第2話 告白


 1日中手紙のことを考えて……いることもなく授業に集中しているとあっという間に放課後になった。


 1日を締めくくる掃除のごみ捨てから帰ってくると、いつも通り教室には誰もいない。星ちゃんと月ちゃんは担当場所が違うからそこからそのまま部活に行くし、同じ掃除場所の他のみんなも自分の仕事が終わったらすぐに塾や部活に行ってしまうのが普通。入学当初は悲しかったけど、待っていてもらったところでボクは帰らないから逆に申し訳ないと思うようになったら気にならなくなった。早く戻らないとって思って焦ると階段で転ぶことも多かったし、怪我も減って万々歳。



「数学の課題でもやってよ」



 吹奏楽部が個人練習をしている、頑張っている人には申し訳ないけど勉強中には騒々しく感じる楽器の音を和らげるために曇りガラスの窓を閉め切る。キィッと音を立てて引いた椅子に座って、引き出しから取り出した小型のテキストと課題ノートを開いた。


 どれくらい時間が経ったかな。授業中の暇な時間では終わらなかった、今日の課題になっているページの後半部分のうち、1問を残したところで背中に痛みを感じてシャーペンを動かす手を止めた。クッションもない硬い木の椅子でずっと座り続ける必要があるから、お尻から背中にかけての痛みが出てくるのは頑張った証拠だ。


 最後に時計を見てから30分と少し進んだ時計を眺めながらグイッと背伸びをしていると、廊下からゆっくり階段を上がるトントンという音が聞こえてきた。こんな時間にここに来るということは、手紙の差出人かな。一応テキストとノートを閉じて椅子に座り直したら、髪が乱れていないか気になって手で撫で付けた。


 ドアの小窓から一瞬だけ、廊下の窓から差し込む夕陽に照らされてオレンジに煌めく髪が見えた。顔も見える位置にあったはずだけど、何よりもその美しさに目を奪われた。


 ボクが美しいものに残された余韻に浸っていると、ガラガラと立て付けの悪い木戸が引き開けられて、右手をポケットに突っ込んだ明るい茶髪の生徒が姿を見せた。彫りの深いハッキリした顔立ちに映える目元は少しつり上がっていて睨まれているように錯覚するけど、グッと結ばれた口元から緊張が伝わってくる。



「いてっ」



 彼を見ているうちにボクも緊張してきて、話しかけようと立ち上がったら後ろの黒板の粉受に背中をぶつけた。粉受の存在が頭の中にあるときはぶつからないけど、ほかの考え事をしていたりすると毎度ぶつかるから慣れつつある。


 ちなみに粉受っていうのは黒板の下についてるチョークを置いたりできるレーンのこと。雑学は月ちゃんにおまかせだ。



「大丈夫か?」


「ああ、うん。いつものこと」


「それはそれで」



 言葉を濁して視線を彷徨わせた鬼頭さんだったけど、一転して真剣な顔でボクの方に向かってくる。あまりにも真剣で緊張もしているから、圧が強い。そのオーラに当てられて思わず後ずさると、鬼頭さんは眉をピクリと動かして足を止めた。そして背負っていたリュックを星ちゃんの机に下ろして一番大きな口を開けると、手紙の柄に似た四葉のクローバーが描かれた小さな紙袋を取り出した。



「吉良聖夜くん。待っていてくれてありがとう。これを返したかったんだ。貸してくれてありがとう」



 一定の距離を保ったまま差し出された紙袋をそっと覗くと見覚えのある柄の布地が見えた。取り出してみるとハンカチだった。角につけられたツツジの刺繍は間違いなくボクが自分の手で縫いつけたもの。お気に入りだったけど夏休み中に誰か知らない人に貸したから、もう返ってこないものだと思って諦めていたのに。



「よくボクだって分かったね」


「顔は覚えていたから」


「凄い! あ、ごめんね、ボクは覚えていなくて」


「い、いや。俺はその」



 鬼頭さんが口を閉じたリュックを背負い直しながら視線を逸らすから、ボクはその視線を追うように鬼頭さんの視界に入った。さっきからずっと目も合わないし距離も置かれているし。じっと目を見つめると、鬼頭さんは動きを止めた。鬼頭さんの瞳は色素が薄いのかグレーがかっていて縁は緑に見える。



「綺麗な色……」


「きれ、い?」



 眉間に皺を寄せた鬼頭さんのグレーの瞳に蛍光灯の光がギラつく。



「あっ、ごめん。嫌だったかな?」


「嫌なわけじゃない。ただ、そんなこと言われたことがなかったから」



 食い気味に否定して口元を手の甲で隠した鬼頭さんの耳は心做しか赤く見える。外の夕焼けが映っているわけではないと思うから、照れているのかな。


 無言の時間が続く。暫くして、目を閉じて大きく深呼吸をした鬼頭さんが目を開けた。その瞬間辺りの空気がピンと張り詰める。その大きな目でまっすぐにボクを見つめながら、鬼頭さんは1歩ボクに近づいた。



「吉良聖夜くん」


「はい」


「好きだ。俺と付き合ってほしい」


「は?」



 予想も何もしていなかったけど、思ってもいなかったことを言われて思考が停止する。言われたことは分かるけど、理解ができない。



「えっと……」


「あの日手を差し伸べてくれた吉良くんに一目惚れして、今日もまた惚れた。返事はすぐにとは言わない。だけど」


「ちょっと待った」



 急にどこかで聞いたことのある声が教室中に響き渡って鬼頭さんは言葉を止めた。声がした方に顔を向けると、開けっ放しだったドアの前に会長さんが立っていた。


 そのまま静かな足音とともに青くも見える黒髪を揺らして教室に入ってきた。ボクたちの前まで歩いてくる堂々とした佇まいに圧倒されながら、ボクは内心ほっとしていた。鬼頭さんのあんなにもまっすぐ綺麗な瞳に見つめられて息が苦しくなって、そのまま息を引き取ってしまうかと思ったから。



「鬼頭武蔵くんと吉良聖夜くんだね」


「はい」


「そうですけど、何か?」



 ボクたちの前で立ち止まった会長さんは迷うことなくボクたちの名前を口にした。生徒会長ってすごい。鬼頭さんくらい目を引く容姿をしているなら名前を覚えているのも納得できるけど、ボクみたいなただのモブ生徒Kまで覚えているなんて。


 単純に感嘆しているボクとは違って、喧嘩腰で返事をした鬼頭さん。そんな彼にも会長さんは微笑んだ。



「別に同性同士だからとか学生の分際でとか言って告白を止める気はないよ。ただの1人の男として、ね?」



 よく分からないけど、会長さんの言葉で鬼頭さんは眉間に皺を寄せて、一層臨戦態勢になった気がする。ボクの目の前で見つめ合う、というより睨み合っている2人の顔を交互に見比べていると、会長さんの目がボクの方に向いた。視線を逸らした鬼頭さんは何かに耐えるように唇をグッと噛み締めた。



「吉良聖夜くん」


「ひゃい!」



 鬼頭さんに意識を持っていかれていたから急に呼ばれて変な声が出た。顔が熱い。顔を冷まそうと扇いでいる手をそっと引かれて目を開けると、やけに甘ったるい顔をした会長さんがボクの手をとって膝まづいていた。真っ黒な、漆黒と言う方が似合う瞳に捉えられると、逃げることは許されないと直感した。



「僕は聖夜くんが好きだ」


「会長さんが、ボクを……?」



 鬼頭さんに言われるよりも信じがたい話にまた情報の処理が追い付かない。



「こんな状況で言うつもりではなかったんだけどね。でも、誰かに搔っ攫われていくのをただ指をくわえて見ているだけなんて耐えられないから。困らせて申し訳ないけど、引く気はないよ」



 ボクに微笑んだと思ったら、会長さんは鬼頭さんを振り返った。



「僕はこれから聖夜くんに好きになってもらえるように頑張るつもりだよ。君は?」


「俺だってこれから聖夜くんに俺のことを知ってもらいたいし、俺も聖夜くんのことが知りたいんです。いくら生徒会長が人たらしでも、譲る気はありません」


「言い方……」



 会長さんの煽るような物言いに分かりやすくムキになった鬼頭さん。煽り返すような言葉選びに会長さんは苦笑い。仲が良いな、と微笑ましく見守って現実逃避をしているボクに、色は違えど綺麗な瞳が向けられて背筋が伸びる。黙って何かを待つ顔にボクの中でようやく覚悟が決まって、同時に実感が湧いてきた。



「ボクは、2人に好きだって言われて、それが嬉しくて、今はそれだけしか自分の気持ちが分からないんです。だから、これから2人のことが知りたいです。答えはそれからでもいいですか?」



 ボクの言葉に鬼頭さんは顔全体でくしゃりと笑って、会長さんは歯を見せて無邪気な少年のように笑った。2人について最初に知った一面。告白されたからなのか、妙に意識してしまって、ただ笑っている、そんな顔にもドキドキする。



「じゃあ、これからよろしくね」


「よろしく」


「よろしくお願いします!」



 恋愛ごとなんて、ボクには無縁のことだと思っていたのにな。



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