にしていた。耳まで赤いけど、俺たちと手を繋いでいるせいで顔が隠せなくて余計に恥ずかしそうで可愛い。会長と同じことはしたくないから奥歯を噛みしめて、左手もきつく握りしめた。これくらいのことで堪えきれるかは怪しかったけど、聖夜が俺と会長に交互に視線を送ってきたことで思考が吹き飛んだ。助かった。



「あの、ボクはその、粋先輩がしたいこと、分からなくはないんですけど、心の準備をさせてください。ダメ、ですか?」



 上目遣い可愛すぎる。消え去った煩悩が沸き上がってくるのを口の中を噛みしめて堪える。



「ダメじゃない。俺は、待つっていうより、一緒に心の準備がしたい、かな。俺、人と関わることすら今までそんなになかったから、自分が恋なんてするとは思っていなかったんだよ。家族以外に誰かを大切だと思うことも初めてで、その相手が同性だとも思ってなかった。だから俺も、欲はあるけど、気持ちの整理はまだって言うか、さ」



 俺がなんて言えば伝わるか考えながらたどたどしく伝えると、聖夜は微笑んで頷いてくれた。かっこ悪くなったけど聖夜に伝わったし、微笑んでもらえた。大人っぽい会長にかっこ良さで勝てるわけがないことは分かってきた。俺は俺なりに、聖夜の傍にいて聖夜を笑顔にしたい。それが俺と会長の幸せだと思うから。



「僕も頑張るよ。うん、頑張る」



 自分に言い聞かせるように言った会長は、ふうっと息を吐いた。



「さっきの話でなんとなく分かっているとは思うけど、僕にとっても聖夜は初恋なんだよ。きっと伝え方も物事の順序も間違えるから、違うときは違うって教えて欲しい。武蔵くんは力づくでも良いから止めてね」


「ボクも逃げられると思うけど」



 ぷくっと頬を膨らませて不服そうな聖夜に、俺も会長も目を見開いて聖夜の方を見た。可愛いけど、それは嘘だろ。



「いや、今までのは逃げられてないだろ」


「うっ」



 痛いところを突かれた、と言わんばかりに顔を歪めた聖夜はしょぼんと項垂れた。その頭に手を置くと、聖夜はパッと顔を上げて俺の顔をじっと見つめる。愛おしい、守りたい。



「安心しろ、俺が守る」


「それじゃあ、僕が悪者になってるから」



 会長のツッコミがツボだったのか、聖夜が楽しそうに肩を揺らして笑い出した。その笑顔に俺と会長は顔を見合わせて笑い合った。



「武蔵くん、これからよろしくね」


「はい、こちらこそよろしくお願いします」



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